20代の頃はいろいろな曲がやってみたくって
片っ端から練習していた。
フルートの有名な曲でやったことの無いのなんてほとんど無い。
最近は手を付けるにも、曲を選ぶ。
目新しければ良いと言うものではない。
駄作で世に広まらないフルート作品は山のようにある。
そういう作品は演奏していてわかる。
説明がつかないところが多いのだ。
あいている五線譜を埋めただけだな・・・
音楽の骨格にも飾りにもなっていない・・・
埋もれた名作ももちろんあるだろうが、
有名になった曲はやはり光るものを持っているのだ。
逆もまたしかりで、聴いて面白く感じるが、
演奏してみて、内容のなさに気づく時もある。
その手の曲は自分の企画する演奏会では使わない。
ばかばかしくて練習時間が惜しくなる。
一般受けするのが悲しいところ。
お師匠様の名言がある。
「音楽にも必然性があるんです」
「全ての音には意味があるんです」
「なんとなく吹くところがあってはいけません」
おかげサマで演奏にうるさくなったが作品にも手厳しい私。
最近は作品の前で作曲家に敬意を持ち
楽譜に表されている音楽に
心から感動している自分
と向き合いたい。
と、切に願っている。
片っ端から練習していた。
フルートの有名な曲でやったことの無いのなんてほとんど無い。
最近は手を付けるにも、曲を選ぶ。
目新しければ良いと言うものではない。
駄作で世に広まらないフルート作品は山のようにある。
そういう作品は演奏していてわかる。
説明がつかないところが多いのだ。
あいている五線譜を埋めただけだな・・・
音楽の骨格にも飾りにもなっていない・・・
埋もれた名作ももちろんあるだろうが、
有名になった曲はやはり光るものを持っているのだ。
逆もまたしかりで、聴いて面白く感じるが、
演奏してみて、内容のなさに気づく時もある。
その手の曲は自分の企画する演奏会では使わない。
ばかばかしくて練習時間が惜しくなる。
一般受けするのが悲しいところ。
お師匠様の名言がある。
「音楽にも必然性があるんです」
「全ての音には意味があるんです」
「なんとなく吹くところがあってはいけません」
おかげサマで演奏にうるさくなったが作品にも手厳しい私。
最近は作品の前で作曲家に敬意を持ち
楽譜に表されている音楽に
心から感動している自分

と、切に願っている。