震災の余波が地味に・・・いや、派手に広がっています。
依然行方不明の人も多数いるらしいですが、それよりも原発の方の関心度が高く、
行方不明者の扱いが小さくなっているような。
身内の生死が確認されないことの心労は大変なものだと思います。
原発は大きな問題ですが、せめて家屋の復旧活動よりも、
安否確認を最優先してあげてほしいと思ってしまいます。
各地で募金活動もすさまじく、今や至る所で募金箱を目にします。
中には、「本当に募金目的か?」と思うような箱もあり、募金は正規ルートで行いたい。
有名人の募金活動も活発で、数千万単位の募金がされています。
これから何十年と続く復旧作業、一時だけの募金を大きく取り扱うのもいかがなものか。
有名人が1日街頭に立ったとして、継続しなければ意味がない。
各都道府県が一時的に受け入れ体制をとったところで、1年後、2年後に放り出す
ことになるのではなかろうか。
というふうなこともささやかれていますが、被災者は、そんな先のことは誰も考えていない気がする。
今、寒さから逃れられれば、暖かい布団で寝られれば、温かい食べ物が食べられれば、
それでうれしいのだと思う。
1回こっきりの募金に意味がないことはない。
例えは悪いですが、野良猫にエサをあげることは、一見優しさのようで、明日も明後日もあげられないなら、逆に可哀相なこと。
ではないはず。
野良猫は、1回エサを貰えたからって、明日も明後日ももらえるなんて思っていないでしょう。
今、「エサがもらえてうれしい」ただそれだけ。
明日もらえないから「うれしくない」わけではないのです。
何が言いたいかと言いますと、
する側の勝手な?憶測でつべこべ講釈並べて一歩も踏み出せずにいるよりも、
その場限りでも、1日限りでも、自分で動いている人は素晴らしいと思う。
有名人は、メディアによって過剰に取り立たされるから、「なんだよ、ちょっと募金活動したぐらいで」
みたいに思われがちだけど、それでも、素晴らしいことに変わりはない。
私もささやかな募金をしました。
しました。なんて大げさなものではございません。
自己満足かもしれません。
でも、それでもしないよりは良いと思っています。