あれほど くったくない 歓迎をする人が
どこにいるだろうか
手を振って長母音で
元気~? うれし~い、と伝えている
守られて 生き抜いている
苦痛が長母音にさせただけだ
あれほど くったくない 歓迎をする人が
どこにいるだろうか
手を振って長母音で
元気~? うれし~い、と伝えている
守られて 生き抜いている
苦痛が長母音にさせただけだ
足を運ぶはず
坂を上るあたりには旧市街だろう庶民的な店が続いている。
漢字から珍しそうなのを注文。
豚とパパイヤベースには杏子・百合根・ハスの実が入ったあっさり塩味 あっ クラゲも浮いている~ なんて・・
セントラル 中環 から 1月24日
車・人通りを縫うようにして、香港の人は薄着で荷物を運んでいます。坂道でせっせと働く肢体にはぜい肉はついていません。サバンナ気候だからでしょうか、美食の街と言われても、訪問者のために賢明に働いているのが伝わります。寿命が世界的に高いこの街の食に私は関心を寄せています。
長寿の話題をつたえると 医療が進展しているから
人生の楽しみ方を知っているから
年老いても働け、麻雀をして頭をはたらかせているから
さて、私が取り入れるのは何でしょう。
魚は陳列皿の上で飛び跳ねていました。
菜花を見つけ、キクラゲとキノコを一緒に買い、宿泊先の洗面所で洗い、電子レンジで調理し、冷蔵庫にあったお醤油でお腹に入りました。
女性も男性と同じようなスタイルで厨房で仕事をしていました。
出来上がった肉団子を水orお湯で洗っていました。美味しいものの秘訣でしょうか?
どうでもないことを綴って自分の記録にしています。
が、自分で思い出しようにもまだできないものがあったり、そうかと思えば訪問者の閲覧記録によって過去の
自分が見た物に再会する機会もあります。さらに時間が経つと作品がネット上でより楽しめるようにもなります。
発展につながっています。今日、そのことに気づかされました。ありがとうございます。
名前を検索すると作品が見られました。 見るものは人によって好き好きです。
軍舞図 山本梅逸
(Japanese, 1783-1856)
Handscroll, ink and color on silk
Image: 20.8 x 142.3 cm (8 3/16 x 56 in.); Overall: 21.7 x 227.8 cm (8 9/16 x 89 11/16 in.); with knobs: 23.2 x 227.8 cm (9 1/8 x 89 11/16 in.)
Andrew R. and Martha Holden Jennings Fund 1982.28
香港は本当に刺激的で、そこにいる時よりも離れた時の方がその味が分かるような気がする。
旅から少しばかり時間が経ったからだろうか、けれど書いておかないと何を知ったか忘れてしまいそうだ。
あまりの街の雑踏に、変化をつけて街から離れた場所にも出かけてみた。
やっと思い出した bodyguard and assasins の映画、何年か前に見て、「孫文の義士団」という名前が記されていた。
生活路にカンフーのアクションを繰り広げる演技を見ては、香港の街を思い出したり、孫文が到着した港辺りを
自分の足で歩いた場所と重ね合わせたり、時間が経つと何かの映像場面によって旅情と呼べるものが育ちだしている。
初めて香港をツアーバスから見たその時、ビルの上方から道路に向かって張り出して掲げられた看板のレトロな風合いの中国文字が印象的だった。
そして実際に街を歩いてみるとひとつのビル、建築物の中に小さな店があちこちで営業している。
中には階段の通路をずっと人が列を連ね、エレベーターもエスカレーターもない建物には歩いて階段を進まなくてはその列の始まりがわからない。けして広くはない階段を、人の列を避けながら進むうちに、万が一の非常時対応が脳裏に浮かんでもいた。
行きつくところは、お菓子の販売だった。両替の店があったり、一坪ショップとでも呼べるような衣料品の店があったり、土産物や食品を
扱う店もあった。
こんなところにスーパーがあるとは、と、建物の地下で、それまで食品や生鮮品を売る店を見なかったので、旧元銀座通りとも思われる
繁華街で、実際の生鮮食料品を見て、日頃の生活の匂いを感じた。
と、ときどき「華様年華」のチャイナドレスの女性が、物憂くてけだるそうな心境に合わせた音楽とともに、狭い階段を昇っていく場面が思い出されたりする。