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「DX、SNS、AED・・・8割超『略語の意味判らず困る。』 国語世論調査」(9月29日、産経ニュース)
文化庁が29日に公表した「国語に関する世論調査」では、「DX」、「SNS」、「AED」といったアルファベットの略語に付いての調査も行われた。使い勝手の良さが在るものの、8割超の人は意味が判らず困まった経験を持っており、日頃の言葉遣いを顧みる切っ掛けとなりそうだ。
DXは、デジタル技術によって生活やビジネスを変革する「デジタル・トランスフォーメーション」。SNSは、インターネット上で交流を楽しむX(旧ツイッター)等の「ソーシャル・ネットワーキング・サーヴィス」。AEDは、停止状態の心臓に電気ショックを与えて回復を促す「自動体外式除細動器」を指す。何れも、英単語の頭文字を使った略語だ。
近年、見聞きする機会が増えているが、「意味が判らずに困る事が在る。」との回答は85.1%に上った。一方、こうした略語を使う事を「好ましい。」と感じると答えたのは45.1%。「好ましくない。」は54.3%で、ネガティヴな受け止めの方が多いものの、賛否に大きな偏りが無い事が判った。
唯、好ましいと感じる人の割合は10代が76.1%で在るのに対し、70歳以上では27.1%と3分の1近く迄減り、世代間の差が際立った。
好ましいと考える理由は「省略した方が使い易い。」が77.9%と最多。好ましくないとする理由のトップは「意味が判り難い。」(94.2%)からだった。
又、本来とは異なる意味で用いられる言葉の調査も行われた。「涼しい顔をする」は、「関係が在るのに、知らん振りする。」という本来の意味を理解している人が22.9%に留まり、61%が「大変な状況でも、平気そうにする。」を表す表現と捉えていた。「忸怩たる思い」を本来の「恥じ入る様な思い。」という意味で使っていたのは33.5%。52.6%は「残念でもどかしい思い」として使用していた。
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先ず、“誤用”に関する件だが、「涼しい顔をする」も「忸怩たる思い」も、取り敢えずは本来の意味で理解出来ていた。「忸怩たる思い」を誤用していた人にとっては、正に“忸怩たる思い”だろう。
で、英単語の頭文字を用いた略語だが、近年、特に増えた気がする。自分の場合は何とか彼んとか「追い付けている。」が、高齢の方を中心に「意味が判らず、本当に困っている。」という人が少なく無いのも理解出来る。
私事になってしまうが、後期高齢者で在る我が母は此の手の略語が大の苦手で、「SNSって、どういう意味?」という質問だけでも、過去に何度された事か。初めて質問するかの様に聞かれるので、「前にも説明したでしょ!」と答えて、口喧嘩になった事も。
元SMAPの稲垣吾郎氏が、「DXを『デラックス』の意味と勘違いしている上司役。」でCM出演している【動画】けれど、そういう勘違いをしている人も多そうだ。
英単語を用いた略語、多くの人が「略語自体は知っている。」という事ならば、「人口に膾炙す」という意味では“正解”なのだろう。でも、肝心の意味が全く伝わっていないならば、其れ“正しい事”とは言えないだろう。
過去に何度か書いたが、「無理無理に英単語や英単語の頭文字を用いた略語を使う人。」って結構居る。小池百合子都知事もそんな1人だが、こういう人達って概して「“中身が無い内容”を誤魔化す為、意図的に英単語や英単語の頭文字を用いた略語を多用している。」様に感じる。自分の経験上からも、「本当に頭が良い人程、判り易い言葉で説明する。」物で、悪いけれど「そうじゃ無い人程、小難しい言葉を使い勝ち。」なのだ。
「英単語の頭文字を用いた略語を理解出来る人だけが自国民で在り、理解出来ない人は置いてけぼりにしても構わない。」という社会で在ってはならない。
そもそもその略語が時代を超えた普遍的なものであるのか、流行りによって全く意味が変わっているのか、その辺もわかりづらいです。
DXも確かに昔は「デラックス」の意味で使われていたので、今風の意味で使われると、昔を知っているほうは「あれ?」ってなってしまいますよね。
同じように今10~20代の人たちが「当たり前の意味」として使っている略語が、50年後には別の意味の略語で使われたとき、それでも略語が好ましいと言えるのかどうか。
DAIGO氏が芸として謎々のように略語を連発するのは、私は笑えないギャグとしてスルーしていますが、識者を気取る解説者が肝心のところで意味不明の略語を堂々と使っているのに出会うと「げんなり」します。
1987年、“国鉄”が民営化された際、「国鉄(近郊区間の)電車」の略称である「国電」に代わる物として、JR東日本が「E電」なる愛称を発表しましたが、最初から「何其れ!?」という感じが多くに在り、結局、全く定着する事が在りませんでした。
悠々遊様が書かれておられる様に、今の若い子達が“当たり前の意味として使っている略語”の中にも、同じ様な運命を辿る物は、自分も少なく無い様に思います。
解説者って、「一般人が判らない(乃至は良く判らない)事柄を、出来る限り易しい言葉で説明する事を生業にしている人。」というのが本来の意味だと思うです。でも、解説者と称している人達には、略語や横文字を矢鱈と多用し、判り難さを増させている様な人が少なく無く、呆れてしまう。相手の身になって考えるのでは無く、単なる自己満足の独り善がりと言って良いでしょうね。