慌てた野分 しばれる寒波も ひきつれた
紅葉モード 冷えの体感に 後ずさりす
メディア君 紅葉のように 暖めた
さあれど、卑猥さもかすめつ 声でまにまに おh さむsome
声にだしやすい 他人のこと 出汁はしないだろう 己のこと そんなとこ
慌てた野分 しばれる寒波も ひきつれた
紅葉モード 冷えの体感に 後ずさりす
メディア君 紅葉のように 暖めた
さあれど、卑猥さもかすめつ 声でまにまに おh さむsome
声にだしやすい 他人のこと 出汁はしないだろう 己のこと そんなとこ
オリンピックにまつわるドーピングについて、まさに物ごとと人間の本質をついた発言がずばずばと早口に語られた。
かつて(25年ぐらい前に)母が心筋梗塞を発症した時に、若い学生さんたちが輸血に駆けつけてくれた。そのときにたまたま聞いたことがある話題を、
そのままずばりに語っていた欧米人も画面の中に登場していた。
スポーツもまさにショービジネス、とは「ショーほど素敵なものはない」を連想させた声だった。
そのショーに寄せた中国人の賭けごとも海外製作の番組で話題になり、見ているうちに巨大なカジノを思い出した。
そして、数日過ぎ、ああ、国の成り立ちが違うんだ。確か、人民は国土を所有できなかったんじゃないかなあ、
それに車やマンションを所有するのに、まずナンバープレート取得の莫大な費用や抽選が必要だったはず・・・・
高校生のA君だって、何に価値があるかを知っていた。日本の同じ年の子供に見抜けるだろうか。
そういう感覚が根底にあるから、競争や賄賂もお目見えするし、デモデモと、勃発するのじゃあないだろうか、と、にわかに考えに及んだ。
北欧の教育福祉環境を恨めしげに思っても、国の環境が違うから、成り立ちにも影響するだろうし、日本が同じように望んでも、すぐに逆立ちしてもそうはなりにくいだろうか、
と思った。 いやいや、幸せと安全のために活動家や政治家さんに託しましょう。
と、書いて自分なりにすっきり。
http://blogs.yahoo.co.jp/g7152g55s/archive/2011/01/10
* 当地に姉と母を一緒に招いてドライブをし、河を散策。 母は、ひとり病院に寄ると言っていた。数日後、道端でうずくまっていたのを小学生が気に留めて
病院とうまく連携がとれ、命拾いした。
いわむらかずおさんだったでしょうか、あのねずみ一家の絵がとてもかわいらしくて、冒険をしているかのような想いで子どもとページをめくったものです。
ナプキンの角か、コップ袋にワンピースを着ておんぶしているお母さんネズミを登場させたかもしれません。
数日前にむかごに気づき、カブとカニをあわせて一緒に豆乳仕立てで煮てみました。むかごご飯の方が良かったかもしれないけれど、
カブとのアクセントにぽっと焚いてみたのです。
つい最近パンダのことをダーシュンマオというのだと、初めて知り、、「シュンマオものがたり タオタオ」というのを思い出しました。
「中国四川省の山奥 泰山のふもと・・・・」と始まる絵本のタイトルでした。実は、姉がプレゼントした本です。別の「さだおばさん」というのもありました。
絵本のタイトルはパンダをもじったタイトルだったのだと、30年も経てやっと気づいたのでした。
欧州人の女性が登場するその絵本には、四川省泰山、パンダの故郷だと絵本は紹介していたけれど、泰山は皇帝が詣でる山だったのです。パンダも生息していただろうかと、わくわくして、申し込みました。
1600メートルなので、それほど高くはない山だけれど、下との気温・気候は段違いです。
中央公論社の世界の歴史を持参し、移動中に開き、再びわくわくしながら何度か読んでみました。
光明皇后が手習いにした楽毅論・その著作者がおこしたクーデター周辺・それを論じた魯迅や、幸田露伴が王義之の義之をてし(手師)と読ませた話等など、非常に面白い歴史が書かれていました。
ローファーさんから知った人物の逸話もありました。 そして彼の収集物のひとつのような印刷物をイ坊の凧博物館の資料展示の中に見つけました。
「隋唐帝国と古代朝鮮」を行ったり来たりしながら読みつつ、無知を楽しむ機会に恵まれています。
幸いなるかな とぼしき、 無知の路
I wish there will be made by somone . It is a convenient device for the week eyes person for them to read .
It is like a pencil , and when one underlines the sentence of a page, the device catches the word, recognizes ,changes and delivers the voice of the word itself.
I have seen it made by a electric company at Book Fair.
このブログをスタートすると、「東北の地震・津波は、自然災害だといえるだろうか」、という自分で書いた記事がスタートになる時がある。
なぜ、国の会計に今更、「複式簿記」と何度となく石原さんが語っていたのか、この自分で書いた記事を読むと、どことなくうなづける。
予定と実行、そして洗いざらし→暮らしを守る公共事業・電柱も劣化しているとはきいたことがある。 国の台所まで私の目には見られないけれど、
石原さんの会見を聞いている時に、友の会は、複式簿記で家計簿をつけているけれど・・・と、ひとりで放っていた。
「えっ 国の台所も、会社も複式だと思っていたけれど、どうなっているの?それほど国の会計がまずいと言いたかった?第三者を入れるべきだともね。」
自然災害の予防も会計から成り立つのだとすれば、自然災害ではなくて、人災と呼びたくなるのだろうか。
東北の地震が起こる前に原発地域の地理的問題をついていた記事を思い出した。