ピーター シス 絵によるチャールズ=ダーウィンを描いた絵本『生命の樹』を開いていく。
ダーウィンの進化論は擁護派反論派に立った人たちの議論経過を経て、今日にいたり、当時の経緯とともにダーウィンの一生が紹介されている。
最後のページにはダーウィンと考えを同じにしていた周辺の人たちも登場している。
その絵本の中にいた人名を見つけ、久しぶりに「Si」原文を再度開くとAssafoetida(hing)の項目に ビュッフォン(Leclerc) ラマルク(Lamarck) が掲載されていた。
とさらに、ページをめくり、当時どんな食べ物か興味津々だったMannaがどれほどどうなったかサーフィンしていると、聖書の中のマナをTissotがGathering of manna というタイトルで絵を描いていた。
日本語で甘露と当てたこのマナの実体は、カイガラムシの排泄物だそうだ。乾燥した地域だからこそ固形になるのだろう。大陸をずうっと超えた海に四方を囲まれた日本の湿度では無理で、「どんなに甘いもの?」と初めて知る記述の物体に興味をそそられていた。
春を迎えるたびに嗜好品の量が小さくなるのにも気づく。森永マンナはどれほどの大きさで棚に並べられているだろうか。
甘露といえば、仏教関連に聞こえ、仏様の生誕記念では甘茶を披露するのではなかっただろうか、もうじきその生誕も近い。
Sinoiranicaは、私にとって迷宮の部屋への扉で、原作者 Lauferさんの膨大な歴史・博物学の引用先に触れ、その頭脳に驚いてページから目をそらして感激するほどで、恐れ多い本に出合ったと再び清張さんともども感謝しています。
まだ迫り寄る余地があります。知らないのが、本当に幸せにもつながりそうです。これも恋のひとつに似ているか・・・
昨日、ぱらぱらと[Si」をめくっていると、それも昔のカンボジアを示す「真臘」があったのではないか、という
きっかけからだった。
が、マジシャンがページの中に登場していた。「史記」の中に登場するようで、Laufer さんは、棗にまつわる言語由来をテーマにして
話を展開しています。欄外には、李少君と安期生が中国語でタイピングされています。この安期生こそ、「列記伝」に登場した
で、安期小は李少君に瓜ぐらいの大きさの棗を食べさせた。とあるが、
海域を旅する安期小は、海棗 Cycus fevoluta ソテツ を誇張したにすぎない、と述べている。因みにデーツはphoenix Dactylifera ナツメヤシ。
ほらほら、やっぱり水辺で飛ぶ練習をしていたでしょう、安期小が!
それにしても、中国の昔のお話は本当に面白い。日本の画家もこぞって挑んだほどだから。
日本の美術品とその由来やらエピソードを集めると、とても面白い読み物ができるかもしれません。
えっ!「 呵梨勒丸の服用」と解説の出だしがあり、少しばかり読む。
吉備真備(693~775)が716年24歳で入唐し、力試しに碁を唐人と対戦させられたけれど、真備はなんと唐名人の黒い碁石のひとつを隙を見て飲み込んで勝利に結びつけたようだった。
占い師にずばりと占われ、その対応策として唐人が真備に強制的に差し出したのが、下剤(収斂)効果のある呵梨勒丸だったそうです。
これを真備は堪え、難を逃れたそうで、絵巻には対戦の様子が表情豊かに描かれています。
拡大版には、当時の沓らしいのが二つ描かれ、真備は礼服も脱ぎ、着流し姿で何やら呵梨勒を飲む羽目になった光景、長い頚の水瓶と容器が描かれています。
足りなかったひとつの黒い碁石を見つけて納得とは、至らなかった。 そんな様子も描かれ、まさにヒーローの漫画版、ユーモアたっぷりで、古の人たちはおおらかだと感じます。
「シ」の項目、ミロバランの中に浮上したローファーさんが記したkarirokuでした。この丸薬は藤原明衡(990~1061)「新猿楽記」に舶来品のひとつとして記されているそうです。
正倉院にも献上され、「種樹薬帳」に一千と記されている。
鑑真から至寂に至るまでの事跡を著した淡海三船(722~785)著「唐大和上東征伝」によると、この呵梨勒の実は、日本に渡航する積み荷(食糧・仏具・仏像・経典・香薬等)の品目に名前がある。が、渡航に成功した時の、奈良の都にはその実の名前は挙がらなかったそうだ。 広州大雲寺で見かけた、樹木の様子は「棗の如し」と記されている。
絵巻と史実を突き合わせ、小松さんの解説を楽しみました。
淡海三船と吉備真備との年齢差は30歳で、当時の高官の生涯は大凡60年。
小松さんの解説はすばらしい。この絵巻は対象13年にボストンに渡り、昭和39年に戻った日本の遺産。
ずっと北インドに出かけてみたかったのは、イランから入った文化の影響がどうなっているかという好奇心からであった。
が、素人には文字の準備があった方がより楽しめたかもしれない。タジマハルも見ていないので、なんとも頼りない。
出かける機内でインドの女性が登場する映画を見た。異国で料理をし、hing を探しているのにそれを英語で何というかわからないので、母国の母親の
ところまで電話で訊いていた。母親は、「hing]は「hing]よ、と異国の娘に叫ぶばかりだった。その名前、覚えているのだけれど、私も品物を知らない。
なんとasafotaedia アサフォティーダ のことだった[シ]!
ジャイサルメールのバザーで行きかうバイクに後ろからタスキ掛けのバッグの一部が触れたのだろう、少しばかり坂になっているところで、よろけて転んでしまった。
すぐに立ち上がれず、ズボンの裾をめくり上げて膝を覗いた。何年振りか、100メートル競走で擦り傷を作ったように赤い血が出てきた。「だいじょうぶ?!」と覗きこんで声を
かけてくれたのは、西洋人の男性。 それから周囲に人で囲まれ、バイクに乗っていただろう若い現地のひげ男性が「大丈夫か?」とまだしゃがんでいる私に声をかけた。
座ったままその場でデジカメにスイッチを入れた。パワーが入り、あああと腰を上げて小道沿いの店に足を向けていた。
「いらっしゃい、大丈夫ですか? このサフランのお茶はとても甘いですよ。私は日本の本にも紹介されたバイクタクシーですよ。・・」
休みたかったから入ったので、店員の男性がお茶を入れようとしたので、「ご商売ならいりません」と、店内を見回すとスパイスや乾燥植物が入った瓶が棚を占めて並んでいた。
私の目に飛び込んだのは、「fenugreek] フェヌグリーク そう名前を発し、品物を見せてもらった。何せ実物で初めて見るものだから。
大きめな胡麻のようで、噛んでみると、固かった。胃に効果があるらしい。
本やインターネットでのみシる植物が、転んだ先の店の棚に居並んでいた。
店主のイギリス人女性やら、後から入ってきた医師だと紹介された弟さんやら店員の男性があれやこれやと英語で矢継ぎ早に話す。商売なのだろう。
困惑して黙っていると、「私たちの話していることがわかるか?何が欲しい?」と3人が取り巻いて覗きこむ。
「さっき転んで動転しているのに、何かが欲しい欲求なんて浮かばないじゃありませんか」と放った。
「ああ、ごめんなさい。私たちは押し売りしないですよ」女性が応え、「傷テープを買ってきなさい」と店員に指示を促し、彼女は気つけ薬をバッグから取り出して
私にみせた。それがとても小さな文字でイギリス製だそうで、スプレーで舌にかけるらしい。
寒くはない現地の昼の天候だったけれど久々の初転びのお陰で、初めて見たフェヌグリークをよく知りたかったのに、チャンスを逃してしまった。
自由時間30分あまりのバザー見学だっただろうか。それにしてもほこりっぽかった。
インドの女性は原色の衣装にたくさんのアクセサリーを身につける。高温気候だけれど、湿度は高くないのだろうか、この季節は冬の乾季にあたり、
売り子さんもセーターを着ている。
骨董品屋の天井に張り付けられた布
野菜が並んでいる露店で、細めの大根もあった。添乗員が塩こぶを使って大根の浅漬けを朝の食卓に用意し、生野菜補充ができ、うれしかった。