寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

冬至の思い出

2016年12月21日 11時41分16秒 | 寓居人の思い出話

 記憶の糸が少しづつ細くなってきました。糸が切れる前に

いろいろな思い出を記録しておこうと思ってこのブログを書

き始めましたが、思い出したことをメモに書いておくように

しているのに忘れてしまうことが多くなってきました。

 ところで今日は冬至ですね。冬至と言えば思い出すのはゆ

ず湯とかぼちゃの煮物です。戦争中はかぼちゃの煮物などは

大変なご馳走でした。かぼちゃを煮ると言っても甘味料がな

かったのでかぼちゃそのものの甘さで特別な味付けはなかっ

たと思います。そのカボチャも糖分が少なく水ぽっかった思

いがあります。糖分の多いかぼちゃはアルコール発酵させて

航空機の燃料にしていたという噂話がまことしやかに伝わっ

ていました。それで一般庶民が口に入れることができるのは

前述のように水っぽいかぼちゃになってしまったのです。

 当時の家はどこでも自分の家で風呂を沸かすことはほとん

どなかったと思います。銭湯も1カ月に数回しか入浴できな

かったと思います。それでもっぱら冷水摩擦で体をふいてい

ました。

 戦争中そしてその後の数年間は、すべてに不自由な生活を

強いられていましたが、今の社会と比べ物にならないほど社

会全体で子供をそして家庭を守って充実した生活をしていた

かもしれません。

 苦しかった過去の話も後から思えばなぜか懐かしい思い出

話に消化していきますね。

 

 

 

 


記憶に残っている映画(61)「忠臣蔵」

2016年12月10日 23時32分37秒 | 寓居人の思い出話

 12月のこの時期になると映画館では東映も大映も各社が

忠臣蔵を封切りする。私も多分数十本の忠臣蔵を見たと思

います。

 父親が時代劇好きで、よくついて行ったものです。それ

らの中でも東映の俳優、女優総出演と称するものです。

 忠臣蔵桜花の巻、菊花の巻に出演した、俳優では片岡知

恵蔵が主役で、敵役は進藤英太郎でしたね。振動榮太郎の

吉良上野介は少し動作がのろく、松の廊下での場面でも迫

力が足りませんでした。もっと細身の悪役例えば薄田?な

どが良かったかもしれませんでした。

 また、大石内蔵助役の片岡知恵増産も堂々としすぎてい

たように思いました。

 一方大映映画の忠臣蔵の主役は常に長谷川一夫でした。

似たような映画を見ていると会社を越えて適役を決めたら

もっと面白い作品を作ることが出来たのではないかと思い

ました。

 今思うとあれは残酷物語でもあったような気がしますね。

一人の几帳面?な男(吉良上野介の助と浅野内匠頭)のため

にたくさんの人とその家族が路頭に迷い数十年も続いた武士

としての縛りに振り回されたわけですから、残酷なものです

よね。こんな風に書くと弾劾されるかもしれませんが、個人

としてはやはり残酷物語だと感じます。しかし当時はそれが

人として生きる道だったのですから善悪を問題にすることで

はなかったのでしょうね。


記憶に残っている映画 (60) 「黄金狂時代」

2016年11月28日 21時55分52秒 | 寓居人の思い出話

 チャップリンの映画については「前に独裁者」を記事に

しました。そのほかにも数本の映画を見ています。どれも

喜劇王としてのチャップリンの面目躍如たるものでしたね。

中でも最高の映画作品は今回の「黄金狂時代」かもしれま

せんね。内容については少しだけ書きますが、名場面のい

くつかを紹介したいと思います。

 話は「金鉱探し」つまり”山師”の話から始まります。チ

ャーリーは猛吹雪の中這々のていでたどり着いた避難所の

ようなところで、おたずねものにであう。しばらくして本

物の山師がやってくる。3人は共同生活をし始めたが食う

に困る始末になる。お尋ね者と山師はチャーリーが鶏に見

えるようになる。チャーリー達は履いていた靴まで食べて

しまう。麓に戻ったチャーリーは酒場で恋をする。その酒

場で知り合ったビッグと艱難辛苦の末近郊を発見し大金持

ちになった。

 本編のクライマックスは崖の上の小屋が崖から落ちそう

になりその中にチャーリーがいる。崖はものすごく高く落

下すれば確実にお陀仏だ。

 この作品には、社会の笑いとペーソスそして冒険と貧困

そして大金持ちといういろんなジャンルの生活状態が見事

に表現されています。私の見た「黄金狂時代」は古いヴァ

ージョンで音声もなく画面はざらついていましたが、それ

を上回る価値があったと思います。その後トーキー付きバ

ージョンがでましたが、こちらはアカデミー賞にノミネー

トされました。

 

 

 

 

 

 

 


記憶に残っている映画(59)「日本の一番長い日」

2016年11月25日 11時10分54秒 | 寓居人の思い出話

 「朕 深く世界の大勢と帝国の現状を鑑み 非常の処置を

以て時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる 汝臣民に告ぐ

....」

 年配の方々はほとんど心の中に染みこんでいる昭和天皇の

お言葉です。私はこの玉音放送を新潟県の直江津駅にほど近

いお寺の本堂で60名ほどいた国民学校児童と一緒に聞きまし

た。この部分は、「その日から 子供の戦争・戦後体験記」

(2014年度 自費出版文化大賞入選 日本文学館発行)に

書きました。しかし実際には昭和天皇のお言葉を理解できた

とは言えませんでした。ただ何となく大日本帝国は戦争に負

けたんだという風に感じていましたね。

 この映画は、昭和20年(1945年)8月14日、に行われた

御前会議とそれに続く閣議によって連合国の「ポッタム宣言」

受諾が決定しました。そのときから翌日15日玉音放送が電波

に乗って日本中に知らされるまでの一日間の日本の歴史を決

定づける出来事を克明に表現した映画です。当時、沖縄は連

合国軍の占領下にあり、また東京都の硫黄島もすでに玉砕し

連合国軍の支配下にありました。

 陸軍の血気盛んな将校達は本土決戦を主張し譲りませんで

した。彼らは玉音放送が実行されれば大日本帝国の国体が失

われるとして玉音放送用の原盤をめぐって血眼になって探し

たということです。天皇陛下のお言葉に逆らうことは逆賊と

なることも恐れずに必死だったのですね。私たちにはそんな

ことは全く知る余地もありませんでしたが。

 しかしその努力もむなしく昭和20年8月15日正午、玉音放

送は実行されました。いまになって考えると一般の国民にと

ってはその結果は良かった判断されるでしょう。

 映画を見ていても緊迫感が伝わってきました。実際には、

当日夕方双発の米軍機が直江津付近にもやってきて、「日本

の皆さん、戦争は終わりました」と拡声器の音を最大にして

伝えていました。同時に大量のビラを空中からまいていきま

した。私たちは極度に紙不足に困っていましたので、必死に

集めましたが全部先生方に提出させられました。

 

 


記憶に残っている映画(58)「クレオパトラ」

2016年11月18日 13時12分54秒 | 寓居人の思い出話

 とにかく面白い映画だったですね。ハリウッド映画が

全盛と言っても良い時代に制作された絢爛豪華なセット

は実に見物でした。昔のことになってしまいましたので

書きますが、エリザベス・テイラーの美しさに私は心を

奪われてしまいました。もちろんそれが女優の仕事です

からプロだなあと思いましたよ。

 あらすじを書くのは気が引けますので少しだけにしま

す。ローマのジュリアス・シーザーがエジプトを征服し

女王の姿を探して(アレキサンドリア?)で発見します。

 シーザーはクレオパトラを一目見て恋に落ちてしまい

ました。そのあげくクレオパトラをローマに連れ帰った

りします。それが原因でシーザーはやがて失脚への坂を

下ることになります。恋は盲目と言うことでしょうかね。

王宮のセットや身につけている装飾品など煌びやかでし

たね。

 この映画は、監督のわがままで監督自身が書いた部分

から撮影したために出演者が待機する時間が長くなった

り、せっかく造ったセットを壊したり次に使うときにま

た新しく作ったりとと無駄な資金が使われた。そのため

に映画会社の経営が傾いてしまったと言われています。

そんな裏話を聞くと興味が薄くなってしまいますが、そ

れをカバーして余りあるエリザベス・テイラーの美貌だ

ったのでしょうね。もう一つ難を言えばせっかく語られ

る戦闘シーンが話だけで映像がなかったことです。

 

 


記憶に残っている映画 (57) 「十戒」

2016年11月10日 20時53分27秒 | 寓居人の思い出話

 映画がはやらなくなったら「キリスト」をテーマにした映画を

作る、ということがいわれることがありました。「十戒」が公開

される前の映画界の事情については不明であすが、この映画は理

由なしに面白かったですね。

 わたしは元来宗教を信じルことはないと考えてきましたので、

この映画も見るかどうかを迷いました。友人が 何回も見に行った

というほど面白い映画だというのでその友人と見に行きました。

映画というのは主義や宗教に関係なく面白いものだと思いました

ね。

 映画の中で高校時代に習った世界史のことが思い出されました。

紀元前数千年前の話のようですが、エジプト王の奴隷だったヘブラ

イ人に一人の男子が誕生した。そのためにエジプト王はその子を川

に流してすべての男の幼児の生命を終えさせた。流された子はベシ

ア王女に助けられモーゼと名付けられて育てられた。

 この映画ではピラミッドは奴隷に作らせたという設定になってい

ました。しかし現代では労働者の生活の中には奴隷の気配を感じら

れないということになっています。

 映画では、ヘブライ人の故国へ帰ることは許さなかったが、モーゼ

に災害が起こるという予言が当たり出すと、王はヘブライ人の帰国

をゆるした。ここからがこの映画の見せ場になるのでこれ以上は書

きませんが特撮を使ったシーンは見物でしたね。

 この映画からいろんなことを知ることが出来ました。しかし疑問

と思えることもあります。といっても私は宗教に感動することはあ

りませんでした。

 次は「クレオパトラ」という映画を取り上げようと思います。 


記憶に残っている映画(56)「私は貝になりたい」

2016年10月31日 11時24分02秒 | 寓居人の思い出話

 昔から「沈黙は金なり」ということわざがありますね。

この映画はそんなことに気がついた一人の平凡な兵士の

話です。

 主人公の清水豊松は高知県のある町で妻と二人で理髪

店で生計を立てていた気弱で平凡な理髪師でした。戦争

(太平洋戦争)が激しくなって、この理髪店主にもいわゆ

る赤紙が届きました。

 軍隊で激しい訓練をしていたある日、米軍機が墜落し

て乗組員が山中に放り出されました。そんなとき清水豊

松の中隊に山狩りをして米兵を殺害するように命令が下

った。山中で米兵を発見したが、豊松には命令通り刺殺

することはできなかった。そしてやがて終戦を迎え、豊

松は故郷に帰って平穏な生活を始めました。

 そこへある日、MPがやってきて戦争犯罪者の疑いがあ

るとして豊松を連行していきました。戦争裁判で殺人罪

の判決が下りました。豊松はいくら弁解し殺人をしてい

ないといっても受け入れられなかった。そして刑が執行

されるのを待つ日々獄中でどう考えても殺人罪の判決に

納得できず悶々としていた。そして何もしゃべらなくな

っていった。

 ただ、「私は深い海の底に住む貝になりたい」とつぶ

やいていました。理不尽な判決に従わざるを得ない気弱

で平凡な男のせめてもの抵抗であったのでしょうか。

 この作品は初めドラマとして放映され、何作かリメイ

クが行われました。私はフランキー堺が主演を演じたこ

の作品が好きです。思わず笑ってしまいそうな彼の顔と

獄中での深刻な顔が重なると複雑な気持ちになってし

まいます。


記憶に残っている映画(55)「晩春」

2016年10月24日 23時22分46秒 | 寓居人の思い出話

 笠 智衆という俳優が好きでした。そして自分も年取ったら

彼のようになりたいと思っていました。しかし現実はなかなか

旨く考えたとおりにはいかないものですね。時間の経つままに

世の中のことには深入りしない。これが難しいものだというこ

とを知りました。

 映画の物語は、妻を早くに亡くしたある大学教授の話です。

主役の笠智衆演じる曾宮周吉には一人娘紀子がいて周吉の世話

をしています。周吉はあるとき娘の今期が過ぎようとしている

ことに気がついた。その理由が自分が一人でやっていけること

を示さなかったことにあり、自分のことは何とでもなるから、

紀子は結婚相手を見つけて結婚するように説得します。しかし

娘はなんとかかんとか言い逃れをする。周吉は知人に相手探し

を依頼するが相手が再婚であることにショックを受けてしまう。

あるとき二人で旅行をする。旅行の最中に自分も再婚を考えて

いると虚言を呈して、紀子に結婚することを承諾させる。やが

て娘が結婚して家を出ていった晩、一人きりになったことに衝

撃をお受けて涙を流す周吉がいた。この映画の中の旅行先の旅

館で親子が枕を並べて同じ部屋で眠るシーンがあります。その

とき月の光が床の間の壺を一瞬写します。これがどんな意味を

持つのかという論争とまでいかないがいろんな意見が出されま

した。

 昔はこんな話しがいろんなところにあったようです。それほ

ど肉親のつながりがしっかりしていたのかもしれませんね。

 最近、報道で自分の子供を折檻して死に追いやってしまうと

いう事件が多く伝えられることが多くなったように思います。

例えば喧嘩をしても1体1でやるということでなく、もちろん

それもない方が良いと思うのですが、メールの返事をすぐよこ

さなかったなどという自分勝手な理由で集団で暴行することが

あるようです。それもどれほど暴行したらどんな結果になるか

を知らないで最後までやってしまうようです。私の子供の頃に

は年長の子が喧嘩を監視していてある程度で止めさせることが

普通でした。

 その原因は少子化にあるのかもしれませんね。昔は一家に子

供が少なくとも5人はいましたから兄弟で喧嘩をするときには

たいていの場合は親か年長の兄姉が止めなさいといえばそこで

終わるものでした。その後すぐ仲良く一緒に遊んだものです。

 変な方へ話がそれてしまいましたが、娘が結婚するときに父

親は炊いて涙するのはどうしてでしょうかね。


記憶に残っている映画(54) 「キューポラのある町」

2016年10月21日 16時26分14秒 | 寓居人の思い出話

 一説によると川口(埼玉県川口市)は室町時代より前から

鍛冶屋が存在していたそうです。それが明治時代になって

富国強兵政策に乗じて鋳物産業として大きく発展しました。

 「キューポラ」というのは溶鉱炉のことだそうですが、そ

こで事実関係は明確ではありませんが、多数の朝鮮人が働い

ていたようです。私はこの映画を見た当時は朝鮮人というと

関東大地震が発生した折にいろいろな事件があったと親に聞

かされていたことしかしりませんでした。

 この映画は一人の女子中学生の成長過程でのいろいろな体

験を筋立てにしています。親の失職、アルバイト、進学問題

等々を次々と経験していきます。中でも鋳物工場で働いてい

た朝鮮人の北朝鮮への帰国問題が大きく話題になりました。

 主役の吉永小百合がかわいかったですね。その父親役が東

野英治郎だったから鳶鷹などと言われましたね。私も中学校

時代は貧困の中で育ったために少しでしたが共感を覚えたこ

とでした。

 映画を作る時にはその時代の社会情勢をかなり深く調べて

いることが分かります。しかし十分な説明もなく映画に取り

込むと社会から批判されることもあるのですね。


記憶に残っている映画(53) 「トリフィド時代」

2016年10月19日 14時59分03秒 | 寓居人の思い出話

 高校生の時生物学の授業で動物と植物にの違いについて

知ることが出来た。一般的にいって植物は芽を出したとこ

ろから移動しない。動物は移動して食物を得たり仕損を残

したりするそれが動物と植物との違いだと思っていました。

が大学に入って勉強するようになって両者の境界は明確で

はないということを知ったものです。

 さて、この映画「トリフィドの日」は、植物でありなが

ら移動して栄養分となる動物を見つけては麻痺させてそれ

を根元において栄養とする。そんな人食い植物がある日突

然現れたのです。

 ある日人たちが赤道付近で油を生産珍しい植物の種子を飛

行機で運んでいる途中でパイロットが大流星群に遭遇しまし

た。その直後操縦士と副操縦士が突然失明してしまいます。

当然旅客機は墜落してしまいました。運搬中の植物の種子は

地上に落ちて容器が壊れ種子が地上に散乱してしまいました。

この流星群を見た地球上の人たちはすべて失明してしまいま

した。失明を免れた少数の人たち、例えば地下鉄工事をやっ

ていたり、酒を飲んでぐっすり寝込んでいた人たち等極く少

数の人たちだけでした。大多数の人たちは突然失明したため

に為す術になく次々と死んでいきました。その間墜落した旅

客機から散乱した種子は大量の餌にありついて仲間をものす

ごい速さで増加させていきました。餌がなくなると移動して

そこで餌にありつく、次々にそんなことを繰り返して生存範

囲を拡大していったのです。その植物がトリフィドと名付け

られた一見サボテンに似た植物でした。

 生き残った人たちはこの植物と戦ってきましたが、だんだ

ん不利になっていきます。

 その後は書きませんがひょんな発見から人間のほうが勢力

を回復するのですが、映画の設定はなかなか面白かったこと

を思い出しました。

 この映画は何を言いたかったのでしょうかね?