岡坂慶紀 作曲「嵯峨野の秋」現代作品を先月末日に録音してみました。
楽譜を岡坂先生から頂いたのは2010年のこと。練習に取りかかるまでの時間もかかっていますが取りかかってからの時間も2年くらいかかっています。
西洋音楽では小節線や小節単位を読みながら演奏するのが常ですが,西洋音楽的拍子感を取り払って、抑揚感を指示通り正確にしかし情緒を持って演奏する『A』の部分。この現代曲の場合、音が生まれて消えて行くというのがスラーひとつで表されていて小節線を感じさせずに(合わせる目安の変拍子の小節線はある)演奏して行く。これが複雑なピアノのリズムを聞き取りながら迷わず複雑なリズムを表現するソルフェージュ力がぎりぎりで、ふっと目を光らせた瞬間に崩壊しそうになる。。
それから拍子らしき感覚は一応ある「B」の部分。フルートに絡んでくるピアノがリズムや対旋律や和声ではなく一本の糸にいろいろな材質の同色の糸を絡ませていて時々同色のラメが入っていたり糸と同じ色のいろいろの形のビーズが編み込まれている様ないろいろな素材で出来た一本の帯紐みたいなイメージというかDNAの螺旋模様を見ている様なというか。いや〜、こちらも演奏しながらピアノを聞き取るのが大変なんです。
そうだなぁ。私は何度か海外で演奏しているのですが,日本人である自分が西洋音楽を演奏していると時々違和感を感じていました。今年の7月に作曲された岡坂先生に「現代邦楽として捉えれば良いですか?」とお聞きしたら、「いえ、現代曲として」とのお話で、「日本人としてのアイデンティティを大切に意識して作曲しています」とのお話。岡坂先生はこの作品をとても緻密にかかれていたのでニュアンスの精密さがとても難しかったのですが、札幌の11月の桜の紅葉の下を歩きながら録音を聴いていると秋が深く心にしみる。自分の演奏なのに。こ難しそうに書かれていますが単純に聴いていると耳にも優しい良い曲です。
そうそう、亡き恩師☆増永先生が仰っていたのですが「まず作品があってそれを伝えるために記号を記しているんです。ですから楽譜に書けないことも沢山あります。紙の上にはこうしか書きようがなかったと考えられませんか?」というふうに言われたことをひしひしと思い出しました。岡坂先生の記譜はこの雰囲気を表すためにこう書かなければ演奏家に伝わらないということですね。細かく書いてくださってよかった。そんな感じで日本人としての誇りを持って演奏できる作品に出会えて幸せだな良かったなとフルートを手にして思う次第でございます。そして、とにもかくにも猛練習を積んだので、いつかどこかで披露出来れば良いかなと思います。
録音後にお聞きしたのですが,岡坂慶紀先生は今年10月4日に逝去されていました。心からご冥福をお祈りし素晴らしい出会いに御礼を申し上げます。
2017年7月 岡坂先生と私