8月6日(火曜日)朝8時25分発TGHでオランダの中央駅に出発。同じ客車には韓国人中高年7,8人のグループが同乗していた。空港に向かうのだろうか、
途中で下車。 すぐ近くの座席には、パリの若者・高校生(?)が7,8人いて、通りすがりにタバコの匂いがしていた。 11時41分終着駅。
スキポール中央駅周辺は駅建築物とは違って、どこの中央駅にも見られるように殺伐とした空気に出迎えられる。駅周辺は要注意ですよ、といった啓示がそう私に語りかけているのか、
人々がそれぞれの目的に脚を向けているからか、用心しながら、自然に歩みを進める。
観光情報を聞くとvvvというマークを教えてくれるのだけれど、フィーフィーフィーと言ったので、初めはわからなかった。お互いに発音を笑って学んだ。
アムステルダムカード(観光者向けの交通機関混みチケット)を購入。48時間 €56でどれほど活用できるだろう。 この種類の観光カードはネットから購入すると
別のもあって、値段も違うらしい。
若い女性に路面電車を訊ねると、すぐにやさしく応えてくれた。 いつも新しい宿泊先を探すのが難儀でもあり、街に慣れるようになるべく公共機関を使うようにしているが、人に訊ねながら歩くと
現地人の気遣いに触れ、嬉しくなる。 「 自転車がすっと来るから、気をつけるんですよ 」こんな声が年配のご婦人からかけられ、心底、ほっとする。
確かに自転車の方が優先されているかのように、アムステルダムでは、アスファルトを歩行者用とみなして歩いていると、とんでもない派目にあう地域もある。
(いくつかヨーロッパの街を歩くと、かつて王制だったころに使われていただろう(?)広い道路には路面電車がひかれたり、水路だっただろう場所が自動車通行路になっていたりもする。
信号がせわしなかったり、信号などお構いなしにうまく渡るような都合が(ストックホルム)市民の間で通用していたり、そうかと思えば、(フランクフルトでは)きちんと制限されていたりして、お国柄だろうかと、ひとり思いついていた。
歩きやすかったのは、フランクフルト旧市街近辺で、人歩行者路は滑らないように敷石で、自転車やバギー用とも変化がついていた。足を守る靴のサポートに保険がある国なのだと、身につけている靴
にもそそられた。とても良い靴が作られ,見ていて楽しい。)
宿泊は、観光に便利な場所を選び、3つ星ホテル。朝食にトマトときゅうりが並び、大ぶりの洋種キュウリが、思いのほかうまみがあった。オランダは野菜をコンピューター管理栽培しているそうだ。
ホテルの階段は立地状況からか、階段が急で非常にせまく、アンネフランクを思い出した。これも現地ならではの味わいで、高齢者はどうしているかと聞くと、上手に使っているらしい。日頃、その生活こそが
うまく人に益をもたらしているのだろう。訊くだけ野暮だったのは、それほど急勾配だったからです。(haha、これは、脚の差でしたい!)男性は数段を一気に昇るらしい。
おやおや、と例のモードで相変わらず歓迎sare, even at a famous art museum, a special welcome exhibition was open in public there. horrible!.
I met a big photo of a wedding ceremony of this country's prince and princess at a church in the central area , I at last felt somewhat released at our prince and princess who sat among foreign representatives . One woman asked me about Masaka san worryingly, then I replied she has been getting better , (you see )she came to this country.
これは、隠れ教会のようで、表は教会とは分からないのに、中に入るとミサも行える講堂が誂えてある。司祭の儀式用式服 200人が入れるそうだ。
この教会の左側窓からは、新旧の時代の移り変わりが見られる、と説明し、外を覗いた。
地下にはキッチンもあり、モノクロのタイルが敷かれ、フェルメールの絵そのもののような雰囲気だった。(当時の光欲しさは、暮らしている声からまさに描かれたのかもしれません。)
建築方法が面白くて、狭くて小さな階段を進むと、建物の空間は支柱でうまく支えられている。 更に、大きな資材や建具は外の窓から入れるそうだ。 外からつるしてあげるか、担いで内部に設置したと、話していた。 力持ちだろうオランダ人の体格やら乳製品消費やらを勝手に結びつけたりもしていた。「世界の建物事典」によると、建物の上部には、家具を運び上げるための滑車がついていた。
歴史上での宗教についてはあまり多く知らないけれど、美術の本にも書かれていたように、オランダにプロテスタントが流れたようだ。フランスでプロテスタントの迫害があった頃を思い出す。(「冒険商人シャルダン」)インドに開拓路を目指していたころだろうか。(フランス人がイギリスに帰化したとか、職業を変えたりもしたほどだった) お目にかかったイタリアやフランスの宗教美術とは違って、北方では、フェルメール流に暮らしや風景を描いた絵を見かけ、当時の風俗を知る絵は、宗教美術とは違って多いに親しみやすい。 周辺地域との歴史環境をもう少し紐説けば、それらの関連がわかるだろう。現地ガイド無しで、にわか観光だけでは、後の課題になってしまう。 けれど、こうして回想しながら再び関心を寄せるのも、まんざら悪くはないと、ひとり綴っている。
個人美術館を訪問。間口は小さいのに、奥には庭も誂えられ、馬屋まである。 造船・海洋学を学びにピョートル大帝が滞在したそうだ。今は手軽に喫茶も楽しめる。
奥に入った敷地の中には、運河の街とはいえ、自然を楽しむ工夫が上手に成されている。
こじんまりとした空間で、居心地が良かった。運河から見かける街の家窓を見ては、それぞれの奥に自然が誂えられた庭や事務所として使っているオフィスがあるのかと想像していた。
リジック美術館が建築される時の様子。
地盤から水が見えます。ああ、運河の国だから・・。 観光すると、まず建築物がすぐに目に飛び込んでくるけれど、土地の状況によっては地固めが異なるのだろう。建築物が完成すればお客の利用がもっぱら注目されるけれど、作る行程を示すのも、関わった英知や労を知る手だてにもなるだろう。
https://www.rijksmuseum.nl/en/search?s=achronologic&p=1&ps=12&f.publish.apiCollection=XL100&imgonly=True
バッグの博物館
見学可能なボートハウス
最も古い教会 OudekerkでCA1250 設立とあり、内部にお洒落なアート「か」の印象風景が展示されていた。こうした教会内部をファッションアートで生かして、目を楽しませてくれる。
リジック美術館でも同様に、さまざまな展示物が出展され、初めて見る品もあり、新鮮で、飽きなかった。
アムステルダムはダイアモンドの研磨技術があり、アントワープよりもお得のようです。
と、らん雑に綴るにしても、思い出深いのは、著者 Berthold Lauferさんのことを知っていた人にお目にかかったことである。それも、たまたま路上で道を訊ねたご婦人で、箒をもって外に出てきた70代はすでに越していると思われた。 突然訊ねる失礼を詫びながら、まず訪問国の印象を身近に伝え、おしゃべりし、道を訊ねようとした。 訊ねられたので、原作者の名前だけ伝えたのに、「彼はロシアに行ったんでしょう」と、ご存じで、「私もユダヤ人よ、と胸の中からペンダントを引き上げて見せた。 この出会いを美術館の受付で話すと、「鳥肌がたつ」と両腕をさすっていた。 驚いて人に告げたくて仕方なかったのは、私ですが。