一宮クリスチャン・チャーチ

  絵手紙とみ言葉で綴る信仰雑感

バビアナ

2022年04月26日 | 花さんの絵手紙
紫の小花が可愛い♪




好きな花だ!
何といっても勢いがある。





吸い込まれそうな赤紫の芯。
透き通った花弁、紫色というのは魅力的な色だ!



「エルサレムの娘たち。私はケダルの幕のように、ソロモンの幕のように、黒いけれど美しい。」
                              雅歌1:5


自分で自分の肌を黒いと言うことは、この娘は自分の容姿に引け目を感じていたのだろうか。
日に焼けた黒い肌は、とても健康そうで魅力的に見えるが・・・

最近の女性は、日焼けクリームをタップリつけてから外出する。
と、思う。
日焼けが将来しみをつけるからだろうか。
そういえば私自身も顔にしみが出てきた。(-_-;)

話は戻って、宮殿にいる女性たちは色白だったのだろう。
この娘は恥じらいながら、花婿に呼びかけたのだ。

「黒いけど、どう?」

それに花婿は答える。
「女のなかで最も美しい人よ・・・」(*゚ー゚*)ポッ

いいなぁ~
こういう時代があったのかなぁ~


白、黄、黒・・・

色なんか関係ねーや!

そうだ、何で差別するんだ!
神様はすべての人をそのままで愛しているんだ!

まあまあ、落ち着いて・・・ね。('_';)汗



皆様にも平安がありますように。(^―^)ニコリ

では。


クサボケ

2022年04月15日 | 花さんの絵手紙
赤い花が可愛い♪





ボケとはまた奇抜な名前だと思った。
漢字では、「木瓜」と書く。
これが何でボケになったのかと言うと、諸説あるようだが、私的には「モケ」から転訛したというものが受け入れやすい。

昔、我が家にこの木があり、意外と大きな実(瓜)をつけるので、いつも驚いていた。
でも、怖くて実を食べたことはなかった。

また意外と枝が絡み合うので剪定をしたが、トゲが痛かったことを覚えている。
背丈は低く何となく横に広がって行くので、あれはクサボケ(草木瓜)だったかも知れない。

もちろん、今話題にしているのは昔の話で、観ているのは隣の家のもの。
こちらは少し大きいので「ボケ」だな。
「隣の芝生は青い」じゃないけれど、いいなぁ~ ♪
一本植えようかな。

花言葉に「一目ぼれ」というのがあった。
小さな真っ赤な花がこれでもかと咲いている。
どうりで魅せられるわけだ。(*゚ー゚*)ポッ





しかし、それにしても真っ赤によく咲いているな。
ボケなんて可哀そうだ。(-_-;)


「悪いことばをいっさい口から出してはいけません。
ただ必要な時、人の徳を養うのに役立つ言葉を話し、聞く人に恵みを与えなさい。」 エペソ人への手紙4:29



今日も平安でありますように。(^―^)ニコリ

では。


キンギョソウ

2022年04月11日 | 花さんの絵手紙
ほんわかした花びらが可愛い♪





茎がしなしなのランみたいな花が鉢一杯に咲いている。
妻は金魚草だと言い張る。
別に何でもいいけど、試しに鼻をつまんでみた。
そうしたら、口を開け、雌しべのあるノドチンコが見えた。m(_ _)m
このような花姿を仮面状花冠と言うらしい。



「ハナつまみ口開きたり金魚草」


ゴマノハグサ科の花と言うが、どうしても「ゴマノハエ」と読んでしまう。
獲物が近づくまで口をつむぎ、その時が来たら大口を開け、パク!と正体を現す。
こわー!


詐欺が横行する現代。
時代について行けない年寄りをターゲットにしている。

あーあ。昭和が懐かしい~ (-_-;)


「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」ペテロ第一の手紙5:8


皆様にも平安がありますように。(^―^)ニコリ

では。


モクレン

2022年04月08日 | 花さんの絵手紙
ピンクの小花が燃えているようだ!





ご近所にある木蓮は外が紫で中が白いので「サラサモクレン」と言うのでしょうか。
ハクモクレンとシモクレンの混雑種ということらしいです。
白モクレンも紫モクレンも嫌いではないけど、絵にするにはこの中間が面白いのです。






「モクレンや垣根を越えた賑わいぞ」


木蓮は花が蓮に似た木という見立てで付けられた名前ですが、
学名では liliiflora で「ユリのような花」です。
中国原産と言われているので、やっぱり木蓮の方がしっくりきますね。



「まことに、人はみな、盛んなときでも、全く空しいものです。」詩篇39:5


木蓮が満開で、何か元気がもらえそうなのに、上記の詩篇は元気を失わせるようなみ言葉です。
しかし、このみ言葉は神なき人生のはかなさを教えるものです。

聖書は、神なき人生はむなしいと説きます。
だから、盛んな時に、大事なものを見落とさないように歩む必要があるのです。

私は大丈夫と確信を持って言える人生、いや、日々でありたいですね。


皆様にも平安がありますように。(^―^)ニコリ

では。