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永田町は八百万の妖怪の集い来たる場所

2023-03-09 01:04:54 | 政治
前回の格俳句の出来が自分なりにたいへん気に入ってしまったので、感じるままに思ったことの続きを書きます

前回の格俳句②の解説に書いたように、とあるユーチューブのコメントで書かれていた内容が、私の心に非常にヒットしてしまいました
まさに「我が意を得たり!!」の心境でした
考えてみれば、古事記にも日本書紀にも、心の教えらしきものはほとんどありませんが、よく出てくるのは、「怨霊を鎮める処世術の話」です
例えば、高天原の天照大神の意向で、出雲の国の大国主に「国譲り」をさせたという事、これは国を譲らせたと書いてはいるが
実際は、「武力による威圧によって国を明け渡させた」ということでしょう
日本神道は基本、「勝てば官軍」なので、勝った高天原勢力の側がその正当性を主張し
「神の意向により」みたいなことを書いているのは、これはよくある「権威づけのための創作神話」でしょうね
しかしながらその高天原勢力は、「天から降りてきた神々」とされてはいますが、実にこの世的・現実的で、処世的な神として描かれています

これまで、「日本神話は神話として、そのまま受け入れることが正しい」、「日本神話の最高神は天照大神」
という神話をそのまま受け入れることが美徳とされ、私もそれを良しとして受け入れてきたわけですが
最近、この天照信仰に疑問があり、本当に最高神としての資格をお持ちなのだろうか?と、疑問に感ずるところがあります
私は、これまでならそれを受け入れてもいいと思っていましたが、今は少し意見が違います
なぜなら、やはり天照信仰は「形だけの形式や儀礼はあるが、教えの中身がない」と率直に感ずるからです

正直、私は今、相当きわどいところまで切り込んでいる自覚があります。。。正直、やばい感じも受けるのですが
それでも、「神道に世界宗教としての資格があるか?」ということは明らかにして
「その教えを世界に広げるだけの資格があったのか?」ということは、後世の歴史において問われるべきでしょう
大東亜戦争においては、「八紘一宇」という精神をアジアに広めようとしたわけで、「何を世界に広げようとしているのか?」
を問うことは、人間心で考えるよりも、もっと重要な意味を含んでいるように思うからです

先ほどの「出雲の国譲り」の神話の話に戻りますが
出雲の国を国譲りさせた後、高天原勢力の末裔たちは、出雲の大国主と民たちを、「壮大な社を建造して神様に祀り上げる」
という見事な処世術を見せました。。。要するに、出雲の国民の恨みを恐れたわけです
そして、後世の天皇家と大国主の子孫との婚姻関係を結び、「親戚づきあい」を始めたわけですよ
要は、処世的に懐柔したわけですね
これが、「神の正義」が高天原側にあったというならば、怨霊封じも、処世的な懐柔も、せずともよかったわけです
それで、怨霊封じや懐柔を行ったうえで、「われらに神の正義があった」と、古事記などで控えめに神話にして、自らの正当性を主張しているわけです
どうもね。。。こんなのを見ると、今の永田町の妖怪が使う調整の論理と相通ずるものを感じてしかたないのですよ、私はね
日本神話を神話と見てそのまま受け入れるのはいいんですが、とても不純に見える永田町の論理が、そのまま古事記の世界なのです
これはいかんともしがたいですね

まあ、こういった話は今後も続けていきますので、少しずつ、慌てないでやっていきましょう
それではまた

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