一宮クリスチャン・チャーチ

  絵手紙とみ言葉で綴る信仰雑感

皇帝ダリア

2020年11月27日 | 花さんの絵手紙
たかっ!



2年ぶりのお目見え。
いつ見ても華やかな咲きぶりだ♪




「雨に咲く皇帝ダリア意気盛ん」

雨の冬寒日。
庇を越えて気丈に咲く皇帝ダリア。
名前に相応しい姿だ。

今年、台風の上陸がなかった九十九里。
どの家のダリアもすくすく伸びて咲き誇っている。
平和だなぁ~ (^。^;)ホッ
コロナ、忘れそう。


聖書の言葉
「ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」
                       第一テサロニケ5:6



キリストの再臨を熱望した初代教会の信者たち。
使徒パウロは、浮つかず、普段どおりの落ち着いた生活をと指導した。

キリスト教は現世の生活を軽んじてはいない。
むしろ、感謝し有意義に過ごすことに努めている。



コロナ感染もまた上昇気味になって来た。
しかし、この状況が永遠に続くわけではなく、しばしの辛抱だ。
庶民は落ち着いた生活をし、政府に期待し、嵐が過ぎ去るのを待つのみだ。

自分の手の届かないところは神にお任せ。
それが、安心立命の極意なのだ。(^―^)ニコリ

では。


サネカズラ

2020年11月17日 | 花さんの絵手紙
ウ~ム、いい色だね♪



美味しそう!



「枯れ木巻く赤いかんざしサネカズラ」

ススキやセイタカアワダチソウの色が変わってきた。
散歩道は冬の気配が感じられる。

色物が陰りを見せているのに、このサネカズラらは日増しに艶が出てきた。
別名は「ビナンカズラ」なので、妙に納得がいく。



聖書の言葉
「だから私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、
内なる人は日ごとに新しくされていく。」
                第二コリント4:16

年寄りにとっては嬉しいみ言葉だ。
希望があれば足取りも軽くなる。

植物に再生の力が与えられているように、
人にも不思議な力が備わっている。

霊の新生だ。
霊の活性化と言ってもいい。

ここにスイッチが入れば、しめたもの。

どのスイッチを入れるかは人間の選択だが、
イエス・キリストというスイッチはフィットする。

世界の全てはこの愛の神から始まっているのだ。
この神の愛を知ったら、毎日がウキウキ、ランラン!

コマーシャルのサプリメントより効果抜群、言うことなし!(^―^)ニコリ

では。


小菊

2020年11月10日 | 花さんの絵手紙



小菊が可愛い♪




「バラ隠し背高い花は小菊かな」

立冬と共に風が冷たくなった。
自庭の花もまだ賑やかで、四季咲きのバラも咲いている。
そのアンジェラを隠そうと立ちふさがったのが紅紫色の小菊。
2mに届かんとするその茎の長さに、ため息も出た。
台風が来なかったので順調に伸びたのだろう。
が、案の状、妻に切られてしまった。(-_-;)
勢いと気持ちの上では上をいく妻だが、気が付いた時はすでにスッキリしていた。
もちろんすべて切られたわけではないが・・・

無邪気に伸びた小菊たちが悪いのだ、と責任転嫁。
管理は人間の責任なのだから仕方がないと納得し落ち着いた。
他の腰高の菊たちは素知らぬ顔で輝いている。


聖書の言葉
「見よ、万軍の主、主が恐ろしい勢いで枝を切り払う。
たけの高いものは切り落とされ、そびえたものは低くされる。」
                イザヤ書10:33

「出る杭は打たれる」という諺があるが、すべてを平均化しようとして神が頑張っているのではない。
その昔、イスラエルを征服しようとしてきたアッシリヤ帝国の滅亡を預言した言葉なのである。

傲慢なアッシリヤ、不信仰なイスラエル、歴史的に見るとその両方が滅ぼされてしまった。
聖書を見ない限り、その背後に神がおられたことは分からない。


妻の行為の背後にも神がおられる・・・ってことはないか。
単にやぼったかったから、床屋さんみたいに鋏を振るったんだね。

しかし、世の中、分からないぞ~!(^―^)ニコリ

では。


イヌタデ

2020年11月03日 | 花さんの絵手紙



ピンクの蕾が可愛い♪




「イヌタデや紅く色づく秋の朝」

枯れ行くあぜ道に、総立ちで賑わっているのはイヌタデだ。
そもそもイヌと名がつくのは役に立たないものという意味ではないか。

そこでちょっと調べた。
別名は「赤まんま」と言ってお赤飯を模しているのだ。
もちろん、お赤飯のように食べられるわけではないが。

花は白っぽく、数も少なく目立たない。
しかし、咲く前も咲いた後も紅く輝き、いかにも満開の如くに振舞っている。

彼らは?それなりに精一杯生きている。
創造者に対して忠実な生き方。
何かいじらしい。
誰が「イヌ」をつけたのか。
命名者は、発想貧しき人間だったのかも知れない・・・m(_ _)m

もっとも、イヌタデに魂はないので、こちらの思惑など関係ない。
普通に輝いている。


聖書の言葉
「心の貧しい人たちは、幸いである。天国は彼らのものである。」
                 マタイの福音書5:3


神の保護なしでは生きられないと自覚した人たち。
しかし、神は彼らを通してご自身の栄光を輝かせるのだ。
たとえ、不名誉な名前、いや、切ない境遇にある者たちでさえも神は用いられるのだ。

イヌタデだって季節になれば、赤く輝いて、
見るべき者を楽しませてくれるじゃないか。
そんな風に生きたいな・・・

生きられるさ、信仰があれば。
そう信じている。

今日はちょっと熱くなってしまった。(^_^;)エヘ

では。