増永先生はドイツのオーケストラで長いこと演奏をしていて、
H・P・シュミッツ(ベルリンフィルにいた)の
レッスンを長期間、系統的に受けて来ていました。
シュミッツの考えの全てを生き写しのように
実践されていたように思われました。
ドイツ語ペラペラで身長も高く、立派な体格をしていて、
それはもう、日本人離れしたというか、
ドイツ人よりドイツ人らしい演奏をしていて、
この出会いで、私は「東京に留学」を確信したのです。
レッスンはまず、音の響きを全身で理解させることから
始まっていました。
アジア的笛の音ではなく、おおらかな力強い響きです。
今でこそフルートが勝手に鳴っている感じですが、
当時の私はそこそこ吹けはしたものの、
とてもそば鳴りでフルートに息を押し付けて
むりやり鳴らしていたのですよね。
この、音作りは最後のレッスンまで
続きました。
H・P・シュミッツ(ベルリンフィルにいた)の
レッスンを長期間、系統的に受けて来ていました。
シュミッツの考えの全てを生き写しのように
実践されていたように思われました。
ドイツ語ペラペラで身長も高く、立派な体格をしていて、
それはもう、日本人離れしたというか、
ドイツ人よりドイツ人らしい演奏をしていて、
この出会いで、私は「東京に留学」を確信したのです。
レッスンはまず、音の響きを全身で理解させることから
始まっていました。
アジア的笛の音ではなく、おおらかな力強い響きです。
今でこそフルートが勝手に鳴っている感じですが、
当時の私はそこそこ吹けはしたものの、
とてもそば鳴りでフルートに息を押し付けて
むりやり鳴らしていたのですよね。
この、音作りは最後のレッスンまで
続きました。
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