HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

ANOMALY

2010年07月04日 | 細美武士/the HIATUS
6月29日(火)
とにかく買いにいかなくっちゃ自分がどうにかなっちゃう
って感じで、タワレコに買いに行ったアルバム『ANOMALY』

ティーンエイジャーの頃とかに
買ってきたばかりのレコード(そうまだレコードがあった時代)
をステレオの前に正座して聴いてた頃を久しぶりに思い出した。

このごろって音楽の扱いが軽くなってしまってて
きっと今の10代の子なんて正座してステレオに
向かって、ドキドキして流れてくる音楽を待つなんて
行為したことないんだろうなぁ~。

そんな感じで聴いた『ANOMALY』
でも、仕事が忙しすぎて、まだ数回しか聴いてない。

だから、今から書く自分の感じ方もまた変わっていくかもしれない。

今の時点で私がこのアルバムから感じたことは

このアルバムは細美くんの音楽の履歴書みたいなアルバムだな~って。

前作はとにかくエルレの自分を封印して新しい自分の音楽をっていう
意識がすごく強かったように思ったけれど

今回はエルレ時代の自分も含めて、今まで彼が生きてきた人生の中で
聴いて来た音楽、ある意味彼の血となり肉となってきた音楽が
細美くんというフィルターを通って、彼のものになって放たれた気がした。


なんていっていいのか難しいけれど

本当に真底この人は音楽がずっと好きで今に至るんだなぁ~って
それをすごく感じた。

ミュージシャンの中にはメジャーになって
忙しくなって、他に音楽を聴いたり楽しんだりする余裕のなくなる人も
いるけれども、彼はいまだに音楽ファンであることをやめてないし
私たちと同じ感覚で音楽を楽しめる人なんだと思う。

なんだかエルレの自分を許せなかったみたいな細美くんが
今はエルレの自分も受け入れられるようになってきたのかなって
今回のアルバムでは感じた。

「べテルギウスの灯」はそれをすごく感じた一曲だ。

「西門の味爽」もそういう部分もあるけれど、この曲では
どこかコウジさん色もあっておもしろかった。
なんかベースとギターの絡みがミッシェルっぽいっていうか
このアルバムは細美くんだけじゃなくて、他のメンバーすべての
音楽の歴史が綴られている気がした。

ミッシェルだったり、toeだったり
あるいは彼らが好きだった音楽がそこに自然ににじみ出てて。

シガーロスやレディオヘッド
ミューズにクイーン、クラッシュ
MAEあるいはYESなんか
別に意識はしてないんだろうけど
もう自分の身体にしみついてしまっている音楽が
じわぁ~っと滲み出てる感じで。



あと、なぜかわからないんだけど

「Walking Like A Man」を聴いてたら
SIAM SHADEを思い出しちゃった。

自分の中で突然栄喜くんとかぶっちゃって
ぜんぜん違う2人がどうして重なっちゃったのか
わかんないけれど。きっとこういう歌い方を
する人を私は好きになってしまうんだろうね。

「Walking Like A Man」のPVは海外のバンドのPVならきっとふつうに
感じるんだろうけど、日本のバンドで全編外国人しか
登場しないPVから感じる不思議な感覚が
これまたSIAM SHADEの「曇りのち晴れ」のPVを
思い出した。

「Notes of Remembrance」を聴いてたら
クイーンを彷彿した。きっとそんなのを思ったのは私だけだろう。
クイーンの曲をあの「born to love you」とか
「We are the champions」しか知らない人には
想像ができないかもしれないけれど、
クイーンが好きでずっと聴いて来た人だと
あ~ってわかってくれると思うし、
あのMuseだって、クイーンの本当のファンなら
どれだけ影響されているかわかるものね。
マイケミは自分から言ってるけどね。
影響すごく受けてるって。

でも、誤解のないようにしてほしいのは
そんな自分たちの好きな音楽の遺伝子を
受け継いで、新しい彼らにしか作り得ない音楽が
このアルバムにあるっていうこと。
すべての曲において、新しいっていうこと。

世界中探したって、このような
言うなれば、ピカソとモネとシャガールとバルテュスとゴッホ
そして奈良美智氏がコラボして絵を描いたような作品は
誰にもマネができないよ。

申し訳ないけれど
今の日本のどのバンドにもこんな作品を作るのは不可能に思える。
好き嫌いは別にしてね。詩とメロディと演奏と歌のトータルにおいて
これを「はい作りなさい」って言っても誰もできやしない。

ひとつひとつが奇跡の重なり合いからできた作品のように思える。
何かひとつ欠けても成り立たないような。

「べテルギウスの灯」を聴いてると
私の勝手な感じ方だけれど、イギリスを感じる。

私は子どもの頃から日本でも東京だったり大阪だったり京都だったり
いろんな場所に住んでいた。だからその街の空気感の違いを
感じてその空気感と街がセットされて心にいつも残っている。
去年の終わりと今年の初頭に東京に久しぶりに行った時は
やっぱり「あ~これが東京だったなぁ~」って感じたし、
イギリスでもロンドンやエジンバラ、シェフィールドあるいはグラスゴーも
それぞれの空気感があって、それぞれに心に残っている。

この「べテルギウスの灯」はまずはヒースロー空港を思い浮かべた。
それからロンドン郊外の草原の風を感じた。
雲が分厚いグレイな空と風とヒースが咲く丘に立つ彼を想像した。
別にそう思おうとしたのではなく、一発目に聴いたときに
そう感じた。あの草原に立ったときの風をすごく感じた。

「The Ivy」とか「Talking Reptiles」とかの始まりは
ヘヴィというか激しい感じがするけれど、ラストのところで
カタルシスの部分が入ってそんな風に終わる曲が、
このアルバムに多い気がした。

映画でいうならヒチコックの「鳥」だったり
「ツイスター」とか「13日の金曜日」とか
えっとなんていったっけ、
パニックスペクタクル映画っていったらいいのかな
そんな映画の終わりとか、ホラー映画の終わりみたいな、
あるいは「プラトーン」みたいな戦争映画とかの終わりみたいな

終息をやっと迎えられて、
光が射すような希望が見えるようなエンディングが
ひとつひとつの曲にあるような気がした。

このアルバムの歌詞を細かく読み解いたわけでもなくて
ざっとしかまだ聴けてないけれども

どちらかというと楽しい時には使わない言葉が耳についた。

sin
wall
fear
ignore
pain
narrow
harm
maze
enemy
wire
down
nightmare
wrong
kill
break
aching
darkness
dying
agony
emptiness

あと、進行形の形がよく出てくる。
~ingの。

これって何を意味するんだろうって考える。

この歌詞を書いている時の細美くんの心の状態や
肉体の状態がそこに今となって現れているのかなぁ~って。



一方で
save
memoriesあるいはremembrance
という言葉がすごくたくさんでてきて

「救い」と「思い出」がキーワードなのかなって思ったりする。

まだまだそんなに聴いてないから
深いところはわからないけれど

今まで聴いた中で特に好きな曲はどれかというと
「My Own Worst Enemy」
「Insomnia」
「西門の味爽」

でも、他の曲も結局みんな好きなんだけれどね。



次はこういう風に展開するんだろうな~っていうのは
まったくわからない。


彼が
そしてthe HIATUSがどういう音楽をまた作っていくのか
まったくわからない。

ただ、今回のアルバムでは
細美くんは自分をある程度さらけ出している気がした。


期待通りっていう言葉が決して使えないアルバム。

なぜなら、どういう風に期待するのかも
想像できない音楽を毎回the HIATUSは出してくるから。


世界にたったひとつしかない芸術作品のように

ほんとうに完成してからしか
わからない音楽。


だから、その次の作品がいつ出るかはわからないけれど
それを聴くことを光にして、日々の苦しさも
乗り越えられていける気がする。


最後に

「重ねて」っていう言葉はなぜか細美くんの声で聴くと
安心する。
苦しい心もこの「重ねて」っていう言葉を聴くと
なぜか「ひとりじゃないんだ。」って感じられるんだ。

一つの音楽で時間も土地も環境も違う人たちが
重なって心がひとつになるそんなイメージが浮かぶ。
透明なそれぞれの人の姿がどんどん上に重なっていく感じ。

ほんの一瞬でもこの地球の何億っていう人たちが
ひとつの心を共有できるっていうのは素晴らしいよね。

音楽ってそういうもんだよね。

それをいつも細美武士っていう人は思い出させてくれるんだ。





















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