札所があれば、目安があり歩く楽しみにもなるだろうと、陽気につられて
♦ 3月14日に初めて朝から 電車にのって 横瀬に降り立つ
初めて訪問し、気づいたのが人が穏やかで親切で親近感を寄せてくれることです。
オリエンテリーングのようで、のどかな風景も気に入りました。電車は高い位置に敷設され、車窓からの眺めも時期に適い、思いついたのが良かった。
9 7 6 8 を歩く 数字があるから、全部踏破したくなった 気ままに行きましょう
♦ 3月17日 日曜 横瀬に降り立つ
5 10 11 14 13を歩く 4時間ぐらい滞在 秩父の界隈に横瀬から行きついた
♦ 3月26日 15 16 17 18 19 大野原から帰宅
しだれ桜にそそがれて ひとつまみひとつまみと膝の上 青い春空に立つ龍石寺
bathed by weeping cherry blossoms
bit and bit on my laps
against the blue spring sky, Ryuganji stands
♦ 3月28日 秩父からバス乗車で始める 1 2 3 4 5
(1番から2番を引き続きまわるときはしっかりした靴を勧めます)
坂道歩いて寺通り越し 鶯さえずり シュロ笑み揺れる 真福寺
passing through after continual slope
a young nightingale is singing with a wink ( ほお~惚け居 ほお~呆化去 hokehoke )
a palm leaf is swaying with a smile
at around Shinfukuji
♦ 4月3日
せいぜい2,3時間も歩けば十分と影森駅に到着
25 24 23
24番から23番に続く路が不鮮明で、そばに繋がれたいたブチの子馬に聞いてみようと投げかけたけれど、
こちらの気持ちに写真に納まりはしたが、教えてはくれなくて、私は歩きやすそうな道を選んだ。けれど
山路で、進むに従い不安にかられ、それでも脚を速めて前に進んで、標示の場所にたどり着き、駐車場に人がいたので、訊ねる。ミューズパークを越し、バスも歩きながら待ったけれど、人に教えられながら音楽寺の裏にたどり着いた。
よく歩きました。「お疲れさま」と御足にねぎらい、予定していたように西武秩父を経て帰路に向かった。どこを指し示すのか不明な表示のかけ方もあり、その後事故を防ぐうえでも提案を伝える。
秩父の武甲山(?)はピラミッド化しつつある。
プリントした地図によると緑の部分は山だろうから、今後参考にする。
25番に向かう山並を見ながらの散策は、スイスみたいだと感じさせたのは、のどかな田園光景のためでしょうか。
♦ 4月8日(火曜日) 大野原に降り立ち、駅で地図を戴き、19番を通って20 21 22 を歩く
良い天気の頃合いで、作り置きやらお残りやらをお弁当に詰めるのもささやかな楽しみで、レストランに頼るよりも品数も果物もあり、遜色ない。歩きながらの風景を写真に収めたり、地場産を覗くのも楽しみで、きっと今年最後になるだろう柚子も(最後の一袋)で入手できた。
秩父市内の街歩きの楽しさは、まだ残っている木造建築に出合うことだろう。細い道沿いにある建物や
辻にちょこんと残されている石の標識が健在なことである。何か当時を描いたお話でもあれば、格段と楽しみにもつながるかもしれない。
この日、梓弓について記述があった札所があって、筝曲の歌詞の初めがよみがえったけれど、その後、それがどんな歌詞であったか当時は関心もなく、Youtubeで調べたけれど、不明。中之島先生の声だった。今になって、それも札所で思い出すとは、時間を経て関心を寄せた筝曲の歌詞の本もどこに隠れているか・・・
♦ 4月20日(土) 影森に降り立つ。この駅名で、旧友をいつも思い出す。にこやかで大柄な女性だった。
27 26 26 12 を歩く
琴平ハイキングコースは山歩きのようでした。ピックがあれば、落ち葉に足を取られなくて良さそうですが、その後の26は清水寺を思わせる岩場の札所でした。大きな岩陰には乾燥して苔にもならずにちょうど抹茶で覆われているような珍しい光景を楽しめました。それにしても、よくあの岩場に修験道を作ったかと、先人の苦労に現代の訪問者は感慨をなげかけます。
岩井堂 見上げて 相誉めあう 御堂の姿や我が脚や
優しく応える 人と里山路 今日もまたほっこりとして
満願も叶うか 達成感に 手を合わせつつ
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