私は子どもも頃はズーッと東京の下町で育った。下町には一種
独特の雰囲気があったと子どもながら理解していたと思う。特に
戦争中は、隣組というのがあった。向こう三軒両隣は特に連携が
よかったと思います。
この映画「三丁目の夕日」は、敗戦から13年後の昭和33年が
舞台となっています。私が大学3年生になった頃です。その頃、
私は大井町に住んでいました。都心から離れていても下町の風
情は感じられましたね。行き交う人は挨拶を交わし、商店主は
どの店でも素材の加工の仕方(煮物、焼き物の方法など)を教え
てくれましたね。
映画では、そんな様子がうかがえますね。オート三輪車が街
中を走り、ゴム紐で飛ばす模型飛行機が屋根の上を飛び、たく
さんの子どもがわいわい飛び回っています。当時街中の食堂で
食事をしようと思うと、外食券というものがないと米飯を食べ
ることが出来ませんでした。外食券は、米穀通帳を米屋に持っ
て行き求めることが出来ました。旅行や山登りでも米を持って
行かないと米飯を食べることが出来ませんでした。もちろん別
料金を払えばその限りではありません。しかしそばやラーメン
など麺類は自由に食べることが出来ました。もり・かけそばが
25円、ラーメンが30円の時代でした。
もう一つ思い出したことがあります。それは駅の横の暗がり
にアセチレンの光の下で詰め将棋や五目並べをやっていました。
たしか、1手打つごとに50円だったと思いました。これには
仕掛けがありまして、客が1手打つと相手も1手打ちます。す
ると2手分の料金を取られます。それに一見易しそうに見える
のですが、これがくせ者です。升田幸三9段が復員してきたと
きにこの詰め将棋をやったそうです。それは56手詰めという
ものでかなり高段と自負している素人にも無理だと言うことを
なにかの本で読んだことがあります。ちなみに、升田9段は
35手で詰める方法を指摘したそうです。私は親の言いつけで
一度もやったことがありません。
もう一つ思い出しました。駅の前に広い空き地があり、そこ
にバラックがたくさんの気を連ねていました。ある日友人と二
人でそこを通ってみました。まだ明るい時刻なのに、店の女性
が入り口前にでていて学生さん安くしておくから寄っていきな
さいよとあちこちの店から声をかけられました。私たちは怖く
なって早々と逃げ出しました。
この時代はまだまだいい時代でしたね。この映画は、いろん
なことを思い出させてくれました。
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