絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

夢分析や箱庭療法

2006年03月31日 13時02分17秒 | Weblog
図説 ユング―自己実現と救いの心理学

河出書房新社

このアイテムの詳細を見る

わたしが学生の頃は、心理学といえばフロイトだった。
ユングも年はかなり下だがフロイトと同時代であり
フロイトをして「わが息子」「後継者」と言わせるような関係だった。
のちに決裂していくのだが、フロイトとユングを分かったものは
心理学における「女性性」「男性性」の考え方の相違であったと思う。

今の日本では、特にユングの方向性が抜群にマッチしているように思う。
(ユングでないと心理学じゃないような風潮…河合隼雄の影響力が大きい?)

最新の画像もっと見る

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
心理学 (ちゅんちゅん)
2006-04-01 16:43:19
大物です、正真正銘えらいさんです。

結果として良い悪いが評価されているのかどうかも私達には分からないまま、小中学校や児童相談所に(たいていは)博士課程を卒業した心理師の皆さんが配置されています。

 多分悪いことではなさそうですが、どういう効果があるかとか、どういうカウンセリングはよい結果を出し一方これは余りよい結果は出なかったといった評価なしにどんどん勧めていくのが果たして良いことなのか。。。と思います。結果が出ているのならしりたいです。
返信する
臨床心理学 (琴音)
2006-04-02 01:22:31
ちゅんちゅんさんは、臨床心理に興味がおありですか?

私は結構、青少年関連の臨床心理の症例などを

読んだりします。でも私は、巷に転がっている

「カウンセラーもどき」の人々を全然信用していません。思春期の子どもが、全身全霊を賭けて「ぐれて」いる時に、「お子さんのしたいようにさせてあげなさい」などと言うようなやつには「地獄に堕ちろ!」と

言いたくなります(あら、下品です



また、ここ数年メキメキ儲けだしている

「コーチング」という代物もなんか違和感ありますね。



カウンセリングにしろコーチングにしろ

横文字になっていて、もともと外国から入ってきた

ものですが、私は地域社会が存在していた頃の日本では、このことは普通にその社会生活の中で行われ、人々の苦悩やストレスもそのなかで解消していったと思っています。

(井戸端会議や赤ちょうちんの付き合いなど)

ま、他に害もあったかもしれませんが。

「プライバシー」という概念が入ってきてから

日本人が失ったものは数限りなくあると思います。

返信する
Unknown (オオバ)
2006-04-02 11:03:37
カウセリングをちょっぴり学んで(ついでにコーチングも)思ったんんですが、既存のカウンセリングもコーチングもちょっと違うんじゃないか?の違和感だったんですよ。

琴音さんが書いてあるように、もっと日本人の感覚にあった方法があるように思います。

ぶっちゃけな言い方をすれば、カウンセリングもコーチングもただの技術です。

日本人がもっている、心の温度に響く方法があってもいいんじゃないかと思ってます。

返信する
あるがままに (若旦那)
2006-04-03 03:13:56
森田正馬の「あるがままに」・・日本の禅から独自の精神医学を創りました。僕は好きですね。戦後、アメリカの阿呆な歴史のない文化を取り入れたお蔭で崩壊寸前です。マクドナルドに象徴されるようにあの食文化といい最低です。漢字で表せるのにわざわざ横文字でいう評論家も嫌いです。琴音様の歯に衣を着せぬお言葉に溜飲が下がる思いです。フロイトはショウペンハウエルの影響を受けていていますが、そこまで学生時代は読めなかったですね。ゲーテのファウストでメフィストフェレスの「全ての理論は灰色で緑なのは黄金の樹だけだ。」という一文に接して、僕の読書遍歴はストップ致しました。
返信する
井戸端会議 (tyuntyunyaayaa)
2006-04-03 22:52:31
女性の社会進出や子供を巡る犯罪に起因した相互不信などにより他人同士がさりげなく話をする機会がなくなったのは、対人関係のあれこれを学ぶ機会にとってケッコウ大きな損失だな~思う今日この頃。

勿論良くない面もあったけれど

色々な事情な人がいる・これ以上は他人は入り込んじゃいけないという距離感を学んだり

利害関係がないからこそ慰めたり慰められたり出来るという機会だったなあと思うんです。会社の人間関係じゃ出来ない事多いですから。働いている時間はおしゃべり出来ないし。他所の子に親しむ機会もありませんしね。琴音さんは地域社会に参加の場を持っておられますね。なかなか出来ないことと頭が下がります!

肩書きなしに他所の子に働きかけられるくらい信用して貰える大人になりたいわ。年は十分とっていてもそれだけじゃ駄目ですね。私が子供の頃近所のオバサンは重要なお手本でしたよ。。。
返信する
オオバさんへ (琴音)
2006-04-03 23:12:44
日本人にあったやり方、というまでには

西洋から入ってきた心理学の手法がこなれていない

のかもしれませんよね。

日本のもので、ほんとにもともとここにあって

純粋なものって、なかなか少なくて、みな外国から

やってきたものを、日本流に変化させて

うまく使ってきた、というべきか…

まあ、それをして「さるまね」の文化といわれて

しまうのでしょうね。

自分の国の良さをあまり重視してないのは

戦後に始まったことではないようですよ。。。

返信する
若旦那さんへ (琴音)
2006-04-03 23:20:42
森田正馬さん、読んだことないです。

今度読んでみようと思います。

若旦那さんのお話はなかなか難しいですね。



カウンセリングの考え方の中に、この禅の表現によくある「あるがままを受け止める」ということが

ありますね。

でも、どちらかというと、禅的な思考ではなく

人間存在をまるごと受け止めていく、という

「母性の愛」「母なる愛」みたいに私は感じていますが…どうなんでしょうか。

返信する
tyuntyunyaayaaさんへ (琴音)
2006-04-03 23:35:24
人間関係づくりのために(親子や会社関係)

お金を出して、いろいろと学ぶ時代になったのかな?

疑問はつきませんが、今少子化になって

子どもを溺愛してるっていうけど

私が子どもの頃の親たちって、もっと子どもに

関心があったし、行事とかも熱心だったと記憶

しています。

(近所のおばさんにいっぱい世話になりました。)

そこでも、さまざま学んだと思うのですが

そういう場も今はなくなってしまったのですね。



カウンセリングにしろ、コーチングにしろ

そんなすぐには問題解決できるわけもなく

結局は時間をかけて、クライアントとカウンセラー

または、コーチが関係を作り上げた後に

いよいよ本題に入るわけですから、そんなんなら

その人の周辺に居る人の助けを借りれば!

とかって、思ったりしますね、僭越ながら。。。

つまり、信頼して打ち明けていく人間関係を

もっていないって、そういうことなんでしょうかね。

返信する
敏感で鈍感 (tyuntyunyaayaa)
2006-04-07 15:30:38
 感情を傷つけられた・不愉快にさせられたといって抗議する人が増えているようですね。若い人に聞くと学生時代から周りの人を傷つけないように本質的なこと・相手のプライドに関わる事には一切ふれないように緊張していなければいけない、ということが割と普通にあったという人が結構います。自己愛的な人が増えている。。。?

 思いやりは大切だけれど、ご機嫌を取り合う関係というのはプライベートな関係としては息苦しいかなあ。

かたや、身近な相手には敏感なのに人の苦しみは分からない、車中で化粧したり大声出したり音漏れさせるのは平気・そういう風に変ってきていると何年か前から言われていますね。

 考え方の違う者同士無駄に攻撃しあうのではなく、きれい事になってしまいますが良い点をいかしてある一定の分かり合える部分をもってやっていけるといいなと思っています。
返信する
距離感 (琴音)
2006-04-08 07:10:51
そうですね、おっしゃることよくわかります。

「適切な人との距離」、それをを把握するのは

なかなか難しいことですよね。

それはむしろ、散々失敗した後に自分自身獲得する

そういうもののようにも思います。



人生の最初から、円滑な人間関係を築くということは、

実は夢想ではないかと私は思ったりします。

恐れず、自分をさらし、人と接する中でこそ

(たとえ軋轢に苦しむとしても)

より良い人間関係のはじまりを見つけられる、

と考えます。

傷つくことを避けようとすれば

深いところでの相互理解も生まれにくく

人との繋がりを実感しにくいでしょう。

つまり、いつもどこでも武装したままでは

人も自分を受け入れてくれないからです。



人との関係は、やはりさまざま揉まれる中で

自分も他者も傷つきながら

よりよく生きていこうと模索し続けるものだ、

それが人間の生きる道かも、と思う昨今です。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。