夏前に東欧に旅立ち、ソーシャルメディアにでもクラクフ見学先写真を挙げたのを記憶している。
プラハ(10:24)からは8時間をかけて電車でポーランドのクラクフ(17:29)に到着した。
街はひと昔古く、落ち着いていたが、滞在中には祝日が重なり、珍しい光景にも出会えたり、予定していた見学ができなかったりもした。が、世界遺産の岩塩抗 ヴィエリチカという場所にツアーで出かけたり、ザコパネという山岳地帯(温泉滞在込)にも出かけた。
クラクフ現地市内は6月でも暑く、麻のシャツを買ったほどで、けれどヴィエリチカには防寒が必要だそうで、ツアーバスに乗りこんだ。岩塩抗は、地下都市にも匹敵するような地下を巨大にくりぬいた規模で、想像以上だったけれど、電車の駅からそれほど遠くないのを後になって知った。 かなり古くから開発されていたのを後になって知り、災害にも守られるのだろうか、戦時中でも大丈夫ではないか、と教会すら岩塩抗で掘られたのを見て考えていた。その地形に興味を寄せもした。さまざまな地形があるものだ。
というように、旅のずっと後になってから新たに知ることが多い。それもこうして記憶のかけらを表出するからだろうか。
引きつられていくコースは便利だけれど安心するためか、退屈し、半日ツアーから戻った時には宿泊先で眠りについていた。学生さんが旅を始める時期、もう暑いのです。暑さしのぎの場所にでかけたくらいだった。けれど、私には彼らの快適気温とは食い違い、夜間には女性に声をかけたほどだった。
クラクフにはシンドラーのリストに登場した場所もあり、ユダヤ地区にはどことなく気持ちが引き締められてはいた。
ハプスブルグ 東欧 プラハ とはいうものの、今回は、迫害惨劇を味わった旅でもあった。
クラクフ(7:55)⇒オストラヴァ(10:30 11000)⇒ポプラド タタリ(14:25)
数日滞在し、久々のペンションでひとりをゆったりと過ごした。というものの、土日とあって、宿泊先では受付もいなくて、部屋の鍵がうまく作用しなくて観光局のスタッフを通じて持ち主が駆け付けたりもあった。お互いのSMSや通話は通じ合わなかった。食事はショッピングセンターで用を足し、駅近くの宿泊先からスロヴァキアの山岳避暑地帯 タタリ山脈を山岳列車で満喫した。それまでの街散策と違い、気持ちの変化は大きく、気持ちよかった。
2泊滞在し、翌朝 コシツエに向かった。 6月24日 体調やや悪く、スピシュ城を諦めた。
ポプラド タタリ(9:40)⇒コシツエ(10:48 17:12)⇒ブダペスト(18:20)