金子書房から出ている雑誌『児童心理』。2010年1月の特集号は「志ある子を育てる」というものでした。「志」。近年忘れ去られた観念ですが、混乱し迷走する現代社会を自分の足で生き抜こうとするとき、この概念が心の中にあるのとないのとでは大きな差が生じるように思われます。
では、志とはどのような定義のものなのか・・・?
「志と呼ばれるものには、損得を超えた情熱が感じられる。決意とか覚悟に近い手応えが伝わってくる。何かを目指したいと願うこと以上に、何を我慢し何を諦めるべきかといったストイックな姿勢が窺える。志とは、人生を充実させ乗り切っていくために人間が発明したきわめて高度な心の仕組なのだろう。志を持つということは、辛さに満ちた人生を生きていく上で、実に「便利」な方法論に違いないのである。」
巻頭の一文『志なき時代の中で』の中で春日武彦氏はこのように定義しています。
そう。当たり前のことながら、人生とは辛いものです。努力が必ずしも成功に結び付くものではなく、「夢」が手に入れられる保証はどこにもない。暗中模索し、もがきながらとにかく一歩一歩自分の信じる方向に進んで行くしかないのです。それはとても忍耐のいることです。
「志をもつということは、たんに『夢』を抱くこととは異なる。夢ならば幼児にも持てるのであり、それは空想と欲望が合体したものに過ぎない。志をもつとき、人は自分の人生全体をイメージしなければならない。そうして自分の弱さや矮小さを自覚し、限度をわきまえ、そのうえで目的や方向性を定めることになる。その営みには、謙虚さと『地に足のついた』理想とが求められる。」氏はこのようにも述べ、さらに「生きる意味とは『充実感』といったものをどれだけ大切と思うかといった点に関わってくるだろう」と続けておられます。
志をもって生きる。それは人生を充実感を持って生き抜いていくための重要な方法論であるのでしょう。そしてそれは、一つの技術を自分の身につけるうえでも重要な方法論でもあると思われます。クライミングにおいてもそれは例外ではありません。
では、志とはどのような定義のものなのか・・・?
「志と呼ばれるものには、損得を超えた情熱が感じられる。決意とか覚悟に近い手応えが伝わってくる。何かを目指したいと願うこと以上に、何を我慢し何を諦めるべきかといったストイックな姿勢が窺える。志とは、人生を充実させ乗り切っていくために人間が発明したきわめて高度な心の仕組なのだろう。志を持つということは、辛さに満ちた人生を生きていく上で、実に「便利」な方法論に違いないのである。」
巻頭の一文『志なき時代の中で』の中で春日武彦氏はこのように定義しています。
そう。当たり前のことながら、人生とは辛いものです。努力が必ずしも成功に結び付くものではなく、「夢」が手に入れられる保証はどこにもない。暗中模索し、もがきながらとにかく一歩一歩自分の信じる方向に進んで行くしかないのです。それはとても忍耐のいることです。
「志をもつということは、たんに『夢』を抱くこととは異なる。夢ならば幼児にも持てるのであり、それは空想と欲望が合体したものに過ぎない。志をもつとき、人は自分の人生全体をイメージしなければならない。そうして自分の弱さや矮小さを自覚し、限度をわきまえ、そのうえで目的や方向性を定めることになる。その営みには、謙虚さと『地に足のついた』理想とが求められる。」氏はこのようにも述べ、さらに「生きる意味とは『充実感』といったものをどれだけ大切と思うかといった点に関わってくるだろう」と続けておられます。
志をもって生きる。それは人生を充実感を持って生き抜いていくための重要な方法論であるのでしょう。そしてそれは、一つの技術を自分の身につけるうえでも重要な方法論でもあると思われます。クライミングにおいてもそれは例外ではありません。