ジャイアンツの元監督、藤田元司氏が心不全で亡くなられた。数年前に体調を崩された際、別人の様にゲッソリされていたのがずっと気懸かりだったのだが、OB会に元気な御姿で参加されていたのを目にしホッとしたのは僅か2ヶ月程の前の事だった。昨年12月の仰木彬氏、今年1月の近藤貞雄氏、そして今回の藤田氏と、大好きな野球人が3ヶ月連続で鬼籍に入られた事が何とも哀しいし、悔しくてならない。今の御時世、74歳という年齢は生を終えるには早過ぎる。又、一昨年にプロ野球合併問題が起こった際、殆どのOBが様々な柵からダンマリを決め込んだ中、彼は毅然と読売グループを批判していた。彼の様な一本筋の通った野球人が、これからのジャイアンツ、否、これからの球界を改革して行く上で必要と思っていたので非常に残念だ。
「最も面白かった日本シリーズは?」と問われれば、「1983年のLG決戦!」と速攻で答える。藤田監督率いるジャイアンツと、同じジャイアンツOBの広岡達朗監督率いるライオンズとの闘い。結果的にはジャイアンツが敗北を喫したのだが、死闘という言葉ピッタリ当て嵌まる、逆転に次ぐ逆転の試合展開が続き、一時も息を抜けずに見入っていた。*1
又、自ブログの記事を顧みると、「野球を巡る人間ドラマ ~熾烈なショート争いの果てに~」や「青い稲妻」等、藤田監督時代の思い出を記した物が多い事に気付く。他所のチームから大砲を掻き集め、著しくチーム・バランスを欠いたジャイアンツでは無く、走・攻・守のバランスが絶妙に取れたジャイアンツが其処には在り、今考えると純粋に野球を楽しめていた時代だった様に思う。
高校、大学、社会人、そしてプロと、常にスター街道を歩んで来た藤田氏。「名選手は必ずしも名監督に在らず。」と良く言われるが、監督を務めた7シーズンで4回のリーグ優勝(内、日本一は2回。)という実績は、名選手にして名監督と言えるだろう。それだけではなく、最初に監督を引き受けたのは長嶋茂雄監督の、そして2度目は王貞治監督の後任としてで、共に大スター選手だったONの後を受けるのは半端ではないプレッシャーが在ったと思う。両者共に”実質的に”解任された中、世論は後任監督の藤田氏に対して、決して好意的ではなかった。いや好意的では無かったというよりも、ONを追い落とした川上派の一員という目で、藤田氏を否定的に見ていたファンが多かったと思う。
そんな逆風の中、投手陣の整備&基本の徹底により、チームを強く且つ魅力ある集団に作り上げ、4回の優勝をもたらした藤田氏は、ジャイアンツの中興の祖と言える存在だった。
1980年のドラフトで、藤田氏自らが1位籤を引き当て、ジャイアンツへ入団させたのが原辰徳氏。藤田氏にとって原氏は愛弟子の様な存在だったろう。藤田氏の遺志を継ぎ、原監督には嘗ての様に、ジャイアンツを強く且つ魅力の在るチームに変貌させてくれる事を期待したい。*2
ジャイアンツの野球が輝きを放っていた時代。そんな時代をプレゼントしてくれた藤田氏に、ジャイアンツ・ファンの一人として心から御礼を申し上げたい。
「藤田さん、楽しい思い出を有難うございました!天国からジャイアンツの変貌を見守り続けて下さい。本当に御疲れ様でした。」
*1 やはり藤田監督時代の1989年の日本シリーズも忘れられない思い出だ。
*2 後見人を亡くした事で、今シーズンの原監督が"暴走”しないか心配で在る。
「最も面白かった日本シリーズは?」と問われれば、「1983年のLG決戦!」と速攻で答える。藤田監督率いるジャイアンツと、同じジャイアンツOBの広岡達朗監督率いるライオンズとの闘い。結果的にはジャイアンツが敗北を喫したのだが、死闘という言葉ピッタリ当て嵌まる、逆転に次ぐ逆転の試合展開が続き、一時も息を抜けずに見入っていた。*1
又、自ブログの記事を顧みると、「野球を巡る人間ドラマ ~熾烈なショート争いの果てに~」や「青い稲妻」等、藤田監督時代の思い出を記した物が多い事に気付く。他所のチームから大砲を掻き集め、著しくチーム・バランスを欠いたジャイアンツでは無く、走・攻・守のバランスが絶妙に取れたジャイアンツが其処には在り、今考えると純粋に野球を楽しめていた時代だった様に思う。
高校、大学、社会人、そしてプロと、常にスター街道を歩んで来た藤田氏。「名選手は必ずしも名監督に在らず。」と良く言われるが、監督を務めた7シーズンで4回のリーグ優勝(内、日本一は2回。)という実績は、名選手にして名監督と言えるだろう。それだけではなく、最初に監督を引き受けたのは長嶋茂雄監督の、そして2度目は王貞治監督の後任としてで、共に大スター選手だったONの後を受けるのは半端ではないプレッシャーが在ったと思う。両者共に”実質的に”解任された中、世論は後任監督の藤田氏に対して、決して好意的ではなかった。いや好意的では無かったというよりも、ONを追い落とした川上派の一員という目で、藤田氏を否定的に見ていたファンが多かったと思う。
そんな逆風の中、投手陣の整備&基本の徹底により、チームを強く且つ魅力ある集団に作り上げ、4回の優勝をもたらした藤田氏は、ジャイアンツの中興の祖と言える存在だった。
1980年のドラフトで、藤田氏自らが1位籤を引き当て、ジャイアンツへ入団させたのが原辰徳氏。藤田氏にとって原氏は愛弟子の様な存在だったろう。藤田氏の遺志を継ぎ、原監督には嘗ての様に、ジャイアンツを強く且つ魅力の在るチームに変貌させてくれる事を期待したい。*2
ジャイアンツの野球が輝きを放っていた時代。そんな時代をプレゼントしてくれた藤田氏に、ジャイアンツ・ファンの一人として心から御礼を申し上げたい。
「藤田さん、楽しい思い出を有難うございました!天国からジャイアンツの変貌を見守り続けて下さい。本当に御疲れ様でした。」
*1 やはり藤田監督時代の1989年の日本シリーズも忘れられない思い出だ。
*2 後見人を亡くした事で、今シーズンの原監督が"暴走”しないか心配で在る。
王選手の大ファンという事からジャイアンツ・ファンとなり、其の流れで今もジャイアンツを応援している自分。でもリアル・タイムで見て来た中で、ジャイアンツが最も光り輝いていた時代は、藤田元司氏が監督を務めていた頃だったと思っています。小手先の策を弄さず、正々堂々と「力勝負」をしていた様に感じるので。
友人にはアンチ・ジャイアンツが何人か居ますが、そんな彼等ですらめぐたん様と同様に「藤田監督の頃のジャイアンツは良かったよね。」と言いますから。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
藤田さんが監督していたあの時代だけは応援してました。
藤田さんが御亡くなりになられて以降、様々な懐かしい写真をTV等で目にしました。一番グッと来るのが、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチの所謂トロイカ体制で優勝を決めた際、三人肩を組みながらがベンチからマウンドに飛び出している写真。強くて魅力の在ったジャイアンツを象徴していた様なあの写真が好きです。あの三人の内、御元気なのは王さんだけなんですよね・・・。
実は、藤田さんが御亡くなりになられて、「『情』のリーダー学」という本を知りました。oumo様が大事になされている本という事で、早く目を通してみたくなりました。明日以降、捜してみたいと思います。
最近話題のないジャイアンツの大きな話題が
この話題というのが非常に残念であります。
私が物心ついたときの
ジャイアンツの監督が藤田さんでした。
非常にバランスの取れたチームであった
印象があります。
応援のし甲斐があったとおもいます。
大学時代からの心の支えにしている本があります。
藤田さんの書かれた
【 情のリーダー学 】
この本に書かれている内容が
そのまま藤田さんの優しさを表していて
約10年近く手元に置いている本です。
ご冥福をお祈りいたします。
私がプロ野球に興味を持ち始めたのは90年代。
その私にとって、巨人の監督として一番良い意味で印象に残っているのが藤田監督です(と言っても知っているのは第2次政権時代だけですが)。
時代の違いも背景にあったとは言え、藤田政権では自前で選手を育てる事が、今よりも遥かに多かったのではないでしょうか。
3本柱もそうですし、第2次政権最終年である1992年では、先発重視、リリーフ軽視の巨人のカラーの中にあって、石毛投手を(当時は)ほぼ絶対的なストッパーとして確立させる等、監督として、満遍なく周りを見ていました。
とかく悪いイメージを持たれがちな巨人ですが、そんな中にあって藤田氏は、巨人における良心であり、紳士だったと思います。
この度の訃報、「残念」としか言いようがありません。
ご冥福をお祈りいたします。
辛抱強く腰の据わった采配も光っていましたが、何と言っても藤田氏の凄さは投手の育成面に在ったと思います。藤田監督で無ければ、平成の大エース斉藤(雅)投手も、恐らく投手に見切りを付けさせられ、野手に転向していたでしょう。
夕刊紙に載っていた話なのですが、藤田監督、王助監督、そして牧野ヘッドコーチの所謂トロイカ体制の時代、この3人と当時投手コーチだった中村稔氏が一緒に夕食を取っていると、藤田監督が中村氏に「明日の先発は誰にするつもり?」と尋ねたそうです。「槙原で行きます。」と答えた所、王助監督が「それはないぜ。槙原は一軍での登板がゼロだし。」と返した為、カチンと来た中村コーチは「煩い!」と言い残して席を立って自分の部屋に戻ったとの事。それから暫くして、藤田氏が部屋迄やって来て、「そうカッカするなよ。御前に全てを任せているのだから。」と言ってくれたのがとても嬉しかったと。その後に王助監督の元にも藤田監督は赴き、きちんと説得したという事で、その配慮の細かさが感じられる話でした。
又、当時は投手よりも野手が年俸面で優遇されていて、投手の間に不満が高まっていたそうです。そんな中、藤田監督が中村コーチの元に来て、500万円を渡した上、「これを投手達に配分してやって欲しい。」と語ったのだとか。この500万円は優勝監督という事で受賞した正力賞の賞金だったとか。
ハニスポ様も書かれていますが、スター街道を歩み続けながらも、挫折も味わい、人の痛みが判っている藤田氏の人間味を感じさせる逸話だなあと感じました。
名選手、名将が亡くなるのはとても残念でなりません。
藤田監督が亡くなってしまったのは本当に残念ですね
俺の中では巨人の中では派手なイメージは無いけど、紳士的な落ち着いた監督というイメージがあります
あのような、品性のある監督やプレイヤーが増えていくことがこれからの野球人気復活には必要かもしれませんね
他チームのファンである自分ですが、
藤田ジャイアンツは強い印象として残っております。
まさに黄金期の監督でしたね。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
藤田さんが他のジャイアンツOBと大きく異なるところは、栄光だけでなく挫折も知っており、そしてその嫌な過去を糧にして相手に対して清らかであった事だと思うのです。
チームのエースでありながら、故障に泣かされ短命で終わった事、他チームの投手コーチに就任し、外様の悲哀を味わった(その一方で、この時に近藤昭仁氏や松原誠氏という人脈を得られた)事等、普通にジャイアンツOBをやっていたら味わう事のない痛みを知ったからこそ、監督としての成功だけでなく、本文にあるように合併問題の際に讀賣グループに直言できたのだと思うのです。
藤田さんのように、紆余曲折を味わった故に人の痛みを知っていて、相手に対して清らかでいられる人間が、これからの日本球界だけでなく、これからの日本の社会に現れてくれるのだろうかと悲観的に思いつつ、今はただ藤田さんのご冥福を御祈りします。
1982年が藤田巨人と近藤中日の激しいマッチレースでしたね。あの年の江川は心底打てる気がしなかった。だからこそ9月28日の逆転劇で中日は勢いづいたのでした。…もしこれが無かったら藤田監督が81~83年で3連覇だったかも。
コメントにあった西本聖氏に関する話も、人柄が偲ばれます。
この重圧のある巨人で7年間で4回も優勝してるとは本当に素晴らしい監督だったんですね
他チームのファンから顰蹙や嫌悪感を持たれるジャイアンツOBが少なくない中で、好感を、いや好感と迄言わなくても、少なくとも悪意は持たれない方の一人が藤田氏だったと思います。ジャイアンツの良心とも言える存在ではなかったかと。
ジャイアンツ至上主義を平然と言ってのけるOBが多い中で、藤田氏は一歩引いた冷めた目で球界の現状を見詰めていた様に思います。ですから、合併問題が起こった際にも妙な柵に囚われずに、毅然と読売グループを批判出来たのでしょう。
今朝のスポーツ紙に西本聖氏のコメントが載っていました。彼を江川投手と共にチームの軸に据えたのが藤田監督ならば、彼をドラゴンズにトレードしたのも同じ藤田監督。西本氏本人は、このトレード自体に納得していたとしながらも、後年、藤田氏が川上哲治氏に「自分は西本に借りが在るんです。」と語っていたのを知り、「そんなに気に掛けていてくれたのか。」と感動したと書かれていました。
又、「瞬間湯沸かし器」と呼ばれていた藤田氏ですが、監督としては、一旦信じて起用した選手(勝呂選手等)は多少のミスをしても直ぐに代える事はしないといった、辛抱強く腰の据わった方でした。
以前にも書いたのですが、年齢及び体調の問題が無ければ、堀内監督の後任には藤田氏になって欲しいと思っておりました。
今は唯々残念でなりません。
ただただご冥福を祈ります
TBありがとうございました。
そういえば、貴殿のブログを読んで思い出しました。
藤田さんと一緒に川上さんもいらっしゃっていて
お会いしました。
でも、私はなぜか藤田さんの事の方が
明確に覚えていて。若かったからですかね(笑)
すばらしい方をなくしました。
ご冥福をお祈りします。
あの合併騒動の時、球界の「長老」達、特にジャイアンツOBの方が得てしてオーナー寄りの発言が目立った中での藤田氏の発言、印象深いです。「長老」達の主張も分からなくはなかったですが、あるジャイアンツOBの「日本のプロ野球のレベルは下がっている。球団数を削減すべきだ」という趣旨の発言はプロ野球のレベルが低下しているとしても、では減らされる球団のファンはどうなるのか。
まずありえない事態でしょうが巨人が消滅する事になったとしてもそれに納得できるのか。何より、近鉄やオリックスのファンの苦しみや悲痛さが分かるのか、という点から賛同できるものではなかっただけに、藤田氏の発言はとても心強かったです。
89年の日本シリーズも凄いシリーズですね。藤田ジャイアンツと仰木バファローズが対戦したからこそ、あれだけ“ドラマチック”なシリーズになったのかもしれません。
ご冥福をお祈りします。
日本球界はまた大切な方を亡くしましたね。
藤田監督は亡くなった祖父に風貌が少し似ていたものですから、親近感を持って見ておりました。
ご冥福をお祈りします。
ジャイアンツファンは本当に寂しい気持ちでしょう。
突然の訃報に信じられません。
ホントいいチームでした。野球を楽しめました。
合掌。
この頃はまだ巨人軍全盛の頃だったからよくTVは見ていました。
藤田さんは結構まだ健康的だったイメージがあったので
今回の訃報は驚いております。
冥福を祈るしかありませんね。
藤田元監督は、球界の紳士とか、いろいろと評価されていますが、「男は黙って結果を出す」という、なんとなく今の日本人が忘れてしまったスタイルを持っていたような気がします。
私が今、ああいった団体戦スポーツに興味を失った理由の一つがそこにあるのかもしれません。
一夜明けて、各スポーツ誌の記事を見るたびに、悲しみがこみあげてきます。私が最も熱中して巨人を応援していた時期の監督でしたから、本当に悲しくて残念です。
日刊スポーツによると、原監督の第一次政権時代に体調が優れないにもかかわらず、OB会長を務めた藤田氏に対して「あの人は監督になったおれを守ってくれるために、引き受けてくれているんだよ」と、原氏のコメントが紹介されていました。藤田氏の人柄がうかがえました。
ご冥福をお祈り致します。
ちょっとプロ野球を観ることを休んでいた時もあの日本シリーズ後は日本シリーズだけはちゃんと観ようと思っていました。
まだ、あれほどの素晴らしい日本シリーズに出会えていません。
仰木さん・近藤さん・藤田さんと惜しすぎる人材が相次いで亡くなっています。本当に残念です。
V9時代知らない人が、巨人は強かった!って思ってる時代の監督が藤田さん…。
原監督の復帰を見守りたかったことでしょう…。
残念でなりません。
故人のご冥福お祈りいたします。
当時の『走攻守のバランスが絶妙に取れたジャイアンツ』、まさに仰る通りかと存じます。長嶋解任・王解任の後をよく纏め上げられた、素晴らしい監督であったと認識致しております。
ご冥福をお祈りいたします。
原監督の暴走・・・笑ってしまった。
選手を育てながら、強いチームを作られた名将でした。
原監督にも藤田監督の意志を受け継いで、素晴らしい野球を見せて欲しいです。
育成と勝利という、なかなか両立しない事柄を成し遂げた藤田監督。ジャイアンツ歴代監督に在って、稀有な存在だと思います。「瞬間湯沸かし器」と呼ばれる短気な性格ながら、監督としては腰の据わった采配を見せてくれました。
年齢と体調の問題さえ無ければ、堀内監督の後任として采配を揮って欲しいと心の奥底で考えていた人物でした。仰木彬氏に近藤貞雄氏、そして藤田元司氏と、球界に在ってこれからも直言を吐いて欲しかった野球人が次々と鬼籍に入られているのは、非常に残念だし悔しいです。
これからも宜しく御願い致します。
父が巨人ファンなのに、倅の私は野球にはまったく関心がないのですが、藤田さんは、2度目の巨人監督時代に羽田空港で御見掛けしました。斉藤投手や桑田投手とならんでニコニコと微笑まれていた姿が印象に残っています。
「中興の祖」という言葉、そして記事の行間からの藤田さんへの愛情を感じてコメントさせて頂きました。素晴らしい監督さんだったのでしょうネ〆
(うち日本一2回)の名将、藤田元司
さんが今日の夜に他界したそうです。
思えば、私が知ってる、ここ30年の
巨人の監督で「本当の意味」で名将と
いえるのは、藤田さんだけだったの
ではないかと思います。それだけに
本当に残念です…
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