一宮クリスチャン・チャーチ

  絵手紙とみ言葉で綴る信仰雑感

カンボケ

2017年12月09日 | 花さんの絵手紙
緋色の花びらが可愛い!



緋木瓜とも言うらしい。
木瓜は同じで、寒い時期に咲くので寒木瓜だ。
冬物春物的なイメージだが、わざわざ寒いときに咲くのは奉仕精神に溢れている。

花言葉には「熱情・平凡」とあった。
確かに暖かいときに咲くのは平凡だ。
寒いときこそ咲こうという、その心意気に乾杯だ!(´・△・`)はぁ~





聖書の言葉
「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
    イザヤ書9章7節


イエス・キリストの誕生と共に語られているメシヤ王国の預言。
メシヤなるキリストによって支配され、その平和は限りなく続く。
いわゆる千年王国のことかな。

世の中に真の正義がなくなったような現代。
人々は金と物に執着している。
かく言う自分もゼロではないが・・・(-_-;)

しかし、平和を願う者としては、今のように悪にがんじがらめにされた世界は終わって欲しいと思う。
そして希望はある。
「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」と聖書に書かれている。
神にしか、この堕落した世界を一新させてくれるお方はいない。

すでに預言の半分、メシヤの誕生については成就している。
次はメシヤ再臨の成就だ。

「主の熱心」嬉しいお言葉!
寒くてもボケないように、主を待ち望むのだ。

だから、希望をもって、今日も明るく生きよう!(^―^) ニコリ

今日もお元気で!
ではまた。

マユミ

2017年12月07日 | 花さんの絵手紙
赤い種子、ピンクの実が可愛い♪



晩春に咲く白い花はまだ見たことがない。
これも可愛いようだ!
やはり1本、庭に植えなくては・・・

和名は「真弓」で、弓の材料になったようだ。
実には毒性があるとか。子孫繁栄のための自衛手段かもしれない。

花言葉には「真心・あなたの魅力を心に刻む・艶めき」とあった。

見たら忘れないし、印象深いイメージだ!





聖書の言葉
「ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。」
ルツ記4章16節


聖書の中で打たれ強い女性と言えば、ナオミだ。
外国にあって、主人に死なれ、息子たちにも死なれ、次男の嫁と祖国に帰還した。
近所の人に、ナオミ(快い)と呼ばず、マラ(苦しみ)と呼んでくれというところまで、落ち込んでいた。
しかし、神の導きに柔軟に対処した結果、彼女はナオミに復活した。
次男の嫁が授かった子供はあのダビデの父エッサイとなったのだ。(*゚ー゚*)ポッ

その幼子を抱いているナオミの喜ぶ姿が目に浮かぶようだ。
主の民に絶望はない。
希望、そして喜びの人生だ。

マユミもそんな賢い木なのかも知れない。 (^―^) ニコリ
 
今日もお元気で!
ではまた。


マンリョウ

2017年12月05日 | 花さんの絵手紙
実の赤色が濃い!



センリョウより実が多いのでマンリョウと言う。
ジュウリョウがやぶこうじ、ヒャクリョウがからたちばな。

よく観ると、葉にそれぞれ特徴がある。
万両が一番濃い緑。
どおりで万両の実は良く映える!

花言葉には「金満家、財産、慶祝」とあった。
縁起花のイメージだ!





聖書の言葉
「銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られてよい器ができる。」
    箴言25章4節


マンリョウとセンリョウを比べると、マンリョウには申し訳ないが、センリョウの方がセンスが良いように見える。
だから、センリョウが金でマンリョウが銀に見えてしまう。
もちろん名前が似ているだけ。花はみな違うので比べることはできないが・・・。

実の付き方が下と上の違いもあるけど・・・。

物の価値観というのは、人によって違う。
昔、金よりも銀の方が価値が高かったとか言われる。(-_-;)
それによって日本は大損をしていた?(´・△・`)はぁ~
知識力に左右されるかもしれない。

いずれにしても、「かなかす」を除かなければ、真価は発揮できない。

人間も同じ。成長するには、「かなかす」を除く必要があると聖書は言う。

しかしながら、自分で「かなかす」を取り除くのは難しい。
「知っちゃいるけどやめられない」が人の本性だ。
神と他人の助けが必要だ!
そう思って、素直になろう!(^―^) ニコリ

今日もお元気で!
ではまた。


ハボタン

2017年12月02日 | 花さんの絵手紙
何とも艶やかな色。
花としては大物でボリュ-ム満点。(^―^) ニコリ



なんでもまとまらないキャベツ(ケール)を改良したものとか。
丸葉系、ちりめん系、さんご系等々様々な改良が進み、
今度は生け花やアレンジメント用に小花仕立も盛んとか。 (¬ω¬) ふ~ん

花言葉には「祝福、利益」とあった。

大きいものには福がある、かな?





聖書の言葉
「我らの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。」
    詩篇147篇5節


聖書の神の偉大さを褒めたたえている言葉。
しかし、果たして、人はその偉大さを実感しているのか?

そういう自分も怪しい・・・かな。(-_-;)

確かに聖書の中の神は偉大だ!
そして、その時代に生きていた人々にとっては凄いことだ!

その神が見えなくなって、信仰の中にしか現れないとしたら。
想像の中の神にしか思えなくなっても仕方がない。(¬ω¬) ふ~ん

世の中、悪いことだらけ。
もちろん神は悪くない。悪いのはみな人間だ!
今の神はそれを放って置かれるように思う。

しかし、不思議だ!
神を思うと心が安らぐ。

これが神の凄さかもしれない。

はや師走。
クリスマスが間近だ。(^―^) ニコリ

今日もお元気で!
ではまた。