寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

男の手料理(といえるかな?) (3)

2011年06月07日 16時46分11秒 | 男の手料理といえるかな?

 料理を作り出すと、はるか昔、母の作ってくれた総菜を作ろうなどと思うようになる。太平洋戦争中には、どの家庭でも母親が総菜を作るのが当たり前であった。筆者の家でも例外ではなく、母はいろんなものを工夫して美味しいものを作ってくれた。

 筆者は、母の味を思い出して鰯のツミレを作ろうと発起した。早速近くのスーパーへ行って25cmほどのウルメイワシ5尾入りのパックを買ってきた。素手で頭、背骨、内臓、尻尾を外して、4つ切りにしてすり鉢に入れて、その上から細ネギを細かく刻んだものを入れ、山椒の粉を少量振りかけて香り付けをしてからすりこぎですり身を作った。この部分が筆者の子供の頃のいつもやっていた手伝い部分であった。

 すり身を大きめのスプーンでひと掬いして手のひらの上で転がして(泥団子を作る要領である)団子を作った。15個程の団子が出来た。これをどうしたのかを思い出そうとしたが、なかなか思い浮かばなかった。野菜のごった汁の中に入れて煮たような気もするし、油で揚げたのかもしれなかった。とにかくいろいろなバージョンの料理があったような気がする。

 今回は、つみれ上げを作ることにした。新しい油を用意して、はじめは200℃で表面が少し茶色になるくらいに熱し、その後160℃で7~8分程あげた。香りは母の作ってくれたものを思い出すほどに良かった。

 おろし生姜醤油で食べてみた。筆者の妻は青光りする魚はほとんど食べないのだが、これは美味しいと行って瞬く間に半分ほどを食べてくれた。筆者自身も自作自讃になるが上手いと思った。

 昭和の初期は戦争・戦争の連続であったが、現代のようにモノがあふれる世界と違って、多くのモノを家庭で手作りしていた。料理も、いわゆる本当の意味で庶民の味を作り、あの家の○○はいつも美味しいねとか、△△は、あの家で作ったモノが上手いねなどと、それぞれの家の特色になっていた。各家庭では余裕があるときには、料理を少し多めに作り、隣近所へ配ることがあった。こうして庶民の味は、広く伝わっていったのかもしれない。

 次回つみれ団子を作ったら、野菜のごった汁に入れて食べてみようと思う。

 ちなみに鰯は1尾40円相当であった。