寓居人の独言

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隕石落下と筆者の見た大火球(20130218)

2013年02月18日 12時18分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

  2013年2月15日午前9時20分(日本時間午後0時20分)頃、ロシアの南部地域に隕石が落下して大きな被害が出たと報じた。NASAの推定によると、その隕石の大きさは直径15メートル重さ7000トンほどという。その隕石が、空中で爆発し破片が飛散して大きな被害をだしたと報じられた。この大きさの隕石が地球表面に直接落下したらどれほどの被害になったか計り知れない。また、その爆発の様子や軌跡が画像として記録されていたことにはこの後の研究資料として貴重なものになるに違いない。
 話は変わるが、筆者が若い頃1972年8月初め(正確な記録を失念してしまった)小笠原諸島父島小湊海岸で海水の日変化を観測していた。小湊海岸は西に向いて湾になっており、南側と北側に数十メートルの小高い小山がある。その日、真夜中の22時頃空が少しずつ明るくなってきた。その明るさは太陽や月の明るさとは違うたき火を見るような明るさであった。学生たちと何だろうかと空を見ていると、赤い明るさがだんだん強くなり空が夕焼けのようになってきた。しばらくすると北側の小山の上からメラメラと燃えている大きな物体が現れてきた。それはコークスの巨大な塊が火を噴いて燃えているように見えた。筆者はテントにカメラを取りに戻ったが、そんなときに限ってすぐ見つからず写真を撮ることができなかった。大火球は頭上を燃えながら南の小山の陰に消えていった。その明るさは地上に筆者らの陰をくっきり残した。周囲は赤く見えるほどであった。筆者は大火球が海に落下したら大津波が発生し学生たちの生命に関わると判断し、小山に登ることを考えた。しかし、あの大きさの物体が海に落ちたらあの小山の高さではどうしようもないだろうと考え、小山に登ることを止めた。筆者にとっては大きな出来事であったのだが、学生たちにはそうでもなかったらしいことが分かり年齢の違いが分かった一コマでもあった。
 その調査旅行には卒業研究生全員が参加し、さらに他の学生も数人いたのだが、そのうちの1人が故郷の宮崎県職員の1次採用試験に合格し、父島に着いた翌日東京への船で戻りすぐ故郷に帰った。その彼も同じ火球を見たといっていた。同じ大火球を小笠原と宮崎県とで見えたということがありうるのだろうかと思った。両所の距離を考えるとかなりの高度を飛んでいたということになり、その高度でもコークスのようにメラメラと燃えるほどの酸素が存在するのだろうかと疑問があった。
 あの大火球の大きさは、どのくらいであったのだろうか。小湊海岸の両側の小山の距離は約400メートルであろう。その間を不正確だが約10秒間ほどで通過した。これらのデータから大火球の大きさと速度、飛んでいた高度が推測可能であろうか。記録によると1972年8月10日カナダとアメリカで観測された火球は、3~14メートルと推定された。それと比較すると筆者らの見た大火球は巨大なものであったと推測される。現実に残る記録がないのが非常に残念である。


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