耳納の神々

この山から見る平野も川も壮大です。やっぱりこの山には神々がいらっしゃいます。
山の神にご挨拶するために今年も登るぞ~

幣立神宮で

2008年05月06日 | 県外の神社
幣立神社で見つけたこの花。

これも探していたけど分からなかった。
でもネットの力はすごいね~
すぐ教えてくれる方がいる。

「ヤマブキソウ」ですって(=^▽^=)

山の斜面一面、この花が咲き乱れていた。

う~ん、解決。

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山は

2008年05月06日 | 高良山
今山をみると、パッチワークのよう。

黄色いもこもこした木がたくさん。
なんの木だろうかと専門家に聞いても知らないって(-"-;)

調べたところ「スダジイ」というらしい。
ブナ科シイ属の常緑広葉樹。
普通シイという場合には本種を指すとのこと。
実は食べられるってよ( ̄、 ̄;) 椎の実よね。


解決。


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三ヶ所神社奥宮

2008年05月06日 | 県外の神社
二上山奥宮とも三ヶ所神社奥宮とも言うらしい。
ここから男岳に登ります。

御祭神は看板をみて(^^;)


登っていくと、お地蔵様があります。
杉の越
 戦国時代の古文書に依れば 臼杵二上峯のこの場所は交通の要路であって 筑前(福岡)豊後(大分)日向(宮崎)肥後(熊本)の中心をなしており 西南の役には西郷軍もここを通って居ります。筑紫九州(九州全体)の真中にあり其の要路の程がわかります。この峠を「杉の越」と言っております。
ここにある地蔵様はその頃からあり 通行人の守り神で 先祖代々内の口甲斐尚雄家の守り神で、今でもお祭りを続けております。(看板より)

そのまま登っていくと、奥宮遙拝所があります。

これを登るんです(-"-;)
事前の予習で高所恐怖症の人には辛いと書いてあったので、登る予定ではありませんでした。しかしここまで来ているからには、登らないわけにはいかない。
 
途中こんなのもあります。
 
あ~見えてきた。しかし脇目もふらずまっすぐ前を見て登ります。
いや、横は見られないのです。

170段くらいありました。横を見なかったお陰で高所恐怖症でも怖いとは思いませんでした。

宮崎の奥深い山々。


奥宮の左手には男岳山頂・稲荷神社・山上社へと続く道があるが、さすがにそれは登りきらん。

そして奥宮の右手に「二上山乳ヶ岩水神」の看板を見つけました。

御祭神は天之御中主神。この岩屋の水を飲むと安産となり乳の出がよくなるといわれているそうです。もう出が良くなる必要がないので、3人にたくさん飲ませていただいたお礼を言ってきました。

下りは回りをみる余裕はありません。ただひたすら足元を見て下りていきます。
そこで見つけた下の看板には、
三ヶ所神社奥宮
御祭神     伊邪那岐尊  伊邪那美尊  瓊々杵尊  猿田彦尊 
二上山は日向には少ない山岳信仰の神山であります。神山と云っても、山のどちらに向かって拝めばよいのかと云ふ、とまどいもあり後に男岳の南面九合目付近の岸壁の下に、小祠を建てたと伝えられております。然し山が高く険しいので、そこまで登って拝むのが困難であり南北両麓に遥拝所を建立いたしました。此の遥拝所が三ヶ所神社旧称二神(二上)大明神の始めであります。(昌奉年間だと言伝えられており今より一千百年位前)
 今回天皇陛下御在位六十年の奉祝記念事業として参道を開削して奥宮を建立いたしました。 是非御参拝ください。

とありました。
はい、平成20年5月4日参拝させていただきました。

あとは、ひたすら家を目指して運転。いや運転して貰いました。
あ~今日一日ブログを更新しているだけで、手首にマウスダコができてしまった。
でも明日からは又忙しい日々の始まりだからね。
今日中にUPしなくっちゃって思っていたんだ。

ふ~っ終わった(^_^)v 



                       
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諸塚神社元宮

2008年05月06日 | 県外の神社
道に迷いながらも六峰街道へでる。出たときはさすがにほっとしたよ。
でもこんな道でも、結構車はいた。
山菜採りのおばちゃんグループが多かったね。

「六峰街道」(ろっぽうがいどう)は六つの峰々と六つの町村(建設当時・北方町、北郷村、日之影町、諸塚村、高千穂町、五ヶ瀬町)を通るためその名がつけられた。
「元宮」というからには、今の神社があるのだろうけど、わからない。
ここから諸塚山への登山道になっている様子。山登りの人がたくさん。
諸塚山は諸冊二尊(イザナギノミコト・イザナミノミコト)の御神稜という古い言い伝えがある。


アケボノツツジ。このピンクの花がかわいい。たくさん咲いています。

1時間ほど登ると元宮があるらしいけど、さすがにその元気はない。
みなさんの登山ルックにも圧倒されてしまったし。

そこで15分くらいあるいて、戻ってくる。
だから元宮へ行ったのではなくて、鳥居をくぐっただけね(^^;)

【諸塚山の説明】
諸塚山は、古くから神山として旧高千穂郷の信仰の対象となっていた山で、諸塚村の名前はここからきています。諸塚村北部、高千穂町との境にあり、国道503号線の飯干峠から車で10分ほど上った六峰街道沿いに登山口があります。
 山頂に十数基の円墳があると言われ、それが「諸塚(多くの塚=墳墓)」と言う山名の由来で、諸塚村のシンボルと言えます。別名大白山とも、山尾根に七つの峰があるため七ツ山とも言います。山上の諸塚神社の祭神は二十八柱と大変多く、しかも天孫降臨以前の天神七代の祖神十三柱も含まれます。このような高天原時代の神を全部祭ったお宮はほかに例がないそうです。
 筑豊・英彦山、霧島・高千穂峰と並び、古くからの修験道の道場のひとつで、霊山と崇められていました。江戸時代の豊後・賀来飛霞の著「高千穂採薬記」でも信仰深い山であると記されています。
 登山道が整備されていて、登山口から1時間ほどで頂上に着きます。途中のいくつかの展望スポットからは、天気がよければ祖母山、阿蘇などがパノラマで見ることが出来ます。山頂付近にはブナの原生林、登山口周辺にはアケボノツツジが見られ、ゴールデンウィークには多くの見学の方が訪れ、諸塚山周辺に渋滞が起こるほどです。
 毎年3月第1日曜日に「日本一早い山開き」として、「諸塚山山開き」のイベントが行われていますが、早春のまだ雪も見られる中、九州各地から登山愛好家たちが約2000人も集まります。

やっぱり「多くの墓」「神の墓」だった(^^;)
何時の日か登る日があったらいいな~(消極的)

平成20年5月4日参拝





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やっと秋元神社

2008年05月06日 | 県外の神社
秋元神社までたどり着くのも大変だったけど、ブログを書き進めるのも大変(^^;)


由緒、御祭神は看板を見てください<(_ _)>


けっして立派なお社ではないけど、きれいに掃き清められています。
な~んにも感じない私たち夫婦ですけど、背筋の伸びる思いです。

本殿と神楽殿 大きな銀杏の木があります。

拝殿 ここに来させていただけたことに感謝。

秋元神社は高千穂神社の奥宮とも元宮とも言う方がいらっしゃるそうね。
後ろの諸塚山ってたくさんの塚(お墓)って意味?神様のお墓?

秋元神社は鬼門を向いています。

御神水。出てくる水に勢いがある。
広島大学の研究で「稀に見る名水」と報告されている。
幣立神社の御神水とも味がまったく違います。
体の中からパワーを頂くために、御神水をくんで帰ります。


記名帳には1日に2~3組の方の名前が。
行ったときは私たちだけでしたが、帰る頃には来慣れた感じのもう一組。
そして、車を動かすとすぐもう一組が入ってきました。

やはり「知る人ぞ知る」秋元神社なのね。
ここでは夜神楽もあっているらしい。
ぜひともその時期に来たいけど、夜って苦手なのよね~


秋元神社への行き方、アクセスはこちらよ
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荒立宮

2008年05月06日 | 県外の神社
荒立宮 荒立神社  平成20年5月4日参拝

くしふる神社を出て、次は荒立宮。
大きな鳥居があり、すぐ分かる。
しかし駐車場は満杯って。え~~~ここもそんなに人気があるの???
警備のお兄ちゃんにお願いして、やっとこ隅っこに車を置かせて貰う。

今日はお祭りなんですって(^^;) そう言えばさっき花火があがっていた。
この鳥居の建立祭らしい。町内のお偉方さんがたくさんみえている。

これが今まであった鳥居ね。荒立宮らしい(^^;)


このあたりの氏子さん総動員。みなさん興呂木さんかしら・・・
奥ではおばちゃんたちが、白い割烹着姿でなにやら作っています。(う~昭和を思い出す)
直会の準備でしょうか。


お~何が始まるのでしょう。見たい!! けど次が・・・
本当はかわいい子ども達のはっぴ姿もあるのだけど、載せるには顔がはっきり写りすぎている。

町内のお偉方さんが順に参拝しています。まだまだなが~くかかりそう。
裏からそっと参拝。

御祭神 猿田彦命(サルタヒコノミコト)
    天鈿女命(アマノウズメノミコト)

この社は猿田彦の命 天鈿女命を主神とし大年神 迫天満 興呂木家先祖をお祭りしている神社です。
社名の伝説はニニギノ命が瑞豊国に降臨されし途中の分岐点で御出迎えし「筑紫の日向の高千穂の久志布流嶽」に御案内申し上げられたのが猿田彦命と記紀に記されています 
其の天孫降臨の神々の中に鈿女命があり瓊瓊杵尊の命により猿田彦命に仕えられ逢初の契りを結ばれてくしふる峰の後方から切り出したばかりの荒木で家を建てて住居とお定めになりました 
後世命を祀る社も荒木で白水造りとした事から別名「荒建宮」の社名となったとも言われています 
この付近を「神呂木山」と言いこの峯つづきに くしふる神社 高天原 四皇峰等があります 
降臨の道案内役をされた猿田彦命は道開きの神として交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、夫婦和合、安産、長寿祈願に信仰が厚く庚申としても有名であります
鈿女命は天照大神が天の岩戸にお隠れになられたときに天の香具山の日影カズラを襷に笹の葉を手に乳房も陰もあらわに乱舞され天の岩戸開きをされました この舞が現在の神楽の元と言われています 主な後利益は芸事の上達 厄除け 子宝 長寿などです(看板より)




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四皇子峯

2008年05月06日 | 県外の神社
四皇子峯(しおうじがみね)

神武天皇の御兄弟神(四皇子)誕生の地と伝えられ、御聖域とされている。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと。瓊瓊杵尊の御子で山幸彦)の御子鵜萱草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は玉依姫と結婚され、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)・稲飯命(いなひのみこと)・三毛入野命(みけいりのみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと。神武天皇)の四皇子がお生まれになっている。神日本磐余彦尊は高千穂の宮で東征について彦五瀬命とご相談され、日向から筑紫、安芸、備後熊野を経て大和に入られ、平和国家を築かれたという。(看板より)

良い雰囲気のところですね。
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高天原遙拝所

2008年05月06日 | 県外の神社
くしふる神社より1kくらいでしょうか。
くしふる山の遊歩道をとおって到着。



天孫降臨後、神々がこの丘から天上界の高天原を遙拝したと伝えられている。

平成20年5月4日参拝

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くしふる神社

2008年05月06日 | 県外の神社
槵觸神社(くしふるじんじゃ)平成20年5月4日参拝

御祭神 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
    天児屋根命(あまのこやねのみこと)
    経津主命(ふつぬしのみこと)
    天太玉命(あまのふとたまのみこと)
    武甕槌命(たけみかづちのみこと)

由来 
くしふる神社の鎮座するくしふるの峰は肇国の昔天孫瓊々杵尊が三種の神器を奉戴してこの国を治める為に天降られた聖地として古史に記されています。
往昔は社殿はなく山そのものを神と崇めて高千穂八十八社の一つに数えていましたが十社大宮司をはじめ往古の聖跡を慕う歴代延岡藩主の熱望と高千穂十八郷の民力とにより元禄七年(一六九四)六月十五日に社殿が建立されました。
古来武神としての信仰が厚く またわが国の神道流布根源の地として広く信仰され高天原 四皇子峯とともに高千穂を代表する聖地であります。(由緒書より)


本殿

拝殿内
  
本殿の彫刻   みごとです。

鎮守の杜 巨杉がたくさん    赤い足は土俵

私たちが着いたのは9時45分。
その時はすでに2台の車が。
しかし帰るときには10台ほど停まっていて、待ってくる車さえ(^^;)




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国見ヶ丘

2008年05月06日 | 県外の神社
あまりに有名なこの像。

ここは神武天皇の孫にあたる建磐龍命が九州統治のために高千穂に寄られ、この丘から国見をされたことに因んで「国見ヶ丘」と呼ばれている。

だからこの真ん中の方は建磐龍命だと思っていた。
そう載せいているサイトもたくさん(-"-;)

しかし例の「高千穂の神社」の本を見ると、なんと瓊瓊杵尊とあるではないか。
跪くのは、土地の豪族で大鉗(おおくわ)、小鉗(おくわ)とある。
観光協会が載せているのだから、こっちが正解だろう。


阿蘇の方面をみる。

阿蘇の涅槃像がくっきりと。


高千穂盆地


そして瓊瓊杵尊の像の横には、金比羅神社?字がよく見えない。
平成20年5月4日参拝

雲海が有名だが、次回は雲海のころに来たいな~ 夫よ






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