いじめにもタイプがあり、一過性のものと慢性的なものがある。
一過性のものは、しばらく耐えていれば何かのきっかけで通り過ぎていく。
前回のブログで耐えることはないと言ったが、耐えて逃れられるものもある。
深刻なのが慢性的なもので、自殺まで追いつめられる子は、
このタイプのいじめに遭っていると思われる。
こうなると「黙って耐える」ことは逆効果。
「あいつは何も言わない」とエスカレートするだけだ。
何でもいいからアクションを起こすことが必要だ。
何でもいい。
周囲に、「お!」と思わせるようなものを自分で見つけるしかない。
見つけられなくても、何でもいいから行動してみる。
学校休んで日本1周サイクリングとか無理矢理にでも、
ちょっと人にはマネできないようなことをしてみる。
世間なんて単純なもので、良くも悪くも、ちょっとしたきっかけで見る目が変わるのだ。
恥ずかしいかもしれない。勇気のいることかもしれない。
両親に反対されるかもしれないし、怒られるかもしれない。
両親・・・・正直ココがネックだと思うのよね。
いじめについて、教育委員会や学校や先生にできることは限られている。
学校側もそれをもっと強く言うべきじゃないかしら。
「あなたの子供はいじめられているかもしれない。
でも、我々にできることには限界があります。
どうしても心配であれば、ご自分でお子様を監視してください。」
と。そして、教室を開放すればどうか?
ムリ?
でも、先生だって24時間全員の生徒を監視するなんて物理的にムリなわけで、
知らないところで自殺されて、その責任を問われてもどうすることもできない。
だからって何もしないというわけではない。
できる限りのことはするし、気を付けてみる。
しかし、「いじめられているらしい」と分かったところでできることが限られているのだ。
それは、「他人だから」「みんなの先生だから」「会社員だから」という部分が手かせ足かせになっているのだ。
だったら、そんな手かせも足かせもない親ならどうか?
その気になれば、学校に乗り込んで校長先生に直訴することもできるし、
教室に乗り込んで監視することだってできるんじゃないか?
みんなのことなんて考えなくても、我が子の為だけを思って行動すれば良いのだ。
別にそれで職を失うわけじゃなし、できることは増えるだろう。
それでもダメなら転校させればいいのだ。
それができるのも親だけ。
やはり、体を張って我が子を守ることができるのは家族だけだと思う。
ぶっちゃけ、最終ラインは家族なんじゃないか。
最終ラインで食い止められなかった家族は、誰かを責めなければやってられないのかもしれない。
自殺はいけない。
と言っている校長先生までもが自殺してしまう世の中なのだ。
もう何が何だか状態だ。
自分の身は自分で守るしかない。(親も子も)
どんな些細な行動や言葉でも、魂の入った言動は人の心に響くと思う。
いじめられて心に傷を受けている家族に言えること。
勇気を出して!!
気合いだぁ~!!
人間、極限状態には、単純な言葉しか出ないものかもしれない
アニマル浜口、ちょっとバカにしてたけど、今は共感できる。