「そうだ、京都に行こう」とはぜんぜん思わない私だけれど
西洋音楽をやっている東洋人としては
日本人のアイデンティティについてちょっと考えたりする。
とても少ない私の経験からだって自国の文化がわからずして
どうやって西洋音楽を演奏するんだ?と言う気分になるんだから。
沢山情報があっても伝わらない物はたくさんある。
空気 水 温度 匂い 質感 湿度。
漂う時間の感覚もちがう。一番重要なのは何だろう。
恩師増永が音楽の向こうにあるモノが見えていなければならない。
みたいな事を言っていたっけ。
ヨーロッパに行って演奏会をすると何だか変な気分になるのは
自国の文化でない所に足をつっこんでいる感覚があるからかな?
欧州で暮らして演奏している日本人はどう感じているのかな?
慣れたら違うかしらね?
とにかく戦後京都が無事であった事は有難かった。
諸外国からの観光客はみんな京都に足を運ぶ
「NIPPON」の象徴は首都「TOKYO」じゃなくて「京都」
いやね、ワタクシ、日本人ですけど生粋の道産子な訳で、
ヨーロッパの外国ワクワク指数は当然とっても高いのだけれど
私にとって感覚的に京都もかなり外国なのよね。
京都より欧州の訪問回数の方が多いし・・
うーん。何をぐだぐだ言ってるんだ? と、思われるでしょう。
今、京都を題材にした現代曲をやっているんです。
精神性、空気感、何となくわかるけど入って行けない。
「現代邦楽と日本人による現代作品とは違う」と気付いた
芸術の秋でございます。(多分続きます)