さて、伝統と格式を重んじる琉球古典音楽は、その「工工四」も伝統的なもの。
それゆえに、不足を感じる部分があっても、容易には変更できない。
昔から伝わるものを変更して改良するには、それなりの地位のある人間がかなりの勇気をもって行わなければ、周囲が許さないだろう。
この「瀧落菅撹」も、そういう部分がたくさんある。
しかし、もともと「工工四」なるものは、昔は今のようなマス目も無く、単に棹の押さえる場所を書いたメモに過ぎなかった。(琉球大学付属図書館所蔵の資料に基づく)
師匠が演奏するのを聞いて、はじめてどんな曲かが分かったものだろう。
そもそも論から言えば、琉球古典音楽そのものが、琉球王朝の国を挙げての役人仕事だったわけで、女性の踊りも男性が仕事として女装して行なっていたという。
三線も、当時は庶民には手の届かない高価な輸入品だった。
こういう事を、現代では誰でも体験できるというのは、とても素晴らしいことだと思う。