ミャンマーで、政変が起きた様だ。軍事政権下の彼の国で、民主化を訴えるアウン・サン・スー・チー女史等に一定の理解を示す穏健派のキン・ニュン首相が、軍部により解任&自宅軟禁されたという事。汚職の疑いでの解任という事だが、民主化を拒絶する軍部の強硬派に寝首を掻かれたというのが、実状だろう。後任の首相には、最強硬派のソー・ウィン氏が就任したという事なので、民主化という意味では時計の針が大きく戻される形になるのは間違いないだろう。
ミャンマー、昔はビルマと呼んだが、この国のニュースを見聞する度に思い出す事が有る。今から30年近く前の話になるが、当時小学生だった自分のクラスに、ビルマから転校生がやって来た。父親の仕事(大使館関係?)の関係で来日し、我がクラスに転入した彼は長男だった。当時は、今程外国人と接する機会どころか、街中で見掛ける機会も殆ど無く、先生達も含め皆、当初は好奇の目を彼に向け、腫れ物にでも触るかの様な態度で接していた。子供というのは残酷なもので、自分達と見た目や文化が違う存在に対しては、排除しようという思いが働く事も有り、彼に差別的な言葉を投げ掛けたり、虐め的な事をする者も少なくはなかった。かく言う自分も、嘲笑する等、”言葉の暴力”を彼には浴びせた。
しかし、時を経る毎に、彼との溝も埋まって行き、数ヶ月経つ頃には皆、彼と打ち解けた雰囲気となっていた。結局、彼は1年で帰国する事になったのだが、彼に一時期とはいえ侮蔑した行為をとった事は、今でも自分の汚点として深く心に刻まれている。
あれから、彼の国では幾度も政変を繰り返している。帰国当時は体制側にあった彼の家族だが、それ以降は時代の波に翻弄された事は想像に難くない。同じく中年と呼ばれる世代になった彼は、今どうしているのだろうか・・・。
ミャンマー、昔はビルマと呼んだが、この国のニュースを見聞する度に思い出す事が有る。今から30年近く前の話になるが、当時小学生だった自分のクラスに、ビルマから転校生がやって来た。父親の仕事(大使館関係?)の関係で来日し、我がクラスに転入した彼は長男だった。当時は、今程外国人と接する機会どころか、街中で見掛ける機会も殆ど無く、先生達も含め皆、当初は好奇の目を彼に向け、腫れ物にでも触るかの様な態度で接していた。子供というのは残酷なもので、自分達と見た目や文化が違う存在に対しては、排除しようという思いが働く事も有り、彼に差別的な言葉を投げ掛けたり、虐め的な事をする者も少なくはなかった。かく言う自分も、嘲笑する等、”言葉の暴力”を彼には浴びせた。
しかし、時を経る毎に、彼との溝も埋まって行き、数ヶ月経つ頃には皆、彼と打ち解けた雰囲気となっていた。結局、彼は1年で帰国する事になったのだが、彼に一時期とはいえ侮蔑した行為をとった事は、今でも自分の汚点として深く心に刻まれている。
あれから、彼の国では幾度も政変を繰り返している。帰国当時は体制側にあった彼の家族だが、それ以降は時代の波に翻弄された事は想像に難くない。同じく中年と呼ばれる世代になった彼は、今どうしているのだろうか・・・。
ミャンマーは軍政強硬派が完全に掌握した、ということでしょう。
各国の経済制裁が続く中で、軍政強硬派は状況をどう考えているのでしょうね。