ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

法然さんのおしえ

2010-11-11 17:53:30 | 般若心経
法然は浄土宗の開祖です。

ただひたすら念仏を唱えなさい。
そうすれば極楽浄土へ徃けますよと説きました。

詩人の伊藤比呂美さんの
「読み解き 般若心経」(朝日新聞出版)の中で法然の教えを記述している個所があるので紹介します。
伊藤さんが現代語訳した文です。




 「となえるがよい-法然」


現世を生き抜くには

念仏をとなえるために生きようとするのがよい。

念仏に専念するためにじゃまになることは

何であれ

捨てて、忘れて、やめてよい。

ひじりとして生きておっては念仏ができぬというなら

妻を持ってとなえるがよい。

妻がおってはできぬのなら

ひじりになってとなえるがよい。

定住しておってはできぬというなら

家を追ん出てとなえるがよい。

放浪しておってはできぬのなら

一所(ひとところ)に住み着いてとなえるがよい。

生活をやりくりしておってはできぬというなら

人に食べさせてもらいながらとなえるがよい。

養われておってはできぬのなら

自力で生活してとなえるがよい。

一人ではできぬというなら

仲間とともにとなえるがよい。

人といっしょではできぬのなら

一人で閉じこもってとなえるがよい。


……………………

念仏を「ひたすら」に唱えるとは、このようにただひたすらに-、と言うことなのですね。

「ひたすら」の言葉には、無心さ、健気さ、そして何より一途な心の強さがあるということを知りました。

“夜”の出来た理由

2010-11-08 22:26:45 | 般若心経
インド神話のお話です。


ヤマとヤミーと言う仲の良い夫婦がいました。

或る日、夫のヤマが死にました。

妻のヤミーは
「きょう ヤマが死んだ」とずっと言っては、悲しんでいました。

実は、そのころはまだ「夜」がありませんでした。

それでヤミーはいつまでたっても「きょうヤマが死んだ」と嘆き悲しんでいたのです。

それを見ていた神様はヤミーを慰めるのですが、
ヤミーの悲しみは治まらず「きょうヤマが死んだ」と言い続けるばかりでした。

そこで神々は相談して、そして「夜」をつくることにしたのです。

夜が出来て、一夜が明けました。

するとヤミーはこう言いました。

「きのう ヤマが死んだ」

また一夜が明けると、ヤミーはこう言いました。

「おととい ヤマが死んだ」

こうして、ヤマの死は10日前のことになり、1ヶ月前のことになり…そのうちにヤミーの悲しみはだんだんと薄れて、そして消えてしまいました-。


私たちは時が経つとともに悲しみを忘れていきます。それでいいのです。

いつまでも悲しみを引きずらないようにと、
神様は私たちに「忘れる」ということをプレゼントしてくれたのです。

「忘れる」ということには意味があるんですね。

悲しみの他にも、憎しみや嫌なこと…等々

「忘れる」の素敵な神様のプレゼントを、あなたは有効に使えていますか?

私の我儘

2010-11-07 20:53:05 | 日記
私には「孫」は無縁だと思っていました。
そう自分に言い聞かせていました。

でも、おかしいことに
最近幼い子を見ると、
また息子と会っていると
息子の子供はどんな子なんだろう?
その子を見てみたい。
抱いてみたい。
孫を公園や遊園地へ連れて行ってみたい…

たまに、そんなことを考えるようになってきました。

もっとも、息子は今年結婚したばかりで共働きですから、子供はまだ先だと言っていますが(笑)。

自分には願ってはいけない望みだとずっと思ってきたのに。
未練になるといけないですから。

生きたいという欲の表れでしょうか。

欲が出ると、人生を駆け引きをしながら生きて行くようになってしまいます。

でも、そういう生き方には疲れました。
そういう生活をするつもりはないんです。
もう出来ないと思います。

これって私の我儘だっていうこともわかってはいるんですが-。

輪廻(転生)

2010-11-06 21:06:23 | 般若心経
仏教の教えでは、この世は「苦」であり、私たちは迷いの世界の中にいるとされています。

この迷いの世界から脱しない限り、私たち凡夫は死んでも永遠に迷いの世界の中で生まれ変わりを繰り返します。
これが「輪廻(転生)」です。

死後、どんな世界に生まれ変わるかは、生前の行い(業)によって決まり、生まれ変わる世界は六つあります。
これを「六道」と言います。

迷いの世界の中で永遠に生死を繰り返す輪廻を断つには、修行により「無明」(煩悩が生まれる元である、心の闇)を取り除かなければなりません。

無明がなくなれば涅槃の境地(彼岸)へ至り、迷いの世界から脱することができます。
そうすれば、もう生まれ変わり(輪廻)はありません。
死後は浄土の世界(仏のすむ世界)へと徃けるのです。


  -六 道 について-

輪廻の六つの迷いの世界


〔地獄〕

生き物を殺したり、盗みをしたり、前世で最も重い罪を犯した者が転生する世界。地獄は罪の程度によって更に上下八つの階層に分かれています。

〔餓鬼〕

物欲などの欲望が強く、他者への妬みや恨みが強い者が送られる世界。

〔畜生〕

人間以外の動物や生き物に生まれ変わり、激しい生存競争の中で生きる世界。

〔人〕

また人として生まれ変わる、人間界。

〔天〕

前世で多くの善行を積んだ者が行く世界。しかし、この世界にいても次の転生では他の世界へ行くこともある。

〔(阿)修羅〕

怒りや憎しみが充ち溢れた世界。


この六つの世界で生死を繰り返す限り(輪廻が続く限り)、私たちは苦から逃れることが出来ません。
ずっと迷いの世界で生き続けることになります。

ですから

“迷いや苦を絶ち涅槃の境地を得ることが出来れば、死後は仏のいる浄土の世界へ行けますよ。

その為には修行(六波羅蜜の実践)をしなさい”

と教えているのです。

お出掛け

2010-11-05 23:49:24 | 日記
神戸から東京へ戻って、2ヶ月振りに電車に乗りました。

息子と甥っ子と3人で出掛けました。
行き先は、私の債務整理を依頼した弁護士事務所です。
息子に言われ、初めて弁護士に会いに行ったのです。

私の自宅の処分をどうするか、
自己破産するのか、しないのか、
私が今後再就職ができるのか、どうか、
不正事件をどう処理したら いいのか、
等々を話してきました。

弁護士の先生からは、本人が出て来てくれてよかったと言われました。

あなたはどうしたいのか、と聞かれ、家族に債務が及ばないようにしたい、自分のこれからのことや、将来のことは何も考えていない、と答えました。

何故なら、いま私は長生きしたいとは思っていないのです。

いま死にたいとも思いませんが、死にたくない、とも思っていないのです。

生きることに執着がないのに、私の心は自分でも驚くほど冷静です。

抑鬱症で出社拒否した時の、あの追い詰められた精神状態に比べると、いまの私の精神状態は至って穏やかです。

今の事態が深刻であるにも拘わらず-


こんな例え話がありました-

ある男が、島に辿り着こうと波に逆らって一生懸命に泳いでいますが、一向に島には近づけません。
それどころか疲れてとうとう泳げなくなってしまいます。
仕方なく、波に任せてぷかぷかと浮いていたら、そのうち何処の島に辿り着いたのだそうです。


ただ 波間に
 浮いているだけ

  沈むも漂うも
    波まかせ…