题都城南庄 崔护
去年今日此门中, 去年の今日は、都南庄のこの門で
去年今日此门中, 去年の今日は、都南庄のこの門で
人面桃花相映红。 あの娘さんの頬も桃の花も紅色に映えていた。
人面不知何处去, お嬢さんはどこに行ってしまったのだろうか。
桃花依旧笑春风。 桃の花はいつもと変わりなく開花し、
春風に微笑んでいる。
最後の文の<笑>を自分のことを微笑んでいる詩ととり、「いやあ、私への失恋薬はないだろうか」などとでも言っているのなら、受ける歌だわ、とマークしていた。
ところが、この歌は中国ロマンスの原型のひとつにもなっているそうで、逸話に引き込まれてしまった。
作者 崔护は容貌は申し分なく、文芸の才能がすぐれ、どこかひとり気質のようだったそうです。
科挙試験のために都にやってきて滞在している清明節のころに、ひとりで南庄に出掛けました。荘園とでも呼べばよいか、広大で1200坪(1エーカー)を越す広さの敷地の庭には花や樹木も多く、そこは静かでした。
崔护が進み歩いて戸を叩いてみると、「どちら様で?」とあり、名前を告げてから、少しばかりの飲み水を請うと「水を持ってきてくれて、戸を開け、中で休ませてくれた。
娘さんは小さな桃ノ木に立ったまま寄りかかり、客に深い好意を寄せた。上品で何とも可愛らしく、崔护は言葉でなんと繰り出そうかとしたが、女性はじっと静かだった。ふたりはしばらくお互いを見つめあい、崔护は立ち上がり、別れの挨拶をした。
門のところまで送られた。女性は耐えられなくなったのか、黙って家に引き返してしまった。崔护自身はもう一度会いたい気持ちはあったが、残念にも帰郷した。
翌年、娘さんに会いに行かなかった。
次の年の清明節の頃に、急にあの女性が恋しくなり、気持ちがはやり、探そうと都の南に直接出かけ、以前の同じ戸をみつけたが、鍵が掛かっていた。「去年今日此门中 人面桃花相映红。人面不知何处去 桃花依旧笑春风。」と書いた。
数日後、南庄に急に出かけて再び女性を探そうとした。家の中から泣いているような声が届き、戸を叩いてみると高齢の父親がやってきて、
「崔护殿ですか?」「そうです。」「貴殿は娘も私も殺すのか!」と言った。
衝撃に恐ろしくなり、返答のしようがなかった。
「娘は大人になっており、道理をわきまえていますが、いまだ嫁いでいません。昨年の清明節以来、ときどきぼんやりとして心はさまよっていました。
あの日、娘を連れて和もうとしたのです。家に戻ると、戸に詩が書き残され、読んでから、私は娘を引き入れると気分が悪くなりました。数日食を絶ち、死のうとしたのだ。私は老親だけれど、信頼できて生涯を託せる立派な男を見つけて嫁がせたかったのだよ。だが、今はもうこの世にいない。こんなになるはずではなかった。貴男が娘を亡き者にしたのかね?」そう語って崔护に涙をそそった。
崔护は悲嘆にくれ、御霊の前で許しを請うた。故人は静かに床に横たわったままで、崔护は女性の頭をおこし、自分は涙を流しながら祈り、脚を休ませようとした。「私はここにいますよ。来ております。」
しばらくすると女性は目を開けた。
時間が経ち、崔护は気を取り戻した。父親は驚き、娘を崔护に嫁がせた。
というのが、この歌によせた逸話で、<人面桃花>は男女の再会によせた男性の記憶や、再び会えないかもしれないと女性に伝えようとする、あるいは鬱々とした感情などを示すことがあるようです。
さて、皆さんの恋話は?