マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

おひとり様の老後に必要なモノとは

2019-12-08 | 老後
おひとり様の老後に、最小限必要なモノとは、一体どんなモノでしょう?
今回は、なんとなくそんなことを考えてみました。

必要最小限の基準を探すとき
自分にとっての必要最小限は、一体何をどれくらい持てば成立するのか。
1人で考えていると、どうしても思考が滞ります。
所有物の引き算をしても、途中で要不要の基本的な軸がズレてくることが、多々あります。

そんなときは、ネット検索をして、必要最小限のモノで暮らす人々が発信している、ブログや動画やコラムを参考にすることにしています。
大体は「ミニマリスト」「ミニマリズム」などのキーワードで検索すると、たくさんの方々が必要最小限のモノで暮らしている様子を知ることができます。

発信者は若い人が多い
そんな風に、ネット検索をしていて、ふと考えたのが、おひとり様の老後を必要最小限で暮らしている方が発信するブログや動画は、あまり見かけないな、ということでした。

まあ、理由は多々あるかもしれませんが、まずおひとり様の老後を現在進行形で過ごしている年代の方には、インターネットそのものに触れていない方が多いのかもしれないということ。
また、インターネット環境はあるけれど、自分の暮らしを大勢の人に発信するという発想が、そもそもないのかもしれません。
もしかしたら、年齢を公表するのが恥ずかしいから、ぼやかして発信している人も、居そうです。
そして、なにより必要最小限のモノで暮らしている方の人数が、もともと少ないというのがあるかもしれません。

逆に、20代から40代くらいの世代は、ミニマリストと名乗ったり、ミニマリズムを取り入れた暮らしを発信している方が多いように感じています。
特に、人気があるブロガーやユーチューバーの方は、20代や30代の方が多い印象です。

ミニマリストの暮らし例
必要最小限という定義ですが、暮らしていくうえで絶対的に必要なモノ+個々人が必要と感じているモノで成り立っているかと思います。
例えば、お金はどんな暮らし方をいていても絶対的に必要で、自分は自給自足でお金は必要ない、という方でも、国へ税金を支払っているはずですし、直接ではなくても間接的にお金が動いていることで、暮らしを確保しているはずです。

しかし、お金以外のモノは、結構人によっても年代によっても違うのだな、ということを実感するようになってきました。
以前にも、少し触れたことがありますが、例えばホテル暮らしをしていて、レンタルできるモノはすべてレンタルしてしまえば、現在の日本では、もうほとんどモノを持たなくていいはずです。
もっとも、そんな人はかなりのお金持ちだと思うので、少数派だと思いますが。

現実的に、ミニマリストの方の場合は、基本的にはワンルームトイレ付物件にお住まいのことが多いです。
バスルーム付の物件以外にも、シャワーのみ付いている物件や、近くに銭湯などがあるという理由で、バスルーム無し物件にお住いの場合もあります。
家電品に関しては、自炊をするかしないかで変わってきますが、外食中心でたまに中食(買ってきた総菜などを家で食べること)をする程度の方は、電子レンジもトースターも持ちませんし、炊飯器や鍋、食器すらないことも。
飲み物を頻繁に飲む方は、湯沸かしケトルをお持ちですが、電気湯沸かし保温ポットはお持ちではない方が多いです。
洗濯機もコインランドリーを利用している方は、持っていません。
ただ、照明器具だけは皆さんお持ちのようですね。
照明器具は、夜になるとどうしても必要になりますからね。
そして、家電品の中でもエアコンは重要なアイテムだと思うのですが、最近の賃貸物件は冷暖房エアコン付きが多いので、ミニマリストの方は、そういった物件を好んで選んでいらっしゃる気がします。

ベッドを持たない方も多くいらっしゃいます。
布団を上げ下げして使う方が、ワンルームを有効活用できるからだそうです。
服は、人それぞれですが、一番少ない人で10着を下回ります(下着はカウントに入っていません)
靴は、1足だけしか持たない人もいれば、ワーキング用とプライベート用で、5足くらいを使い分けている方もいました。

そして、皆さん共通しているのは、固定電話を持っていないこと。
今はスマホや携帯電話があるので、固定電話は必要ではないし、意外と電話機はスペースも占領しますから、ミニマリストの方には、邪魔に感じるかもしれません。

掃除機は、スティッククリーナー、自動掃除機、クイック〇ワイパー系が3大掃除用具のようで、いずれかを皆さんお持ちでらっしゃいますね。

あとは、それぞれが必要としている消耗品や仕事道具をお持ちになっているだけで、本当にシンプルで必要最小限のモノで暮らしていらっしゃいます。

おひとり様の老後とミニマリズム
現在、母が入院しているのですが、入院には必要最小限のモノしか持っていきませんよね。

パジャマはレンタルを利用しています。
紙おむつは、購入したモノを持っていきますが、こちらもレンタルできるモノなので、無理に持っておく必要はありませんし、病状が回復すれば、不要になります。
他は、飲み物を飲むためのコップ、歯をきれいにする用品(母は入れ歯をきれいにする用品)、目が悪いので眼鏡、カトラリー(割りばし、スプーン、フォーク)、綿棒、ヘアブラシ、ボディソープ、シャンプー、コンディショナー、ウェットティッシュ、紙おむつが不要になったときの下着、タオルもレンタルできるのですが、今回は持たせています。
トイレやお風呂は院内にありますし、食事も出ます。
家電品も必要ありません。

しかし、今回の入院でふと過ったのが、老後に必要最小限のモノの中に、車椅子を必要とする日が来るかもしれない、ということでした。
また、車椅子とまではいかなくても、何かの動作をするときに補助する道具が必要になる可能性もあります。
そういう場合は、おそらくベッドも必要な状態だと思われますから、最小限の中に補助具とベッドが加わります。

介護を受ける場合は、お世話してくれる人が不便を感じないように、いろいろなモノを用意しておく必要があると思いますが、おひとり様でも暮らしていける場合は、どんなものが必要になってくるのでしょうか。

例えば、先ほども書きましたがベッドが必要になる可能性は高いです。
実際、私はベッドを使っていますが、今後も手放す気はありません。
壊れても、買い替えてベッドを使います。
理由は、腰痛持ちの私にとっては、寝た姿勢から立ち上がるときに楽だから。
床から立ち上がる場合、案外腰にも力を入れる必要があるということを、20代で腰痛を発症したときに知り、以来ベッドで寝ています。
足腰が弱くなったら、今の私と同じように床から立ち上がれなくなると思いますので、その時はベッドが必要です。

また、老後には歩行の補助具が必要になる可能性もありますね。
杖、歩行用の押し車(荷物入れになっているタイプが多いですね)もそうですし、四肢が自由に動かせても、持病のフォローをするために、外からは見えない器具を装着することもあるでしょう。

家電品も、実を言うと若い方よりは、年配の方の方が必要としているかもしれません。
私の母は、家事の中でも掃除と洗濯は体力的になかなかできませんが、簡単な調理はできる状態で、電子レンジをフル活用しています。
母と同じ状態で、おひとり様の場合は、電子レンジは必要最小限品ですし、鍋や食器も必要になるでしょうね。
買い物難民(スーパーや商店まで買い物へ行けない状態)となってしまった場合、移動スーパーか食材や食品の宅配システムを利用する必要が出てきます。
そうした場合、鍋や食器を利用して加熱する食品を買わざるを得ない状況も出てくるでしょう。

同じ理由で、洗濯機についても、コインランドリーへ行く体力がない場合は必要でしょうし、消耗品は無くなる寸前に買いに行くことができないかもしれないので、ストックを多めに買っておく必要もありますね。
消耗品も、もしかしたら尿漏れパッドやパンツ型紙おむつが必要になると、ストック品が増えることは避けられません。

見守りシステムやヘルパーの導入も、おひとり様には特に必要な気がします。
家族が近くに住んでいたらいいですが、身内が一人もいないおひとり様だと、見守りサービスを受けていたほうが、何かがあったときにケアやフォローを素早くしてもらうことができますし、ヘルパーを頼って家事をしてもらった方が楽ですよね。
健康面での心配が大きい方は、検討すべきことかと思います。

このように、いろいろ考えていくと、老後のおひとり様は必要最小限のモノが増えていく傾向にあるかもしれません。

逆に、もしかしたらお風呂を必要としなくなるかもしれません。
というのも、要支援や要介護の認定を受けた場合、デイサービスの利用が可能になりますが、その際に入浴ができる場合があるからです。
また、家具や雑貨類、服や服飾品も、あまり多く持ちすぎていても管理に困るので、必要最小限だけ持ち、きちんとした服などはレンタルを利用したほうがいいかもしれませんね。

必要最小限のモノで暮らす老後の理想形
思い付くまま、おひとり様の老後に必要になりそうなモノを考えましたが、理想としては、最期の時を迎えるまで、元気に歩いて、おひとり様でもアクティブに外出して、家事もある程度こなし、それを踏まえた上で、いろいろなサービスも利用したいですね。

例えば、食材・食品や消耗品の宅配サービス。
料理をすることは楽しいのですが、おそらく老後は作ることが億劫になってしまうと思います。
また、掃除と洗濯もヘルパーを頼めるのならば、そちらの方がいいような気がします。
もし、自分でできる状態だとしても、身内が完全にいなくなった場合を考えると、何らかの形で他人との接点が必要だと思いますし、いつどうなるかわかりませんから、元気なうちにそういったサービスを受けることで、その後に繋がるのでは?と思っています。
もし、サービスを受ける必要がないくらい元気で健康だった場合は、何かしらのコミュニティに参加したいので、やはり家事にかける時間は省きたいです。
そのための手抜きや時短の方法は、積極的に取り入れていきたいですね。


今、母が入院しているということで「仮想おひとり様の老後」にトライしている最中ですが、身体が自由に動くので、結構ムダな動きをしていることが多いです。
しかし、老後はきっとここまで動くことはできないだろうな、という思いも過ります。
一番考え直したいのは、食事の用意ですが、つい少し頑張った食事を作ろうとしてしまいます。
母は、あと10日くらいは確実に入院生活が続くので、この間に少し修正を加えて、老後の参考にしていきたいですね。

母が受けた内視鏡検査の結果

2019-12-08 | 母のこと
先日、母が極度の貧血で入院したことを記事にしました。
その後、内視鏡で胃の中を調べていただいたところ、以前からあったポリープから出血していることがわかりました。

胃のポリープ
昨年も、たしか10月ごろに貧血で入院しています。
その際、胃か腸から何かしらの出血があるかもしれないから、ということで内視鏡を入れて調べてもらいました。

その時の結果は、大きめの大腸ポリープがあり、そこから出血している可能性があるとのことで、切除してもらいました。
その後、順調に回復したので退院し、経過観察ということで、かかりつけ医に引き継がれました。

今年の6月に、経過観察のひとつとして、血液検査をしましたが、ヘモグロビンの数値は、低くはありましたがギリギリ標準値でしたので、その後普通に過ごしていたのですが、夏ごろから今回の入院までに2度ほど救急搬送してもらいました。
今回見つかった胃のポリープが、もしかしたら原因だったかもしれませんね。
ただ、2回の搬送でははっきりした原因がわからずに、点滴で回復できたので、その日のうちに帰宅した経緯があります。

今回見つかった胃のポリープですが、実は前回の入院時に内視鏡で小さなモノがいくつか見つかっていました。
ただ、ごく小さいポリープは自然に治癒することもあるとのことで経過観察となり、大腸ポリープのみを切除することになったと記憶しています。

内視鏡で切除します
今回は、胃のポリープからあきらかな出血が見られたので、この出血が原因で貧血になっている可能性は高いようですが、やはり確定というわけにはいかないようです。
ただ、出血しているため、血液でポリープが肥大したり破裂したりする可能性があり、今回は経過観察ではなく切除、ということになりました。

切除手術は、来週に決まりました。
切除後、ポリープの検査をして良性であれば、回復のスピードにもよりますが、1週間ほどで退院となるそうです。

現在の様子
入院中の母ですが、付き添いなしでは自由に歩き回ったらいけないということ以外は、家にいたときとたいして変わりがありません。
ただ、立ち上がると貧血で倒れてしまうリスクが大きいので、トイレへは行けません。
ですから、尿を取るための管を着けられていて、なおかつ大の方も行けないので、紙おむつ生活です。

尿を取る管が着いているため、調子が良くても歩き回ることができず、じっとしていることが辛く感じているようです。
家にいるときは、なんだかんだで自分でトイレも行っていたし、家の中を歩くので、今の状態は逆に身体が辛いかもしれませんね。

毎日様子を見に行くのですが、調子の悪いときは長時間寝ていて、調子が良いときは起き上がってテレビを見たり、私と話をしていますが、調子の悪いときを見ている看護師の方は、座って会話をしている母を見て驚きます。
しかし、実を言うとその調子の起伏は、家にいるときと全く同じ状態なのですよね。
トイレに一人で行かせてもらえないこと以外は。

ということは、母の体調は定期的に入院してもおかしくないレベルだったということなのかな?と考えてしまいました。

かかりつけ医で判断していただくことの難しさ
母の最近の体調については、かかりつけ医で何度か伝えました。
しかし、問診だけでは、症状を伝えても「持病(糖尿と心臓)の特徴だからしょうがない」と言われるだけでした。
こちらも、状態の伝え方がわからないので、そういわれたら、はいそうですか、と言うしかありません。
でも、今回のことで、もう少し何かアドバイスをしていただくことはムリだったのだろうか、とモヤモヤしている自分がいます。
もう少し、症状の重大さに気が付いていただけていたら、入院する前に大きな病院で検査して、酷くなる前に予防できたかもしれないのに、というモヤモヤ。
もう少し、自分が上手に伝えることができていたら、何かしらの対策をしてくれていたかもしれない、というモヤモヤ。

もしかしたら、問診だけで他の病状を疑うのは難しいのかもしれませんが、今回のことについては、もう少し何かしらの疑いを持ってもらうこともできたのではないか、という気持ちが払しょくできないので、今後のかかりつけ医とのかかわり方を、見直してみようかとも思っています。

もしもの話
胃のポリープを切除し、良性だった場合に望める母の体調は、

 ・貧血による立ち眩みや、全身の倦怠感が軽減される
 ・立ち眩みと倦怠感が軽減されたら、動き回る頻度が増える(体調の良い時間が増える)
 ・少しくらいの外出は一人でできるようになる

私が望むような回復をしてくれたら、私も仕事に出ることができるようになります。
母の体調は、長時間の作業が難しいので、家事ができない状態ですが、簡単な調理くらいはできるので、これまでのように私が準備しておく手間が減ります。
掃除洗濯は、私が休みの日にまとめてすればいいので(仕事していた時は、そうしていました)経済的にも少し余裕が出てきます。

しかし、もし悪性だった場合、それは「胃がん」ということになるので、今後の私たちの生活がどう変わってくるのか、想像もつきません。
治療も、いったいどんな治療が待っているのかわかりませんし、ステージによって内容が変わるでしょうし、治療費の心配も出てきます。
そうなった場合は、母へのフォローが増えることは間違いないのですが、私も経済的な面で仕事に就く必要が出てきます。
母へのフォロー時間と、働く時間のバランスがとれる就職先を探さなければいけないので、非常に難しい就活になります。

結果次第では、私の仕事の探し方も変わってくるので、少し覚悟のようなものが必要かもしれません。

家族の入院は大変
これまで、私の家族で入院経験が無いのは私だけ。
兄は、若いころから何度か入院生活を経験し、早死にしました。
どうも、身体が弱かったようで、学生のころからバイト先で倒れたりしていました。
たしか、心臓も少し悪かったと聞いています。

父は、私が子どものころは骨折で1度、盲腸で1度入院し、歳をとってから心筋梗塞で入院した後、脳腫瘍の治療で入院。
その後は、脳腫瘍で数度入退院を繰り返し、最期は救急搬送された病院で迎えました。
私が生まれてから、いちばん入院回数が多いのが父でした。

母は、50代に倒れて入院した際に糖尿が見つかり、その後糖尿病の合併症で心筋梗塞になり、入院。
最近数年間は、肺に水が溜まっていて1度入院、貧血で2度入院(大腸ポリープと今回の胃のポリープ)。
いずれも救急搬送です。

私といえば、兄が入院した当時は父と母が対処してくれて、私は大変さがよくわかっていませんでした。
母が糖尿で入院した際は、父が全て手際よくやってくれたので、こちらも私が大変な思いをした思い出はありません。
父が心臓で入院した際は、母が大変だったのですが、まだ兄がいたころだったので、私が忙しいときは多少のフォローをしてくれていたようです。

しかし、父が脳腫瘍で倒れたときは、すでに兄が他界しており、私はフルタイムで仕事をしていたので、母がかなり大変だったようです。
そのころは、母も体調が徐々に悪くなりつつあったと思うので、余計につらかったかもしれません。

今回、家族は私だけの状態で母が入退院を繰り返していますが、1年前の入院時は仕事をしながらの見舞いが辛かったです。
時間的な制限(面会時間)があるので、必要なモノを届けるにも、少ない時間で都合をつけなければいけませんでした。
今は、無職となり経済的な心配が大きいですが、時間だけは自由にあるので、自分の体調と相談しながら毎日病院へ様子を見に行っています。
もし、入院が長引いてしまったら、少し体力的にきつくなるかもしれませんが、今のところ精神面でも体力面でも余裕があります。

収入が無いのは、たしかに痛いのですが、今一番取り組むべきことは、母の回復に関すること。
余計な悩みを抱えるよりは、母のことに集中したほうが、悩みを増やさなくて済むかな、と思っています。
もし、これが仕事をしながら、職場のストレスを抱えて、なおかつ母の入院、看病となると年齢的にも私まで倒れて入院、なんてことも、ありえますからね。
今後はどうなるか、自分でも想像できませんが、もうしばらくは働くことは考えず、母のフォローを続けていこうと思っています。


今回は、更新が少し遅れましたが、実は体調崩して母のお見舞いから帰宅した後、寝ていました。
これは、PMSによるものです。
もう、年齢も年齢なので、はやく閉経してほしいのですが、自分の身体のことなのに自分ではコントロールできないので、とても悩ましいです。
仕事をしているときは、結構無理して出勤して仕事をこなしていましたが、今思えばPMSのときは、一日でも半日でもいいから有休をとって身体を休ませるべきだったな、と思っています。
今は、好きな時に身体を休ませることができるので、無職って大変だけどいい面もあるな、と実感しています(笑)


片付け動画を視聴して気になること

2019-12-06 | 日々の暮らし
片付け、整理整頓、モノを大量に処分するなどの動画を視聴することが、最近の日課になっています。
特に好きなのは、家を丸ごと片付けてしまう、プロの業者があげている動画と、片付けや整理整頓のアドバイザーと名乗る方が、依頼者と一緒に片付けをしていく動画です。

その他にも、いろいろな片付け系動画を視聴しますが、ふと気が付いたことがあったので、綴っておこうと思います。

プロによる家丸ごと片付け動画
主に、粗大ごみの処分や引き取りを中心に請け負っている業者や便利屋、引っ越し業者などがあげている動画です。
私が積極的に視聴するのは、家の中の不要品をすべて“廃棄”する動画です。

業者に依頼している時点で、ある程度は要不要の仕分けができていて、あとは不要品を処分するだけの状態から動画が始まっています。
便利屋の場合は、仕分けから一緒にしていることもありますが、引っ越しや粗大ごみの処分などを請け負う業者の場合は、仕分け自体は依頼者がすることが基本になっている様子で、作業中に見つかる貴重品らしきモノ以外は、すべて廃棄していきます。

この手の動画は、見ていて清々しくなりますね。
特に「汚部屋」と呼ばれるお宅の場合は、家の中の間取りや内装が全く想像できない状態から、家の中すべてが一目で把握できるようになる状態になるので、よそのお宅なのですが達成感を疑似体験できます(笑)

プロの業者の方たちが作業するので、まず手際のよさに感動します。
自分がしている処分の仕方は、ある程度は仕分けが完了してはいるものの、やはり手に取った段階でいろいろな迷いが出てきてしまいます。
それは、未練や思い入れということとは別で、片付けの工程に迷いが出るからなのです。

自分で片付けていると、廃棄することは決めているけれど、自分がごみ集積場まで持っていくことを考えると、後回しにしたり、他のモノを先にごみ袋へ入れたりすることが多くなり、手際がとても悪くなります。
しかし、業者はモノの見た目で判断していくので、分別しながらモノを小さくしていき、効率よくごみ袋へ入れていく様子に見とれてしまうと言っても、過言ではありません。
いつか、自分も躊躇なく手際よく、片付けとモノの処分をして行けたらいいな、と思いながら視聴しています。

アドバイザー系による片付け動画
“系”という言い方は少々失礼かもしれませんが、アドバイザーは明確な職業とは少し違うような気がしているので“系”としています。

この手の動画では、アドバイザーの方が発信する片付けのノウハウやレクチャーのほか、実際に依頼主と共に家の中や部屋の中を、片付けて整理整頓していく内容もあります。
プロの業者との違いは、依頼者と共に片付けていく点です。

この場合、依頼者はまだ、処分したいモノがはっきり決まっておらず、依頼者への聞き取りから始まることが多いです。
あらかじめ、依頼者の思い、部屋(家)の中をどうしたいのか、といった完成予想、そして片付けたいという思いに至るまでの気持ちのプロセスなども明らかになっていきます。
どちらかというと、依頼者の生き方や暮らし方についてのドキュメンタリーのような要素が強い気がしています。

もちろん、片付けと整理整頓のアドバイスやノウハウの伝授もしているのですが、印象に残るのは

「なぜ、モノを処分できないのか」
「なぜ、モノに執着してしまうのか」
「なぜ、同じモノがあるのに、また手に入れてしまうのか」

という問いかけと、それに対する依頼者の気持ちや答え。
片付け動画なのですが、片付けに至る前の心理的な部分を深掘りしている点では、依頼者に寄り添う姿を動画にしているような気がしています。

片付けるときはどちらを選ぶか
私の中では、答えは単純で、処分したいモノがはっきりしているのであればプロの業者を選択し、モノときちんと向き合いながら片付けと処分をしていきたいのであれば、アドバイザーの方と一緒に作業することを選択します。

例えば、遺品整理をするとして、遠い親戚の遺品や家を自分が処分することになった場合、思い入れのあるモノなどは、ほぼない状態だと思いますので、業者に依頼して何も考えずにすべて処分したほうが、効率がいいですよね。
貴重品やお金が出てきたらどうするのか、という心配も無用で、悪徳業者でもない限り、貴重品やお金に関するモノは、きちんと分けて、依頼者へ返してくれます。

しかし、同居していた家族の遺品整理となると、業者に丸投げすることはしたくありません。
遺族が所有していたモノを、ひとつひとつ確認してから、処分するかどうかを決めたいです。
ただ、遺品の数が多すぎる場合、1人でモノと向き合っていると精神的にも体力的にも消耗することは否めません。
ですから、アドバイザーの方のような第三者を入れて、気持ちとモノの両方の片付けと整理をしていく必要があると思います。

また、片付けと整理整頓の方法を継続していきたい方は、アドバイザーを介したほうがいいですよね。
業者の場合は、不要品を処分することがメインであり、整理整頓のプロかと言われたら、そこはジャンル違いなのだろうと思います。
分別の仕方や、捨て方のノウハウはパーフェクトですが、家人が住みやすいように整理整頓する技術のノウハウは苦手かもしれませんから。

動画を視聴して気になること
片付け動画を視聴していて、気になってしまうことがいくつかあります。

ひとつは、モノを処分する際の基準です。
業者の動画では、すでに処分するモノだけが家の中に残っていますので、基準を把握できない状態で視聴しています。
もし、必要だと判断したモノを見ることができたら、自分のモノを片付ける際の参考にしたいのですが、そういう目的で動画をあげているわけではないでしょうから、そこはモヤモヤとしたまま最後まで動画を視聴します(苦笑)

これが、アドバイザーと依頼者が一緒に片付けていく動画の場合、依頼者それぞれの理由や暮らしで違いはあれど、処分するモノの基準が、ある程度は把握できるので、自分が片付ける際の参考にしやすいです。
実際、モノを処分する際の作業に行き詰り、その解決方法に近い動画を見て、作業を再開したことがあるので、自分自身で片付けやモノの処分をするのであれば、動画視聴はとても役に立ちます。

次に気になるのが、業者が片付けをしている動画に関してなのですが、分別したごみを最終的にどのように処分しているのか、という点です。
粗大ごみもあれば、リサイクルごみや一般的なごみもあり、それぞれ処分の仕方は自治体によっても違います。
普通に自分で処分する場合と、業者が一度に処分する場合とでは、少し事情が違っているはずなので、その違いが知りたいですね。
そして、できれば環境問題などに配慮した形で、自分もモノを処分したいです。

アドバイザーと依頼者が一緒に片付けるスタイルの動画に関しては、依頼者が不要品を売ろうとする心理が気になります。
普段から、不要品を売る作業に慣れていたら、おそらくアドバイザーへ依頼しなくても、家の中にあるモノは一定量で保てているはずで、片付けも違った視点で取り組むはず。
しかし、この手の動画では、手に取った、あるいは久しぶりに目にしたモノを「もったいないから売ります」といって保留してしまうことが多いです。

もしかしたら、依頼料の分だけ取り戻そうとしているのかな、と考えたりもするのですが、実際はどうなのでしょうね?
私は、自分にとっての不要品が売れるモノであるとは考えられなくて、私が不要なのだから他人も不要、と基本的には思っています。
実際、それが無くてもその他人は今まで生活できているわけですから、本当は不要なはずですよね。
不要品を売りたいと考えてしまうのは、最終的には自分がよければ他人のことは知らないよ、という心理が根底にあるような気がします。
プロのバイヤーでもない自分が、自分の所有品の市場価値を見極めたり決めたりすることは、ムリですからね。

もうひとつ気になる点があり、それは、アドバイザーのアドバイス内容。
不要品を仕分ける際の基準を決めたりする過程は、納得できるものもあるのですが、収納に関する技術については、我が家とは事情が違いすぎて、まったく参考にならないことが、結構あります。
例えば、小物収納などは、小さい入れ物を複数用意して、カテゴリー別に管理することをお勧めするアドバイザーが多いのですが、私はその小さい入れ物を揃えることが嫌いです(苦笑)
というのも、揃えるためにわざわざ買わなくてはいけなくなりますし、カテゴライズされたモノの量や大きさで、同じ入れ物では持て余したり、足りなくなったりする場合が多いからです。

100円ショップなどの道具を使う収納も、実は嫌い。
一見便利に見えるのですが、下手に道具を利用すると、掃除する際に邪魔になることが想像できる使い方が目立ちます。
不要品の処分や、部屋の片付けの最終目的は、部屋や家の中を衛生的にも見た目にもきれいに保つことだとしたら、ちまちまと道具を駆使した収納は、少し違うのかな、と感じてしまいます。

誰かと一緒に片付けるということ
動画で発信することを前提で、片付けを依頼する人というのは、誰かに手伝ってもらうことで自分の負担を軽減することだけを求めているわけではないのかな、と思っています。
そこには、きっと、もう処分しなければならない、持っていても仕方がない、だけどどうやって気持ちに踏ん切りをつけたらいいのかわからない。
だから、自分の暮らしに関わってこなかった第三者に背中を押してもらいたい、という気持ちなのかな、と想像します。

そういった方は、一気に片付けてしまう業者ではなく、対面で片付けのアドバイスをくれるアドバイザーへ依頼することが多いかもしれませんね。
逆に、モノに対する思い入れや、例えば故人への気持ちをモノに込めていない私のような人間は、業者に頼んでまとめて処分してもらう方が、合っています。

いずれにしても、第三者が介入することで片付けを進めていくということが重要だと感じます。
自分ひとりで、あるいは家族だけで片付けをしていると、身内であるために思いがぶつかり合うことも、ときにはあります。
すると、片付けは滞ってしまうし、下手をすると片付け自体が中止になってしまうことも。
こういうとき、冷静に客観的意見をしてくれる第三者の存在は、とても大きいと思います。

だから、動画で自宅や自室の汚さや煩雑な様子をさらけ出しても構わないから、自分が信用できそうな第三者のアドバイザーやプロの業者を探す意味でも、動画の存在は助かりますよね。

もし、時間的なことや費用に関する問題があっても、動画を視聴することで、ある程度は気持ちに踏ん切りがついたり、片付ける際のアプローチを変更したりできますから、第三者の存在を求める人にとって、動画はとても大きな意味を持つのだと思います。


今でこそ、片付け動画は人気があり、コンテンツもたくさんありますが、終活の手始めに片付けを進めている私にとっては非常にありがたい存在です。
最近は、とくにアドバイザーの資格も持たず、プロの業者でもない、自称ミニマリストの方が、知人や依頼者のお宅へ伺って、片付けの手伝いをするスタイルの動画が気に入っています。
気に入っている理由はいろいろあるのですが、いちばんの理由は、なにも押し付けたり決めつけたりせずに、部屋や家の持ち主の気持ちに寄り添って、一緒に片付けだけをしているからだと思います。
片付けを心の底からしたいと思っている人は、技術やノウハウを知りたいわけではなく、ただ一緒に片付けてくれる人を求めているだけなのかもしれませんね。

まだ押し入れに残っていた不要品を処分する

2019-12-05 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
母が入院しているので、隙間時間が増えました。
今がチャンスなので、押し入れに残っている不要品を、なるべくたくさん処分したいと思っています。

ちなみに、勝手に捨てているわけではなくて、以前押し入れの中で不要なモノは、すべて処分してよいと、母から許可を貰っています。

魔窟だった押し入れに残っているモノ
以前、『魔窟(押し入れ)に足を踏み入れた』の記事で、何が入っているのかさえ分からない、魔窟化した押し入れの整理整頓と不要品を処分したことを綴ったのですが、その後、そのときに処分を後回しにした不要品が、結構残っていました。

最初に着手したときは、とにかく目立って邪魔な不要品、今後一生使うアテがないモノ、時代遅れのモノ、存在を忘れていたモノなどを中心に、処分をしました。

今回は、その際に確認できた重複しているモノで、必要だが数は要らないモノを中心に、処分することにしました。

重複していたモノは、

 ・布団のかけカバー
 ・ピローケース
 ・シーツ
 ・謎の布(おそらくソファーカバー)
 ・物干し用ハンガー(風に飛ばされないアイデア商品)
 ・風呂敷
 ・洋服カバーやタンスシート
 ・衣類圧縮袋
 ・布団収納袋

など、あれば使えるモノばかりですが、必要数を完全に超えていたり、今のライフスタイルから考えると、不要になってしまったモノばかりです。

この中から、必要数だけ取り出して、あとは処分です。
ざっくりとしたカテゴリーで分けると、寝具、洗濯グッズ、収納袋の3つですね。
このほかにも、カテゴリーに分けられず、放置していたモノがあります。

寝具の必要数
寝具については、どれくらいの数が必要なのか把握しないまま、魔窟の不要品を処分していたので、最初は気に入らないデザインと経年による汚れが付いたもの以外は、残していました。

かといって、全部必要だったと考えたわけではなく、時間ができたら自分で必要数を決めて、残りは処分しよう、と決めていました。

まず、必要最小限は一体どの程度なのだろう、と考え、出した答えが、

 ・お客様用1組
 ・母と私の予備を2シーズンで各1組ずつ(使用している分を含め2組ずつ)

です。

お客様用についてですが、頻繁に人が泊まりに来る家ではないものの、可能性がゼロとはいえず、遠方に住んでいる親戚が泊まる可能性が十分あるので、お客様用は一応1組だけ所有することにしました。
お客様用ですから、そんなに長く滞在する可能性はありません。
寝具は、1組あれば十分だと判断しました。

母と私が使う寝具については、2シーズンに付き1組(使っているモノを含めて2組)ずつと考えました。
夏場に使う薄手のモノと、冬の寒い時期に使う厚手のモノで、1人につきトータルで4組の計算ですね。

残す寝具については、私がデザイン的に許せるモノが基準です(笑)

洗濯グッズの必要数
洗濯用のハンガーというのは、ハンガーの引っ掛ける箇所がクリップ式になっており、洗濯竿に下げていても強風などで飛ばされる心配がない、アイデア商品です。
その洗濯用ハンガーが、大量にありました。

最初の魔窟整理の際は、母の服が大量に残っていたので、必要数が見極められずに、処分を見送っていました。
最終的には、現在は部屋干しをしている私にとっては、無用の長物ですし、私の洋服収納が、ハンガーにかけて干した服は、ハンガーのままクローゼットへ収納する、というスタイルなので、アイデアハンガーは不要です。

また、アイデアハンガーの別商品で、幅が変えられて衣服の着脱が簡単にできるハンガーも、大量にありました。
こちらは、衣服の整理整頓をする際に、多少必要になるときがあるので、10本残してあとは処分。
アイデアハンガーの他にも、普通のハンガーが残っていましたが、それらはデザインが統一されていて、使いやすいものを10本ほど残しました。

残すハンガーが多すぎる印象ですが、すべてプラスチックでできており、これまでの経験から、壊れる周期が割と短いので、半分使い捨てるつもりで、20本ですね。

収納袋の必要数
衣類用の圧縮袋は、旅行のときや衣替えで使わないシーズン衣類をしまうときに、省スペースで収納できるという利点があります。
以前は、旅行するたびに使っていた時期がありますが、だんだんと空気を抜いて圧縮する作業を苦痛に感じて、旅行の際は衣服をコンパクトにたたむ方法に落ち着きました。

モノを大量に処分して、片付けた経験がある方には共感していただけると思いますが、モノが減ると特に服や布団を圧縮する必要性が、感じられなくなりませんか?
防虫効果は望めるのですが、空間ができたおかげで、他のモノを収納できないから圧縮袋を使う、という選択肢がなくなるのですよね。
そして、先ほども書きましたが、圧縮する手間と取り出すときの手間が、だんだんと億劫になってきて、効率化や時短の視点で考えても、圧縮袋は不要だと感じたので、処分することにしました。
布団の収納袋も、同じ考えで処分です。

ソファーカバーらしきモノは、デザインがまあまあなモノを2枚残しますが、目下の悩みは将来ソファーを手放したいと考えていること。
今は、常に母が使っているので、捨てるわけにはいかないのですが、私が一人になった場合は大きすぎて持て余してしまうので、処分するのが妥当かな、と。
そうなると、ソファーカバーの類はストックが無くてもいいとは思うのですが、念のため1枚だけデザインがまあまあなモノを残します。

風呂敷ですが、昭和戦後までに生まれた年代の方は、風呂敷を大量に持っていませんか?
現代のように、引っ越し業者が段ボール箱や収納袋を用意してくれるサービスがなかった時代ですから、引っ越しやモノを運ぶ際に、風呂敷が大活躍した世代です。
訪問するお宅への手土産を包んでいたのも、風呂敷です。

しかし、今はお店の紙袋のまま持って行き、風呂敷に包み変えることは習慣として廃れてしまいました。
ごくたまに、和服姿の女性が風呂敷に何かを包んで持ち歩いている姿を見かけますが、それも数年に1度程度です。
何かよほど条件を指定されない限りは、もしくはファッションの一環として使用する以外では、風呂敷を使うシーンはほぼありません。
ですから、比較的キレイな大ぶりの風呂敷を1枚、小さめの風呂敷を2枚残して、あとは処分しました。

洋服カバーやタンスシートについては、防虫効果があるので、使うかな?と考えたのですが、効果は1年ほどと書かれていて、1年後に取り換えるかと言われたら、絶対に取り換えません(笑)
ならば、最初から使わなければいいだけのことですので、処分することにしました。

ひとまず大きい袋2つ分をごみへ
今回も、処分を決めたモノはすべて家庭ごみとして捨てます。
中には、リサイクルショップで引き取ってもらえる状態のモノがありますが、少量ですしブランド品でもないので、おそらく数十円から数百円にしかなりません。
誰かに使っていただくという気持ちや、エコロジーを意識すると、数十円の買い取り額でもリサイクルショップへ持ち込んだ方がいいのかもしれませんが、時間を取られてしまうので、手早い方法を選ぶことにしました。

ごみ袋の数は、2袋まで。
その2袋からはみ出た分は、次回の家庭ごみ回収日に出します。
一度に全部を捨てるのは、体力的に厳しいので、いつも出るごみの袋と合わせて3つまでなら大丈夫、という自己基準です。


今回の処分は、後回しにしていたモノに着手しただけなのですが、仕分けをしているうちに、以前は必要だと感じて残していたモノでも、今、手に取ってみたら「要らない」という感情が湧きました。
モノを処分しようと、片付けを始めても、不要なモノが少ないと感じることがあります。
きっと、そのときは不要品だと思うだけの判断材料がそろっていないのでしょうね。
ところが、時間が経ったことで不要品と判断する材料が整うのか、すぐに不要品だと判断することができました。
処分できないモノがあっても、時間をおいて何度も手に取ることは、大事なことなのかもしれませんね。

家を丸ごと片付けるテレビ番組(ネタバレです)

2019-12-03 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
昨日、テレビ番組で、2軒のお家を丸ごと片付けて、整理整頓する様子が放送されました。
この番組、私は初見だったのですが、過去にも放送されたことがあるようですね。

今回は、この番組を見た感想と、私が感じたことなど綴っていきます。

以下、ネタバレですので、番組を楽しみに録画している方は、読まないでください。

2軒のお宅はこんな感じ
1軒目は、3DKの集合住宅に8人が住む、大家族のお宅。
各々の所有物で、部屋の収納は満杯状態。
家族の中の受験生二人が集中して勉強できる環境の確保と、暮らしにくい状態の家の中をどうにかしたい、ということで、応募されたようです。

2軒目は、戸建てに一人暮らしをしている95歳の女性のお宅。
足腰が弱っているため、手間を省くようなモノの配置をしていたり、食器の洗い物を減らすために、食品の空容器を代用したりと、本来ごみであるはずのモノが、あちこちにある状態。
また、長年暮らしてきた家のため、昔から所有しているモノに新しいモノが加わって、整理しきれていないお家でした。
モノが溢れているため、女性にとっては危険な場所が多く、安全に暮らすためにも改善が必要なお宅でした。
こちらは、お孫さんがおばあさまを気遣って、応募されたようです。

番組の流れ
2軒とも、やり方は同じで、アドバイザーがそれぞれ違います。

まず、家の中にあるモノを全部出して、仕分け作業をするスタジオへ運びます。1トントラックで4~5台分です。
出すだけでも、8時間くらいかかります。

スタジオに運ばれたものは、住んでいる家族とアドバイザーやアドバイザーの元で働くスタッフで、仕分けを進めます。
ただ仕分けるだけではなく、アドバイザーから仕分けの方法や心持ちなども教わりながら、住んでいる家族が最終決定をしてモノを処分していきます。
処分方法は、廃棄かフリマアプリの利用です。
空っぽになった家は、丸ごとハウスクリーニングが行われます。

仕分けが全て終わったら、残したモノを家に戻し、その際に収納方法や配置について、アドバイザーの指示を受けながら、暮らしやすい家にしていきます。
95歳の女性のお宅は、女性が一緒に作業できないので、女性のお孫さんが手伝います。

3DK8人家族のお宅
こちらのお宅は、収納の達人らしき方がアドバイザーとなり、仕分けと家具やモノの再配置をしていきます。
仕分けする方法ですが、各々の所有物について、手放すべきモノと残すモノの基準や処分する際の心持ちを伝授して、あとは本人任せです。

こちらのお宅は、最初に映し出されたとき、8人家族でモノが溢れている割には、寝るスペースも歩くスペースも、なんとか作っている状態でした。
たしかに、暮らしにくさは感じるのですが、ゴミが溢れる汚部屋ではありません。
おそらく、お掃除もきちんとしているお宅だという印象でした。
ただ、一人一人の持ち物が、キャパシティに対して多すぎる、という家です。

そもそも3DKに8人家族だと、狭くて当たり前ですし、まだ学生の子どもがいるので、学校で使用するモノは処分するわけにはいきませんから、片付けが苦手ではない家族であっても、きちんとした片付けは難しい状態だったかもしれません。

不要品の仕分け作業ですが、父親を除く家族全員が、アドバイスに従ってサクサクと進めていました。
女の子もいるのですが、持っている服を次々とごみ袋へ入れていきますし、父親以外の男性陣も潔かったです。
母親も、趣味で集めていた食器類を半分以下にしましたし、家族共有のモノも、必要数を決めて、その数を上回った分は、サクッと処分していました。

この家族で、いちばん未練がましかったのが父親(笑)
思い出の品がどうしても処分できず、おそらく家族の中で一番、処分品が少なかったのではないかと思います。

仕分けたモノのうち何点かは、アドバイスによりフリマアプリで売りに出し、無事に買い手が付いたようでした。

残したモノを再度家の中へ運び入れる際は、アドバイザーと一緒に、家具を配置したり、工夫した収納を実践していきます。
モノを減らし、収納に工夫をした結果、受験生が勉強するスペースも確保できましたし、寝る場所も歩くスペースも作ることができていました。

番組では、ここで終わらずに、リバウンドしていないかどうかを、後日確認にも行きます。
多少、住人の使い勝手によって、変更されている箇所はありましたが、おおむね片付いた状態をキープできており、フリマアプリで入ってきたお金で、新しい照明器具を購入し、家族で楽しんでいました。

こちらの家族を見ていて、もともと片付けたい気持ちが強かったが、その方法が思いつかなかっただけのように思えました。
家族が、不要品をごみ袋へ入れていく中で、私でも真似できないくらい潔いと思ったのが、受験生の女の子が、学年が終わったノートを、すべて捨てていたこと。
私が女の子と同じ受験生だったら、受験で役立つことがノートに書いてあるから捨てられない、といって取っておくと思うのですが、この家族の母親が素晴らしくて、過去のノートを見返すことなんてないから捨てなさい、とバッサリ(笑)

今思えば、私も受験のときに終わった学年のノートを見返すことなど、一度もありませんでした(苦笑)
受験のときは、受験用の参考書や問題集を買いますから、過去のノートは、なくても困りませんね。

この家族の父親なのですが、自分のモノだけではなく、家族のものまで「それ、捨てるの?勿体なくない?」と、仕分けにブレーキをかけるようなことを言っていたので、もしかしたら、この家族がモノを処分できなかった最大の原因は、これかな?と思いました(苦笑)

95歳の女性が一人暮らしするお宅
こちらのお宅は、95歳というご高齢の女性が家主なので、お孫さんやお子さんも一緒に、アドバイザーとそのスタッフで、不要品を仕分けていきます。

こちらのアドバイザーは、実は福岡では有名な片付けとリフォームの達人で、安東英子さんと言います。
福岡ローカルの情報番組でも、いろいろなお家の片付けとリフォーム(DIYが中心)をするコーナーを持っていました。
この方は、リフォームのアイデアの提供から、ご自身でデザインもして、実際に現場で作業されたりします。
家丸ごとリフォームなども、お手のもの。

しかし、この方の一番いいところは、家の中にすでにある家具を利用したリフォームを提案してくれるところかと思います。
例えば、服を収納していたチェストを、食器収納へ作り替えたり、大きなタンスを作り替えて、家の中でパテーションに生まれ変わらせたり、とにかくモノをムダにしない工夫が素晴らしいです。
その反面、持ち主が未練のため手放せないモノについては、処分することで得られる精神的なメリットを丁寧に説いてくださいます。
ときには厳しく言われていることもありますが、基本は家主の気持ちに寄り添って、決心を引き出します。

もし、彼女に依頼できる費用があれば、是非お願いしたいと思ったこともあります(結局、依頼はしないまま自分で処分してきましたが)

そんな安東さんがアドバイザーなら、モノで溢れて動線が危険な状態のお家も、きちんと整理整頓されたお家に生まれ変わるだろうな、と期待も大きかったです。

しかし、95年も生きてきた女性です。
なかなか、一筋縄ではいかないこともあります。
モノを処分する理由や意味を、納得できる言葉で説明する必要がありますし、我々が不要と思うモノでも、95歳の女性にとっては必需品であるモノも存在するので、そこに寄り添いながら、英子さんは仕分け作業を進めていきました。

不要品の仕分けは、95歳というご高齢もあり、途中で疲れてしまって難航する場面もありましたが、半分ほどは不要品を出すことができました。

次に、残すモノを家に戻す際に、英子さんは女性が暮らしやすくなるように、動線となる場所に手すりだけではなく、家具を固定して、収納と歩行補助ができるような工夫をされていました。
女性が過ごす部屋では、モノがすぐに取り出せるように、きちんと整理した上での工夫を。
キッチンも、女性が作業しやすい空間を考えて、家具の設置やキッチン用具の収納をされていました。

全ての家具の配置と収納、片付けが終了したら、女性ご本人にひとつひとつ説明をし、やりっぱなしにはしません。
後日も、女性が不便を感じている箇所を修正するために、お宅を訪問していました。

更に、その後、番組が様子を撮影に行ったところ、ところどころリバウンドしている箇所があったので、女性が使いやすいと感じるモノの配置は、まだまだ修正が必要な様子でした。

この2軒目のお宅に住む女性、仕分けしているときから、素晴らしいな、と思ったのですが、記憶力がすごくいいのです。
裏が白いチラシや、使い古したメモ帳を利用して、独自のメモ帳をたくさん作っていて、あちこちにメモがある状態だったのですが、その内容をすべて覚えていて、しかもどこに何を書いたメモがあるかということも、覚えているのです。
ご本人は、忘れてしまうからメモをしている、と言うのですが、おそらくメモしなくても概要は忘れていないと思います。

途中で、たくさんのハサミが出てきたのですが、女性は誰に言われたわけでもなく、自分で切れ味を確かめてから、不要なハサミを仕分けていました。
体力や足腰は弱っていても、考えたり工夫したりするアイデアには、リスペクトしてしまいます。
モノに溢れた家は、老後に困ることの方が多いですが、この女性のように95歳になっても、自分の考えで物事を決定できることは、理想の姿です。
自分は95歳まで生きられるかどうかわかりませんが、最期の日まで自分で考えて行動できたらいいな、と思いました。

番組が終わって
今回放送された2軒のお宅は、いわゆる“汚部屋”とは違い、モノは溢れていても、暮らしに工夫がありました。
生活スペースの確保に努力している様子が伺えた時点で、不要品の仕分けも片付けも、成功するだろうと思っていました。

今まで見てきた、モノで溢れて足の踏み場もない“汚部屋”の住人は、心に何かしらのトラウマを抱えていたり、仕事や家庭で精神的に疲弊をしていたりすることが多かったのですが、この2軒の住人は、それがほとんどなかったので、見ていても負の気持ちに引っ張られてしまうことがありませんでした。

もし、家がモノで溢れてしまっても、心に抱える負担が少ない人であれば、きっとすぐにでも片付けや不要品の処分ができるのではないかと、番組を見ていて感じました。
また、サクサクとモノを処分したいと思ったら、自分の精神状態が安定しているときを見極める必要があるのだとも感じましたね。
片付けやモノの処分は、とても奥深いのですね。


今回は、片付け番組について綴りましたが、自分なりの気付きがあったので見てよかったと思っています。
また、同じ番組があったら、絶対に見たいと思いました。
そして、処分を保留しているモノは、次回の家庭ごみの日までにまとめておこうと思いました。

溜まるのは何もモノだけじゃない、という話

2019-12-02 | 日々の暮らし
昨日は、母の入院に必要なモノで、不足していたモノを買い回り、自分の用事もあったため、へとへと。
ブログの更新をサボりました。

短期間のおひとり様トライを計画中
母が入院している期間中、おひとり様の老後を見据えて、少しいろいろなことにトライしようと考えています。
というのも、母と暮らしていると、どうしても母が“必要だ”というモノは、家の中に置いておかなければなりません。
しかし、私にとっては無くても困らないモノ、すなわち“不要品”だったりします。

母が必要だと思い込んでいるモノは、私にも使うように言います。
本当は、使うのが面倒なモノもあるので、できれば使いたくないのですが、忖度して使っています(苦笑)
いちいち文句を言われたくないので、そこはこちらから歩み寄っています。

さて、この短期間にトライする内容を、ざっくりと箇条書きします。

 ・電気湯沸かしポットの利用をやめる
 ・食器乾燥機の使用をやめる
 ・使う食器の数と種類を限定する
 ・食品の買い置きをやめる(長期間保存できる非常食は除く)
 ・料理の作り置きをやめる
 ・食材は袋入りを買わずに、1個ずつか入り数の少ないモノを買う

他にも、食器の間引きや、今使っているモノの見直しをしつつ、やめても大丈夫な習慣を探してみようと思います。

すでにトライを始めているのは、作り置きをやめること。
そして、電気湯沸かしポットと食器乾燥機のコンセントを抜きました。
食器は、ひとり分しか汚れないので、洗って水が切れたらキッチンペーパーで拭いて、食器棚へ収納しています。
お湯は、ミルクパンで沸かしています。
ただ、明日友達を家に呼んでいるので、そのときだけは電気湯沸かしポットを使用するつもりなのと、明日おもてなしするための菓子類を買い足しています。

果たして「仮想おひとり様の老後」は、うまくいくでしょうか?

閑話休題。溜まるという話
さて、タイトルからもお分かりいただけるように、あるモノが溜まっていたので、そのお話をしようと思います。

その「溜まったモノ」は、実はモノではありません。
生活するうえでは非常に大事なモノで、“まぎれもない必需品”で日本人でこれを必要としない人はいませんし、世界中の人が、これがないと充実した生活が送れません。

前書きがくどくなりましたが、その溜まったモノの正体は

 お金(小銭)

です。

お金は、通常「貯めるモノ」ですが、ここでは「溜まるモノ」「溜め込むモノ」として、少し書きたいと思います。

小銭が溜まるのはいいこと?
「小銭貯金」や「ワンコイン貯金」などをしている方は、多いと思います。
私も、以前はお釣りでもらった小銭を貯めては、募金に使ったり、小銭が必要なレジャーに持って行ったりしていました。
小銭をある程度持っていたら、助かるときもありますし、たくさん貯まったら貯金するという選択もあります。
実際、貯めた小銭が万円に近づいたときもあったので、そのときは銀行へ預金しました。

そもそも、私が小銭を貯めていたのには、貯金という理由ではなく、単純に財布の中に小銭がじゃらじゃら入っていることが嫌いだったからです。
昔から、小銭はなるべく使って減らすように努力はしていましたが、どうしても追い打ちをかけるように、小銭が増えてしまうことがあります。
ですから、財布を軽くするために、家に貯めていったのです。

若かりし頃は、例え小銭が増えることになろうとも、物欲が優先していたため、小銭の流入を防ぐことができませんでした。
また、私が若かりし頃と言ったら、支払い方法は現金、もしくはクレジットカードの2択で、今のように〇〇Payやデビットカードなどはなく、金額が決まっているギフトカードが存在する程度でした。

また、クレジットカードも、今ほど使う人は多くなく、しかもそこそこ裕福な家庭が使うモノだという、暗黙の了解があったような空気でしたから、サラリーの少ない者は現金支払いばかりしていた時代でもありました。
ただし、借金してでも買い物をしたいという人は、裕福ではない場合でもローン会社のカード払い、なんてこともありましたが...

今となっては、私もプリペイドカードや交通系ICカードを利用しているので、財布の中に小銭が増えていくことは少なくなりましたが、過去に貯めた小銭が万円に近づいたときは、かなりの手間と時間がかかりました。

小銭貯金の罠
例え小銭であろうと、貯めれば貯金ですから、生活費や欲しかったモノを購入するときの足しにしたり、銀行などへ預金することもできます。
私の知人は、小銭貯金(正しくは500円玉貯金でしたが)で、旅行できましたから、むしろいいことだと思われます。

しかし、むやみやたらと、目的もなく貯めている方は、今すぐ小銭貯金を中止することをお勧めします。
理由はいくつかあるのですが、私の体験で一番しんどかったのは「貯めた小銭を数えて銀行へ持っていくこと」でした。
とにかく、1円から500円玉まで、あらゆるコイン金種を貯めていたので、まず数えて計算することが大変な作業でした。
そして、貯めた金種の比率にもよりますが、とにかく重たいので、持ち運びがかなり重労働なのです。

銀行へ行けば、機械へ入れて小銭を数えてくれはするのですが、必ず金額の確認をされます。
もし、金額が万が一違ってしまえば、自分の責任なのか、銀行側の小銭を計算する機械の不具合なのか、わからなくなってしまうので、持ち込んだ小銭の金額は、自分で把握しておく必要があり、事前に数えておくことは必須です。

これが、小銭貯金の最初の罠(笑)

次に、小銭を計算して貰うのには、結構な時間がかかる、という点です。
のんびり待つことができるのならいいですが、本当に時間がかかります。
例え機械が数えているのだとしても、一枚一枚の金種を読み取って金額を弾き出すわけですから、多ければ多いほど時間がかかります。
この時間のことを考えると、最初から小銭が出ないような買い物をしたらよかったと思いましたね。
時は金なり、と言いますが、小銭を数えるために時間を割くより、小銭が出ないような金銭の使い方を考えた方が、効率的でですし、ムダな買い物も少なくなります。

次の罠ですが、最近、窓口での預貯金や両替には、手数料がかかる銀行も増えてきたと思うのですが、わざわざ手数料を払って両替や預金をしたいのかどうか。
本当にお金を増やしたいのなら、その手数料分の手間と時間が、必要経費として成立するかどうか、ですよね。
その手数料をケチって、ずっと小銭を持っていても、罠が肥大していくだけですしね。

お金が貯まるのは、もちろんいいことなのですが、やたらと家の中に入れ物を設置して、小銭ができる都度、そこに投入していくという、無目標ズボラ小銭貯金をしていると、罠が大きくなることは間違いありません。

ちなみに、ゆうちょ銀行では、小銭を両替する場合も、数えた小銭を口座入金する場合も、手数料はかかりません。
もし、手数料以外の小銭貯金の罠を気にしないのであれば、ゆうちょ銀行に小銭貯金専用の口座を作った方がいいかもしれませんね。

溜め込んだ小銭の行方
私が小銭貯金をしなくなって、おそらく20年くらい経ちます。
小銭を少なくしたい一心で、クレジットカードの利用やネット購入も増えましたし、現在はキャッシュレス決済を数種使って、現金はあまり持ち歩かないようにしています。
(かといって、現金支払い時代と比べても、ムダ使いはしていませんよ)

しかし、母はクレジットカードもキャッシュレス決済できる手段も持ち合わせていませんから、支払いは現金一択です。
買い物へ出かけるたびに、小銭を増やして帰ってきていました。
ある程度、財布が重たくなると、小銭を財布から出して小銭を貯めている別の財布へ移動させていました。

そのことは、母のモノを片付けている最中に、小銭を貯めるための財布を発見したときに、初めて知りました。
最近では、目が悪くなっているため、お店で支払うときに小銭を探せなかったようで、買い物へ行くたびにお札が減って小銭が増えていました。

まあ、それでも買い物の頻度自体がかなり少ないので、私が無目的に貯金していたころに比べたら、溜まった小銭は少なくて、数えてみたら500円程度になりました。
このくらいだったら、募金箱へ入れてもいいかな、と思うのですが、母のお金なので要相談ですね。

この程度の金額だと、両替する労力と手間が微妙です。
そもそも、使うこともなく溜め込んでいた小銭、最初から無いと考えて募金してしまった方が、ストレスがかからないような気がしています。

溜め込んで使わないのが一番ダメですね
お金はもちろん、モノも使わずに溜め込んでいるだけだったら、もうそれは無いのと同じです。
どうにか使うように努力するか、使うことを諦めて、手放す(お金の場合は、活用方法を変える)ことを考えた方が、価値が深まると思いますが、どうでしょうか。

お金は、あればあるだけ安心できる、と言う人がいますが、いくら貯まっているかもわからない小銭に対して、果たして本当にお金の価値を見出しているのかどうか、怪しいですよね。
ただ、貯金箱や空き瓶などに溜まっていく様子を見ることが好きなだけなら、悪いことは言わないので、小銭をきちんと使うことを考えてほしいです。
お札を崩さないように心がける方が、お金の減りが少ないと思います。

実際、私はお札重視の考え方なので、財布に小銭がなく、お札を崩さなければいけない場面に遭遇したら、買い物そのものを見直して、買うことをやめることが多いです。
500円ですら、私にとっては重たくて大きい小銭、という存在なので、絶対に貯めたりしません(笑)
500円玉が2枚以上になったら、財布から1000円札を抜いて買い物へ行くか、今なら交通系ICカードにチャージしています。


人それぞれ、お金の貯め方があると思いますので、その貯め方そのものを否定する気は全くなく、ただ無目的に小銭を溜め込むと、のちのちの両替や預け入れが面倒ですよ、というお話でした。
現在は、ゆうちょ銀行が手数料なしで小銭の両替や預け入れを受け付けてくれますが、いずれ手数料を取るようになる可能性は否定できません。
ただ、キャッシュレスが広がり始めている時代ですから、すでに小銭貯金自体が廃れ始めているかもしれません。
小銭貯金の罠を気にするのは、せいぜい私の世代までなのかな。