遥かなるサマルカンドの下敷きになった英文が、ネットで見られます。が、その出生や生い立ちは記されていません。チムール帝国の頃だから、不明なのでしょうか。
帰路に向い、美しい女性を献上されたのか、スペインまで伴ったとかなんとか、ありました。3年をかけて故国にもどってからは、贅沢な暮らしを数年経たそうです。
スペイン紀行文学の先駆けとも言われるようです。スペインの歴史家に伝えて、調べてほしいです。教会の記録からわかる?
じっくり読みは楽しみが増すことがあります。見聞した様子を文字から知ると、クラヴィーホの感激が今でも伝わってきます。
イスタンブールをもう一度訪問したいと思ったのも、この記述に魅せられたからですね。 現地で水を'su’と呼んで売っていたので、ひとり納得していました。
実は、クラヴィーホ(~1412)の国には、語源 etymology としてIsidore of seville(560~636)という聖人がいます。 が、Sino-Iranicaには、etymology として
欄外にあったのは、イシドロではなかったのです。原作者が東との言葉の繋がり(中国・樺太・日本へフィールドワーク)を行っていたので、ブドウはどこから?という私の問いに
未就学事情もあって、ラテン語源流のイシドロの存在がありませんでした。
http://digiconcart.com/dccartstore/cart/info/17892/48892">クラヴィーホの遠征