ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち」

2017年09月09日 | 書籍関連

鳥谷敬選手、2千本安打達成おめでとう!!

 

彼が早稲田大学野球部に在籍していた際、部の同期には和田毅投手青木宣親選手も在籍。3人共イケメンで、尚且つプロ野球選手としても素晴らしい結果を残しているというのが凄い。

 

閑話休題

 

1989年に起きた「ルーマニア革命」で独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領及びエレナ・チャウシェスク夫人が処刑されて以降、彼のの“闇”が次々と明らかになった。自分達に逆らう人間を約6万人虐殺していたとか、不正蓄財を約1,400億円もしていたとか、無茶な病気治療を行わせた事によって多くの子供達をエイズ感染させたとか、滅茶苦茶な都市化政策により野犬が増加したとか等、枚挙に遑が無い独裁政治敷いた結果、数多ストリート・チルドレンを生み出したというのも、ルーマニアの闇の部分と言えるだろう。

 

幼き子供達が、日中物乞い掻っ払いをし、夜は寒さを凌ぐ、マンホールを開けて地下で生活する。そんな光景は、非常に衝撃的だったが、フィリピンスモーキー・マウンテン漁りをしている子供達や、北朝鮮コッチェビと呼ばれる子供達等、世界では現在でも多くのストリート・チルドレンが存在している。

 

我が日本でも、今から70年程前には、多くのストリート・チルドレンが存在した。太平洋戦争で親を亡くした子供達で、“浮浪児”と呼ばれていた。厚生省の調べによると、太平洋戦争によって生まれた戦災孤児の数は約12万人で、1948年版の「朝日年鑑」によると、其の浮浪児の数は推定3万5千人。多くが、14歳以下中学生だった。 

 

1960年代生まれの自分の場合、幼少期に渋谷駅構内等で傷痍軍人を見掛ける事が結構在った。太平洋戦争の影が未だ残っていた時代を知っているので、1945年から1950年代頭に掛けてそんなにも多くの浮浪児が存在していたというのはイメージ出来なくも無いが、今の若い子だとイメージするのは難しいかもしれない。

 

終戦直後から浮浪児が集まり、軈て日本で最も多くの浮浪児が生活する事になったのは、東京都台東区に在る上野駅の地下道だったと言われている。「ノガミ」と呼ばれた上野駅の地下道で生活していた嘗ての浮浪児達にインタヴューを行い、浮浪児達の実態を浮かび上がらせたのが、石井光太氏の著書浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち」。「恐らくは小学校低学年と思われる子供2人が半裸状態で路上に座り、1人が煙草を吸っている。」という表紙の写真は、とても衝撃的だ。

 

浮浪児達の悲惨な生活環境は或る程度理解している積りだったけれど、現実はもっと悲惨だった事を思い知らされた。生きる為に物乞いや掻っ払い、売春をする子供達。何とか得た金銭や食べ物を、同じ浮浪児に奪い取られ、又、悪い大人によって扱き使われたりする彼等。飢えや病気で亡くなったり、そんな生き方に絶望して自殺したりする子供は、決して少なく無かった様だ。

 

浮浪児の男女比を見ると、男子の方が圧倒的に多かったと言う。1947年に東京民生局に保護されていた浮浪児を対象にした調査では、男児234人に対し、女児僅か42人。女児は、全体の約15%。「女児の方が男児よりも、保護される率が高かった。」というのが理由で、「焼け野原で女の子が1人で彷徨っていたら、親族近隣住民が心配して引き取ったり、警察へ届けたりする事が、男児よりも多かったのだろう。」と石井氏は記している。浮浪児として生きていた女児の少なからずは、身体を売る“パンパン”をしていたというのも、何とも遣り切れない話だ。浮浪児を捕まえて、人身売買供する者もて、其の値段は今の物価で40~50万程。

 

浮浪児を収容する施設も少なからず存在したが、其の多くは劣悪な環境に在った様だ。浮浪児に暴力を振るう職員が居たり、食事も満足に与えず、朝から晩強制労働”させる所も珍しく無かったとか。勿論、有名な「エリザベス・サンダースホーム」や、本の中で取り上げられている「愛児の家」の様に、浮浪児達に寄り添い、愛情深く接した施設も在ったけれど、そういう施設は決して多数派では無く、収容された施設から逃げ出す浮浪児は少なくなかった。

 

両親を戦争で失い、一人で生きて行かなければならなくなった浮浪児達。日々を生き抜く事だけに追われた彼等には、“教育”を受ける時間等無かった。昭和22年4月~7月に、東京都立中央児童相談所が収容所内の750人の子供を対象にIQテストを行った所、当時は「精神遅滞知能指数」とされたのが「69以下」だが、70以下(恐らくは69以下の間違いと思われるが。)の子供が14%も居たと言う。現在の日本人に対する一般的な調査では、精神遅滞知能指数」とされる人の割合は2~3%という事なので、14%というのは非常に高い。

 

又、目の前で親が亡くなったり、多くの死体を見たり、余りにも過酷な生活を送って来たりした事で、精神を病んでしまった浮浪児も少なく無かったと言う。

 

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また、徳丸光男(仮名)という同じく十四歳の少年がいた。彼は仔犬物置に住まわせて飼っていた。心から溺愛している様子で、自分の分の少ない食べ物をとして分け与え、寒い日には物置まで行って朝まで抱きしめてあげた。職員たちはそんな光男のやさしさに感動し、他の子供の前で褒めたり、食事を仔犬用として少しだけ多くあげたりした。

 

ある日想像もしなかったことが起こる。仔犬が何かの拍子に光男に軽く噛みついたところ、光男はそれに激怒し、その場で仔犬を殴り殺してしまったのである。職員が唖然として理由を尋ねると、光男はこう答えた。「別にこんな仔犬なんて好きじゃなかった。仔犬をかわいがっていれば褒められるからそうしていただけだ。」。彼にとって仔犬は大人に褒めてもらうための道具でしかなかったのだ。

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「成功を収めた者。」、「成功を収めたものの、バブル崩壊によって全てを失ってしまった者。」、「悪の道から抜け出せず、死刑囚となった者。」等々、浮浪児達の其の後は様々。

 

色々考えさせられる本だった。多くの人に、是非読んで貰いたい1冊で在る。


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2 コメント

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Unknown (悠々遊)
2017-09-09 17:00:04
1949年生まれで京都市内で幼少期を過ごしているのですが、いわゆる浮浪児を見かけた記憶はありません。
繁華街で傷痍軍人が物乞いしている姿はよく見かけましたが。

世の中には日本も正規に軍隊を持つべきとか、勇ましいことを言う人たちがいますが、一旦戦争が起これば真っ先に犠牲になるのが、一番立場の弱いもので、財産だけでなく命も人間としての尊厳も奪われてしまうことを、もっと理解してほしいものです。
防衛力は戦争を起こさせないための抑止力だと詭弁を弄しても、そのための軍備増強が際限なく続き、国力の無い方から順に国民が疲弊するのであれば、彼らの言う抑止力とは絵空事でしかないと思うのです。
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>悠々遊様 (giants-55)
2017-09-09 22:37:16
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

此の本によると、児童福祉法の徹底や取り締まりの強化等により、1950年代の頭には上野駅で浮浪児は可成り減っていた様ですね。地域差は在りましょうが、1949年生まれの悠々遊様でも、物心が付かれた頃には浮浪児を見掛ける機会が殆ど無かったという事なのかもしれません。

傷痍軍人、此の本の中で記されていたのですが、終戦直後でも“偽の傷痍軍人”が結構居た様です。其の見分け方には、「成る程。」と思いました。

以前、誰かが書いていたのですが、「戦争とは、安全地帯に居る偉い年寄りが命令し、其の命令を受けた少しは安全な場所に居る中堅が更に命令し、そして若い兵士達が最前線で死んで行く状況。」と。弱者が真っ先に死んで行き、命令を出していた強者は、やばくなると我先にと逃げ出して行く。此の状況というのは、古今東西無関係に存在してたんですよね。
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