遊asobu☆による保育士向上委員会

子育て中の方や、これからの保育士の方々のためになる、発達や保育ブログ、他バドミントン練習日記など。

理想の保育所へ導くための保育所保育指針のこの度の改正

2017年02月15日 | 保育士の向上

2018年度から理想の保育所のための指針、

 

保育所保育指針が改正される

 

パブリックコメントを募集するみたいだけど、

 

あまり国歌国旗については目立って記載されていない

 

まあそういうことなんだろうけど、

 

こういうものはないところからあるとなると、

 

とんでもなく違和感がある

 

今のところ現場の管理者に任せるってことなんだろう

 

学校のように教育委員会からの強制があったりはしないだろうなと、、

 

それこそ子どものために、

 

保育のねらい、目的として合致するのであれば、いいし、

 

そうでないならスルーがいい

 

国のねらいが

 

国歌国旗のもと、

 

国のために犠牲になる人材の育成にあるのか、

 

それとも

 

国民一人一人を大事にするための一体感みたいなものを築くためなのか、

 

そこが大きいんだろう

 

それをまず計る必要があるのかなって、、

 

もし前者なら全力で削除して元通りにしないと、

 

子どもに不利益なねらいを指針としないようにする必要がある

 

他にも重要事項改正があるけれど、

 

低年齢児の内容の充実や

 

家庭支援(私が保育士を取得した十数年前くらいから保育教科として入ってきた)

 

なんかも

 

でも貧困や虐待は保育所機能としては発見はできるけど

 

解決する対応に適さないし、

 

むしろ行政側の仕事だろうって、、

 

そして家庭支援の中には、経済的なところも大きく、保育所ではどうしようもない部分もある

 

他の福祉につなぐくらいで、これも行政側の仕事だろうね

 

あと障害のある子どもとの統合育成や、

 

より少人数グループでの保育、

 

また小学校との継続性なんかに力を入れてほしい

 

保育所保育指針は教科書もだけど、

 

キレイな理想が並んでて、

 

読んでいて気持ちがいいんだけど、

 

現実とのギャップも凄いんだよね、、、

 

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祖父母が孫の障害受容が難しすぎるってこと

2017年02月14日 | 障害児支援

高齢の方って発達障害についていくら説明してもよくわからないみたいで、

 

以前に居た仕事をリタイヤした保育未経験スタッフでも、高齢じゃないスタッフでもそうなんだから、、

 

決まって母のしつけ、子育てに原因があるってね

 

厳しく言わないからだ、子どもには体で覚えさせないといけないって、

 

母を責め続けるってことになる

 

それでとても辛い想いをしている母も本当に多いんじゃないかなって、、

 

落ち着きがない、話が聞けない、切り替えができない、、などなど、

 

どうしても資質として持っているって思えない、、

 

これはもう高齢者の方を変えようとしても無理なんだよね

 

よけいに反発されて事態を悪化させることになる

 

最悪、家庭崩壊にまでなってしまったり、、

 

いくら専門家の立場で説明しても、

 

本を読んでもらっても、

 

そうはいってもしつけをきちんとすれば、

 

なんとかなるだろう!って結論になる

 

知らないようなことを新たに知識として受け入れるってこと自体難しくなってる、、

 

それは高齢者の暴力の問題を考えてもみんながあり得るってことなのかもで、、

 

なのでそこはあまり期待しないようにして、

 

しれっと資料を見える所に置くとか、

 

発達障害の番組をたまたまのように映しておくとかくらいで、

 

強要しない方がいいだろうなって思ったり、、

 

それよりも一番の問題だって思うのが、

 

父の存在なんだよね

 

今までの経験でも、

 

父があまり出てこない、最悪別れてしまうってことも、、、

 

ここは旦那さんが母と一緒に子育ての悩みを共有するってことが必要で、

 

祖父母から母が何か言われたら、必ず母の側につくくらいじゃないと、

 

孤独で孤立無援で母が苦しむことになる

 

旦那さんがもっと積極的に、

 

保育所や学校に様子を見に行くとか、

 

保健師、心理士の話を聞きに行くとかね

 

夫婦二人三脚で子どものことを共有していくってことが、

 

一番大切なことかなって、、

 

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人付き合いもなくなってしまう貧困問題

2017年02月13日 | 保育士の向上

貧困の問題を先日のNHKの番組から考えてみようと、、

 

まず、今日明日の食べるものを気にしなくちゃいけないってことは、

 

精神衛生上、とてもよくなくて、

 

ネガティブな考えになるし、人生は辛いもんなんだって、

 

子どもなら感じてしまう、、

 

それは心の成長に少なからず影響を与えて、将来の人生を生きにくくする

 

お金がないから贅沢しないとかならまだ我慢の範囲なのかもしれないけれど、

 

それがお金がないから、人付き合いしないとか、病院行かないとか

 

子どもを産まないとかね

 

それはもう人生を大きく変えてしまうことになりかねない、、

 

人付き合いがないってことは、

 

何かあったときにすべて自己責任ってことになって、

 

それだけで大変なリスクだし、そして

 

病気になっても病院にいかない、自力で治すってなるともう、、、

 

 

なので最低限生きていける保障は公的扶助でするのが自然だと思うし、

 

また教育の機会もお金がないからとあきらめるのでは、

 

人間関係も含めるとスタート時点でかなり出遅れていて、

 

それも大きなハンディキャップってことになる

 

同じように一生懸命働いても、

 

とても高給をもらう人もいれば、

 

派遣で低賃金の人もいる、、

 

また母子家庭でいうと、養育費未払いの問題もあって、、

 

それは個人の努力ではどうしようもない部分で、、

 

できるだけ平均に近づける制度にしなくちゃ、あまりにも偏りがありすぎて不公平だと思われ、、

 

また貧困家庭は低賃金の派遣労働者であることも多く、

 

それを公的扶助で支援すると

 

安い労働力そのものがなくなったり、減ったりするのを

 

 

経済界は嫌がっていて、それを政治も意識して

 

 

一億総活躍社会などと言ってるのではと思えるほどで、、

 

 

でも今や健康で文化的な最低限度の生活も脅かされているように見えるので、

 

喫緊に対策が必要になっていると思う

 

そして、ひと昔前では、

 

貧しいけれど楽しい我が家ってのが可能だったんだよね

 

それはまだまだ人付き合いがあったからで、

 

お互いが実際にも気持ちの部分でも近かった

 

祖父母、親戚、兄弟、近所づきあい、友人関係など

 

お互いがお互いを精神的にも支えあっていたところがあって、、

 

今はほとんどそんな共同体感覚がなくなっているので、

 

貧しいけれど楽しい我が国のブータンのようなことは

 

不可能になってしまったってこともあるので、

 

やっぱりそれを補正するのは公共の福祉に資する、

 

国や行政の役割じゃないかなって思う

 

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療育的な子どもの見方を広めるためには

1対1の個別支援で見せる子ども像

 

 


療育的な子どもの見方を保育所はじめ、みんなに知ってもらうためには、、

2017年02月11日 | 障害児支援

療育の考え方をもっと身近に感じてもらうにはどうしたらいいのかなって、、

 

療育の支援者を見ていると、、

 

とても熱心で、勉強もしてね

 

あちこちの研修もいって2、30年長く勤め上げていて、

 

自分の私生活を犠牲にしてまでストイックに支援して頑張っている先生がたくさんいる

 

それは子どもの今ある課題を細かく見つけ出して、

 

必要な支援を出来る限り早くすることにとても貢献している

 

一方で、、

 

そんな知識や経験を豊富にもっている先生が中心になっているので、、

 

スタッフを募集するときには療育の質を保つため

 

一定の経験と知識を求めます!となる

 

そうなると、一般に若い指導者が育ちにくいんだよね

 

経験の浅い、若い支援者が入ってきても、(保育士自体が少ないですが、お給料は保育所より多少多い)

 

研修行って、自ら勉強もして、先輩の一挙手一投足に神経を集中して、

 

自分のものにしてください!みたいなね

 

子どもは待ってくれないので、即戦力を求められるって現場の都合もあるけれども、、

 

それでちょっとしんどくなったり、ついていけなくなって

 

辞めてしまう、、

 

でも経験や知識がある人は、

 

後継者を育てるのも仕事のうちなんだよね

 

それは療育的手法を広めるためでもあるしね

 

ついていける人だけでいいなんて思ってたら、

 

あのブラックな会社のようなマインドと一緒になるし、

 

一番の理解者でないといけない保護者自身がついてきてないってこともありえるし、

 

子どもがこうありたいって気持ちを置き去りにして、

 

こうあってほしい!という、支援者の想いを優先することにもなり、

 

それはともすれば支援者の自己満足に陥ってしまう、、、

 

このようなことは発達支援センターなどの専門機関で見られる光景でね

 

放課後等デイサービスでは真逆な事態になってるけれども、

 

その中間あたりに理想があるのではないかなって、、

 

あまりにも子どもの荒さがしをするような目で見ると、

 

子どもも嬉しくないだろうし、支援する側もマイナス思考でこの子は将来はどうなるんだろう、、って

 

そんなことばかり考えなくちゃならなくなる、、

 

今の子どもをまず受け入れて、思い切り自分を出す、やりたいことを思い切りするってことも、

 

同時に進めていって、自己肯定感を満たしつつ、課題にも目を向けるというようなことが必要で、、

 

あと、短期的な視点ではなく、将来、大人になってどうかという長期的な視点をもつってことが、

 

子どもにも支援者にも余裕を持たせることになるし、

 

あまり急いで理想的なふるまい方が出来るようにって思いすぎると、

 

それはそれで人格やその子どもの人権を認めていないことにもなるって思うし、

 

療育的な手法をみんなに知ってもらうには、

 

敷居を低くして、

 

認知面や読み書き計算、コミュニケーションや運動能力などなど子どもにはいろいろ課題はあってもね

 

保護者の方も手軽に家や外出時にもできたり、

 

将来を考えて、支援内容を生活習慣にもっと重きを置いたりするとか、、

 

食器洗いや料理、洗濯、掃除とかね

 

実生活に結びつくような支援も大切にしていくことが、

 

保育所や世間のみんなが療育ってことを知ってもらえることにもなるのかなって、、

 

それが社会全体の障害受容に繋がるといいし、

 

それは障害のある人や保護者にとって、とても重要なことかなって、、

 

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1対1の個別支援で見せる子ども像

放課後等デイサービス40のあるある

 

 


1対1の個別支援で見せる子ども像

2017年02月10日 | 保育士の向上

マンツーマンの個別で支援すると子どもの様子が全然違うって話だけど、

 

集団だとやっぱり子どもでもピリッとするところがあって、

 

緊張感やライバル心みたいなものが出て、

 

他害が出てしまったり、暴言が出たりする

 

また圧倒されて、逆に全然自分を出せない子どももいる

 

そんな子どもが家に帰って荒れたり、夜泣きが出てしまったりする

 

まだまだその子どもにとって集団は過剰適応ってことなんだろうね

 

それは支援する施設ごとでも様子が違っていて、

 

少人数での支援施設と保育所でも全然様子が違うってこともありで、、

 

それが関係性がある程度できている支援者と2人きりだと、

 

とても素直に話を聞けるし、言葉も丁寧になったりするし、

 

表情も穏やかになる

 

これは何を意味するのかって、、、

 

こういう態度ってまだまだ他人を受け入れるというよりも、

 

自分がまだしっかり確立していないっていうか、

 

自分のことを自分でまだ受け入れられていないってことで、

 

身近な大人にまず存在を認められる必要があるってことじゃないかなって、、

 

それは基本はいつも傍にいる親がするのが自然なんだろうなって、、

 

一番自分のことをわかっていて、過ごす時間も一番長いはずの大人っていうことで、

 

親密性も高く、自分という存在ができあがるのに必要な存在ってことじゃないかな

 

それが不十分なまま、集団での生活で、他人のことを受け入れて協調していかなくちゃってなると、

 

問題を抱えたまま、大人になってしまうってこともあるのかなって、、

 

子どもは目の前の状態だけでみるのではなく、

 

家庭や他の施設、友達と一緒の時、一人の時、他の先生の前での姿とか、

 

トータルでみるもんだなって、、

 

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