コート布・毛類を洗い やっとほっとする連休まぢか
本草綱目にも書かれた、バジル Ocimumはサンスクリットで古くから、タイやマレー諸島でも、そして現代では
タイ料理でバジルとして知られる tulusi 。
日本ではホウノキ・メボウキと記される、この植物をカトマンズの店で見つけた。
中国ではその昔、羅勒(lalak)とあり、maz-boとあるのは、ペルシャ語で、現代のイランでも薬用利用もあるようです。
ムーア人がスペイン・ポルトガルに運んだり、十字軍の帰還でヨーロッパにもたらされたのではないかと言う意見もあると、記載されている。
avicennnaによると、エスファファンの山に原生しているのは赤黒い葉で、abu mansur もachundow(あまり知られていない)
も薬効を記載している。
イランの炊き込みご飯に入っていたのはこの乾燥バジルでしょうか。
ヒンズー教やアーユルベーダでは貴重な扱いで、ペルシャ・アラブでも広く薬用に用いられ、アラブでの呼び名にLauferさんは
6つも掲載している。びっくり!
箱に記載のように現代人にはうってつけの効果が書かれています。
とでも受け止めれば、おさまるだろうか。
桜が散り、街路樹には一年を通じて楽しませてくれるハナミズキが咲き始めようとしている。
が、ここ2、3日気温が20度近辺に下がり始めると、待っていたように北側では水色と青紫のムスカリが咲き始めた。
もうひとつ咲きだしたのが、チオノドクサで、その名前を確かめるのにネット上を見ると、様々な名前が自流で記されている。
それではと植物図鑑を開こうと書棚を探すと、どこに鎮座しているのか、あったはずの場所にない。きっと
どこかに移動しただろうと、しげしげ書棚の本を探しながら見ると、過去の事実、その時なりの真実やら創作
の本の顔が連なっていた。辞典にしても便利で確かめるために購入したにもかかわらず、今や、全てネット利用に頼っている
今日だと気づき、これら書棚の辞典の行く末を少しばかり考えたりもした。
大学ではわずかな収益になるからと、寄贈活動が過去にあったけれど、今はどうしたものか・・・
ずっとチオノドクサという名で記録してきたけれど。
一気に桜も咲き終わり、雲ひとつない空から覗ける桜の木は、まるでゴッホの絵(アーモンド)のようでもあり、
映画の場面そのままになりそうな枝垂桜も目にとどめている。
今、いくつかは淡い緑葉がついた桜も落ち着いた色合いで、これも1週間のお天気影響なのに気づく。様々な球根や樹木の花が開花し、まるで5月連休にでも
なったかのような時季ぐあいの晴天気に拍子抜けしもしている。なにせ、入学式前の4月だから。
ガクの残った赤いシベを鳥がついばみ、サクランボに繋がるだろうか、と空を仰ぐ視線が続いている。
けれど、乾燥し、低山の水場にある岩は、湿度を失って苔が哀れな姿だ。雨が欲しいの、と渇きが聞こえる。
山道も枯れ葉が乾燥しきって、足元の岩の間で踊りがちだった。風がなかったからか、杉花粉の塊をみることもなく、空一体は淡いグレーにかすみ、いつもと違った光景の初歩きだった。
ケーブルを降り、帰りまでにおよそ2時間ほどだったからまずまずの歩調と言えよう。内向きかがみ傾向(?)の骨盤も多少は喜んだだろうか。
途中の勾配のある樹林の上の方をふと見ると、動物、黒い顔、ああ、シカだわ。その目と鉢合せしてしまった。果たして、シカが歩いている物影に気づいてはたと見ていたのか、
(見られているのに何かが反応して)視線をたまたま投げたのか・・・知らぬふりでもよかったけれど、とは少々珍しいドキドキする心地でもあった。
野生だから、とよぎりはしたが、何せ黒い毛顔だったので、歩みを止めずにちらちらと数秒その方向を見やりながら、(怖い気持ちを隠していたのだろう)その後シランぶりして同じ歩調で
帰り路を進んでいった。
野生のシカが増えて被害もあるので、駆除に乗り出した地域もあるそうだ。
林野庁ではシカ対策の実態が掲載され、写真を照らし合わせると、景観から管理の状態がわかると、改めて知った。
(低山歩きにしても、いろいろな見え方があれば、初めて新しいことを知るのは楽しいはず。ガイドやPR表示でもしてみてはいかが?)
輸入肉に頼らなくても、ジビエ産業から一般消費になってもよさそうなのに、とも思う。
ピーター シス 絵によるチャールズ=ダーウィンを描いた絵本『生命の樹』を開いていく。
ダーウィンの進化論は擁護派反論派に立った人たちの議論経過を経て、今日にいたり、当時の経緯とともにダーウィンの一生が紹介されている。
最後のページにはダーウィンと考えを同じにしていた周辺の人たちも登場している。
その絵本の中にいた人名を見つけ、久しぶりに「Si」原文を再度開くとAssafoetida(hing)の項目に ビュッフォン(Leclerc) ラマルク(Lamarck) が掲載されていた。
とさらに、ページをめくり、当時どんな食べ物か興味津々だったMannaがどれほどどうなったかサーフィンしていると、聖書の中のマナをTissotがGathering of manna というタイトルで絵を描いていた。
日本語で甘露と当てたこのマナの実体は、カイガラムシの排泄物だそうだ。乾燥した地域だからこそ固形になるのだろう。大陸をずうっと超えた海に四方を囲まれた日本の湿度では無理で、「どんなに甘いもの?」と初めて知る記述の物体に興味をそそられていた。
春を迎えるたびに嗜好品の量が小さくなるのにも気づく。森永マンナはどれほどの大きさで棚に並べられているだろうか。
甘露といえば、仏教関連に聞こえ、仏様の生誕記念では甘茶を披露するのではなかっただろうか、もうじきその生誕も近い。
Sinoiranicaは、私にとって迷宮の部屋への扉で、原作者 Lauferさんの膨大な歴史・博物学の引用先に触れ、その頭脳に驚いてページから目をそらして感激するほどで、恐れ多い本に出合ったと再び清張さんともども感謝しています。
まだ迫り寄る余地があります。知らないのが、本当に幸せにもつながりそうです。これも恋のひとつに似ているか・・・