絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

その他の楽器の項に

2006年11月23日 21時09分16秒 | 一絃琴
邦楽の世界

講談社

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これ、画像がなくてお愛想なしなのですが、この本に一弦琴の
島田寿子さんが演奏されている写真が掲載されています。
どこかのホールの舞台での様子のようです。
(場所の記載はありませんが)
わたしの個人的予想より、はるかにお若い写真でした。

一弦琴については、いまや一部の愛好家の中で演奏されているに
過ぎない、と寂しい記述が・・・

ジャリ音をなくす

2006年11月20日 23時19分11秒 | 一絃琴
一音一音ゆっくりと弾いているうちはいいと思いますが
速いテンポになってくると、この「ジャリ音」が出てしまうことが
あります。先生からは常にこのことを注意されます。
あと、芦管をこする音を不用意に出さないことですね。
引っ張ってしまって、ウーンウーンいうと、もう何の曲なのか
わからなくなってくるからだそうです。

ジャリ音の原因はわかっています、すなわち、左手の芦管を置く前に
右手を弾いているからですね。速い箇所では、特に気をつけます。
「鴛鴦」はこれがきちんとできているかどうかがわかる曲と
先生がおっしゃっていたようでしたが、私はむしろ「琴の音」の方が
ずっとやりづらかったです。(「漁火」の間奏も気をつけないとね・・・)

久々に聞く

2006年11月20日 08時38分14秒 | 一絃琴
「漁火」という曲は、よく演奏会で耳にしていた曲でした。
でも、実際なんと歌っているのか全然わからない、そういう曲でした。
母音を長く伸ばす箇所が多くて歌詞がわからなかったのか
歌っている人の発音が不鮮明でわからなかったのかわかりません。

今日のお稽古はたぶんこの曲をやると思うので
あらためてCD「絹が織りなす」(清虚洞一絃琴 齋藤一蓉)を聞きました。
生音と違い、なかなか本当の音や唄というのはわかりにくいと思うのですが
当初これを聞いたときは、エコー?が効き過ぎているようで
すごく聞きづらく感じたのを覚えています。

久々に聞いてみた感想は、この方の「唄」がいま私が習っている唄と
かなり違うなぁということです。
癖とかもあるかもしれませんが、ゆったりとした唄はとても風情があり
ただ単に母音をのばすだけよりも、邦楽らしい音の揺れがあった方が
はるかに日本的のような気がしました。
また一方、間奏の部分は、前と後の部分に比べてもっとリズミカルな
展開の方がこの曲らしいのではないかとも思いました。

一絃琴の演奏で感じるのは、どの曲のどの部分も同じ速さで
同じトーンで弾いている方がほとんどで、その曲への自分なりの解釈というか
そういうものが伝わってこないように思います。
教えられた通りに弾く、そのままを弾く、それが伝統なのだと
ひょっとしたら思われているのかもしれませんが
一絃琴の来た道を辿ってみたら、いま伝えられていることが
「絶対」ではないということに自然と気がつくと思います。
どれが正しき伝統で、どれが亜流である、などということは
一絃琴について言えばナンセンスではないかと思ったりします。
(名乗った者勝ち、はどこの世界でも同じ)

邦楽の一分野としての、資料としての一絃琴ではなく
聴衆のこころに響く(弾き手のこころにだけでなく)
生きている一絃琴に出会いたいものです。


想念

2006年11月14日 09時54分34秒 | 一絃琴
一絃琴の(他の方の)演奏を聞いたのは、この春以来でした。
子どもの都合などで、10月も11月も演奏会には出られなかったので
久しぶりに聞くことができて、大変勉強になりました。

この琴をどんな気持ちで弾いているのか、あるいは習おうと思ったのかは
人それぞれですし、必ずしもいにしえの文献の著述に従うようなあり方でなくても
良いようにも思います。
むしろ自分の考えが、あるときいにしえの言葉と一致するように感じたとき
はじめて(それらの人々の思いを)実感できるのかもしれません。
言葉の字面だけに捉われて、その方向へ向かおうとしても
それは、意味のないことのようにも思えます。

はじめに「琴弾きの在り方」ありき、ではなく
自らのあり方の後に、「一絃琴奏者」のあり方が決まるのではないかと
僭越ながら思うのです。(当たり前のことですが)

十人十色、百人百様、顔が違えば声も違う、琴の音色も違う
人それぞれ、自分の想いを載せて一絃琴の演奏は行われると
いうことなのでしょう。

一弦琴の指

2006年11月13日 15時39分20秒 | 一絃琴
人のことをとやかく言っている場合ではないのですが
演奏を聴くとき、やはり気になるのが指です。
右手の琴への当て方は、皆さんいろいろなふうにされていて
同じ先生から学んでも違うようになってしまうのは
その人の癖ということになるのでしょうか。

右手の小指は駒(いわゆる琴柱)を抱え込むような感じで
しっかりと固定し、小指の側面全体は板に押し付けるかのように
しないと、しっかりと弦を打ち震わすことはできないのでは
ないかと思うのですが、小指が立ってしまっている人や
第一関節しか駒にかかっていない人やら、
うちの会の方も含め、いろいろなやり方をされています。
また、小指はかかっているけれども右手全体が雪崩のように
斜めになっている人やら、かたちはばっちりなのに
実際に芦管で打つときに、弦を引っ掛けて(つまびきのように)
しまっている人など…多種多様です。

芦管を持つ指の感覚は、親指・中指で人差し指を挟み込む、感覚です。
お茶も同じ?三本の指が働くイメージ。
人差し指で弾くと思うと、弦を引っ掛けてしまう、
つまり響く音にならないのでは?と思います。
また、芦管を振り下ろして弦を打つ、という動作を怠ると
一つ一つの音が「小さく」「余韻」のない音になってしまうので
小指の固定と同時に芦管を振るのを忘れないことは
結構難しく、いつも四苦八苦しています。

小指を固定しつつ、できるだけ駒に近い箇所を弾こうと思うと
現実には非常に指を折り曲げた、関節痛になるような
不自然な形にならざるを得ないのです。

いろいろな方の演奏

2006年11月11日 16時29分03秒 | 一絃琴
一弦琴という非常に珍しく弾き手も極端に少ない楽器でも
流派というか、いろいろ枝分かれしているのが不思議だと
思っていましたが、何の演奏でもそういうことはあるのでしょうね。
そして、閉鎖的だったり排他的だったりするのも世の常?なのかも。
もし、一弦琴の真髄、というものを追い求めるならば
そんな小さいことには捉われないはずですが
真髄、なんていうことを考えずとも一弦琴は弾けますし
なんの支障もないのかもしれません。

もうあと、聞いていないのは須磨寺の会と土佐の一弦琴の会
かしら。合奏ではなく、やはり独奏が聞きたいです。
それが一弦琴のよさというか、凄さがわかるのも『独奏』だと思いますから。
それにしても、いろいろな人の演奏を聴くたびに思うのは
うちの先生のような音を出せる人がひとりもいない、ということでした。
聞いて鳥肌が立ち、気持ちがしーんとする、
「一弦琴て、こんな音だったの!」と思われるような音。
苦悩する人のこころの内に響き合い、苦しみを浄化する音。
(調子の悪いときもあるようですが)
また一方、『唄』の存在も大きく、このよしあしで演奏の雰囲気も
変わってしまうようではあります。

とにかく、また、新しい発見もありで
これでちょっとは現状を打破できるでしょうか。

同じく珍しい楽器

2006年11月11日 16時07分16秒 | 一絃琴
これは、『二弦琴』という楽器です。
今回、こんな珍しい楽器の演奏も聞けてほんとに行って良かったです

一弦琴より短いような気がしましたが、どうなんでしょう。
弦は、一弦琴は絹ですが、これはナイロン製でしょうか?
一弦琴より音がはっきりしていて明るいような気がしました。
演奏方法はほぼ同じように思いました。
(唄の部分が多いですね)

肝心の演奏会

2006年11月11日 15時59分56秒 | 一絃琴

話題がきものにそれてしまいましたが、肝心の演奏会のことを
書かないといけない

当日携帯から写真を送れなかったのは、なんとなく会場が
そういう雰囲気じゃなかったからです(入り口からして)
なかでの写真は、みなさん関係者も含めバシャバシャと撮っていました。
デジカメで、フラッシュなしでも撮れてよかったです。

合奏だけでなく独奏もありましたので
それぞれの人の特徴もよくわかりました(だれが誰かわからないですが)。
ただ、先生の独奏というのがなかったので、ちょっと残念でした。

大きい会場でマイク有りなので、本当の音色というのはどんなんだか
いまひとつわかりません。しかし、皆さん相当練習されてこの会に
望んだのではないかと想像するくらいよく合っていました。
(松竹梅は緊張からかちょっとバラバラな部分もありましたが)

他の人が演奏を聴いてどんな風に思ったかはわからないですが
わたしはやはり「指」が気になりました。
また、音がほんとうはどんなのか…
一つの発見として、『唄』は琴音に沿うべきだ、ということがありました。
聞こえない声は、聴衆からしたら迷惑この上ないけれども
琴音に対してボリュームのありすぎるのも、一弦琴に不釣合いかも?
ということです。
お二人ほど、とても雰囲気の良い『唄』をうたわれるかたが
いらっしゃいました。どちらの方も、なにか他の邦楽をされているような
そういうものを感じさせる歌い方に思えました。
すごく、ゆったりとして風情がありました。


笛もありましたよ。


踊りもありです。劇場はほぼ満員でした。


愛知一紅先生の発表会

2006年11月09日 08時13分15秒 | 一絃琴
明日、東京三越劇場で、愛知先生の「紅之会」の演奏会があります。
(1時半より)
毎年この時期にお弟子さんの発表をかね、演奏されるようですね。
一度は聞いてみたい・・・なんとか都合をつけて出かけようと思いますが。
(どうなるやら・・・)
明後日も朝から用事があり、慌しいです。
晴れてほしい~~~


漁火(いさりび)

2006年11月07日 21時34分25秒 | 一絃琴
今日の稽古は「須賀」と「漁火」でした。
「漁火」は合いの手(間奏)のところのリズムがイマイチつかめない
琴をどのように弾くか、いわゆる「口三味線」というので
把握するのですが(ツウーン、とか、チントン、とかいうやつです)
私はいまだにこのリズムをとるのに洋楽風に
「タンタン、タタタン」と(こころで)言ってしまうので
和風に徹してるといえないのです。

後半にきて、あ==、ほんとに行き詰まっています。
弾いていても楽しくないし、わからないし
わかろうという気持ちが芽生えてこない。
先生も後半の曲、よく履修されていない。
先生は、そのまた習った先生からよく教えてもらっていない、
と自らおっしゃる。(どういうことだ~~~

一弦琴の江戸時代~明治初期の曲を
本当に確実に全曲弾ける人は現存するのか
全曲を収めたCDを出しているのは、東京の「愛知一紅」先生です。
生の演奏を聴いてみたいですね。


今日は稽古日

2006年11月07日 09時47分57秒 | 一絃琴
今日はお稽古の日ですが
朝から地域の資源ごみの当番があり、7時すぎから8時半まで
分別回収の立ち番をしました。
子どもが登校するのが7時40分過ぎなので
この、たまにしかない立ち当番ですが結構焦ります。

いろんな、滅多に顔を合わせない地域の人が
次々とやってきました。
「三味線やってるんだって?」と聞かれて、
「いえ、一弦琴です」というと「あ、そ~~、遠くからだと三味線に聞こえるんだね」
「戸を閉めて弾いてるの?」
「はい、閉めてても、道を通る人には聞こえるみたい」
「ふ~~ん、みんな一弦琴て知らないから、三味線と思うんだね」
「ああ、そうかもしれないです」
「趣味のことがあっていいね」
「そうですね~(結構行き詰まってるが・・・)」

北側に住んでる人が同じ当番で、
「うん、聞こえるよ~~、一弦琴ていうの~~」と
言ってたから、たぶん私が子どもを怒ってる声もまる聞こえなんだ
腹式呼吸で思い切り大きな声になるのも、良し悪しです。。。

まじめな話

2006年11月01日 12時14分12秒 | 一絃琴
この秋は、一弦琴の発表会には予定があって出られないことに
なりました。冬の初めのそれもたぶん出られないでしょう。

いままで極力琴優先でやっていましたが(といってもここ3年だけですが)
家庭内の都合もあり、そんなふうになってます。

発表会の日時は、大抵かなり前から知らされますが
曲が決まるのは1ヶ月前になってから、というのが多いですね。
つまり、どれでも弾けるよう心の準備だけは必要ということでしょうか。
(うまく弾けるかどうかは別の話ですが)

これまで、他の社中の方と合同というのが結構ありました。
そういうとき、最後に「須賀」を合奏するのが常でしたが
これがまた、先生によって多少『間』が違ったりして
非常にあわせづらく、ほとんど真剣には弾けませんでした。
あと、音が全然違うんですね。
「音」というのは、正確には「音質」ということです。
自分が自分の音を弾けば、確実に足並みを乱し
「合奏」にはなりません。ですので、結局当日は弦を呂管で
撫でるだけの演奏になります。
そうすればめだちませんし、ひとつのまとまりのある演奏になるのです。
(つまりか細い音の集合体のまとまった音)

稽古のとき、先生と『須賀』を合奏すると
まるで一本の琴の音のように聞こえるので(自分には)
先生の言われる「音が立つ、演奏」に少しは近づいているのかもと
思ったりします。(誰も褒めてくれないので自画自賛

デジカメの動画

2006年10月25日 00時17分43秒 | 一絃琴
ふと思い立ち、デジカメの動画で一弦琴の演奏を
撮ってみようと思った。(IXY DIGITAL 700)
ブログに載せられるかどうかはわからないが
とりあえずやってみたところ…
琴の音がひどい、ひどすぎる。

ビンビンした、裂けた大正琴のような(失礼)音に
なってしまった。
これじゃあ、たとえ掲載できてもだめだと思った。
(でも、手の動きとかはよく見えていいように思える)

いっきに

2006年10月24日 22時39分51秒 | 一絃琴
昨日は稽古日だった。
ここのところ、長い曲ばかりだが
全然完成していないままにいっきに「翁遊」に進んだ。
「松竹梅」もいまいち感じがつかめず悶々とする・・・
しかし先生は別にどうということもなく次々と進んでいく。
これって、また最初からお浚いしなおすのだろうか?
このままだと、全然弾けてないぞ~~

拘っていると精神衛生上よろしくないので
考えをストップするわたし。。。
(いいのかこれで
あ、そうだ、「翁遊」の前は「漁火」だったが
この2曲は比較的短い。
「翁遊」は、真鍋豊平の作詞作曲だが
非常に高い音を歌っており、この人は相当高音を歌える人
だったのだと、再確認した思いだ。
次回、もう次の曲にいくのかしらん。
ラストスパートなのか
(わからない・・・

松竹梅

2006年10月13日 12時53分41秒 | 一絃琴
久々に一絃琴の記事です。
もう、履修する半分を超えたのか
どの曲も非常に長いです。
そして、とくに難しい技?もでてこないようです。
むしろ、今までのほうが難しかったのでしょうか。
どの曲も私としては、かなり感情移入しにくくなってきています。
現実生活の諸々のことがいろいろ憂鬱なので
いっそう、昔の人の感情を類推する余裕がないのかもしれません。
また、先生も、この後半の曲については
日頃ご自分も演奏されないせいか
どんなんだかよく習得されていないのか
譜のとおりに弾いていけばよい、という感じなので。。。
いまいちです~
(よく発表会などで弾かれるめでたい曲なんですが)