カーリエ博物館に描かれていた東ローマビザンチン帝国 時代のデスピナが親の和平工作により嫁いだイル汗国 都をタブリズ(現イラン)とする国とは?
新しいことを知るのは無知故の楽しみでもあり、「大モンゴルの時代」を読み進めていくと、集史の説明があったり、モンゴルの火を大切にするシャーマニズムの話しがあったりする。
ロシアの東洋学者 バルトリドの研究を本文中で著者 杉山正明氏は、言語比較を展開する
博士 音読み ハカセ ハクシ
サンスクリット バクス
モンゴル帝国時代 ウイグル文字で書記をバフシと呼ぶ。
イスラム化した チャガタイハン国 チムール朝では、バフシは書記を意味する。
ムガール帝国ではバフシを部隊の状況を知り、俸給を払う高官を意味する。バーブルによると、モンゴル人は医師をバフシと呼んでいるそうだ。
イランでは書記を意味する。(1295年に仏教の僧侶がイランから追放されたのち)
バルトリドと呼ばれるロシア学者、バーソルド(ドイツのアメリカ東洋学者)なんとも、表記や音は違うものの、同じ名前ではないかと、バーソルドがロシアにいたことをも思い出して
混乱した。
イル汗国の フラグ ウルスに継いで息子のアバカが国の統治を進めるころ、近隣のビザンチン諸国は、和平融和策で娘をモンゴル帝国に嫁がせている。
ビザンチン帝国 タブリズは西アジア交易品をイタリアへ繋ぐ恩恵を受けていた。
アバカは当時のキリスト教に造詣が深く、父 フラグ ウルスのシャーマニズムを嫌っていたそうだ。
ローマ教皇との書簡もあり、ヨーロッパに進行してきたマムルーク朝に対して遣いを送っている。ビザンチン帝国の皇女デスピナと父フラグは、婚姻による同盟を結んだ。
フラグに嫁ぐはずだったデスピナは時間に合わずフラグが死去したため、アバカに嫁ぐことになった。
歴代の統治者が最後を迎えたように、深酒の習慣を記すとともに、毒殺の疑いもあったようで、アバカは幻視症状をおこし、家来に伝え、突然亡くなったらしい。
悲運の妻デスピナは、モスク建造や救済支援をしたそうで、モンゴルのマリアと呼ばれだ。
旧ロシア政権下のトルコ及びアジア接近の近郊諸国の歴史影響を知り、新たな感心へと繋がってくる。
遊牧民のモンゴル民族は地を駆け巡りつつ、宗教には寛容だったそうだ。そうでなければ進み、納められないのでしょう。 私のまとめ
悲惨な事件、ニュースはうれしいニュースで覆われるようにと祈る。
どうでもない、ささやかな発見をすることこそ、世界人類共通の幸せの原点となりますように。
それにしても、モンゴル文化をもっていただろうイル汗国がイスラム化し、現イランへの原型になるのだろうか考えると、その変化が興味深い。
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