過去に何度も書いたけれど、子供の頃から大の御笑い好きの自分にとって、ザ・ドリフターズはビートたけし氏と共に、別格の存在。其れ迄に好きな“芸人”は存在していたけれど、「“本格的に”御笑いに目覚めたのは、“ドリフ”によってだった。」と断言出来る。
物心が付いた時、ドリフは既に人気者だった。毎週土曜日の20時から放送されていた「8時だョ!全員集合」【動画】は、当時の子供達の殆どが見ていたと思うし、「週明けの月曜日、登校した際には、同級生と真っ先に番組内容を話題にする。」のが普通だった。
ザ・ドリフターズというグループ自体は、1956年に結成されている。でも、此方に記されている様に、メンバー等、我々が知るドリフとは全く別物と言って良い。紆余曲折を経て、一般的に知られるドリフの形、即ち「いかりや長介氏、荒井注氏、高木ブー氏、仲本工事氏*1、そして加藤茶氏という“初期の5人体制”。(自分が最初にドリフに触れたのは、此のメンバーの時。)」になったのは、「1965年」の事とされている。
そして、1974年3月に荒井注氏がドリフを脱退した際、代わりに加わったのが志村けん氏。彼の存在によって、ドリフは“第2次黄金期”を迎える事になる。
志村氏が加入する前のドリフ(第1次黄金期)も、又、彼が加入した後のドリフ(第2次黄金期)も、自分は何方も好き。第1次黄金期を牽引していたのは加藤茶氏と荒井注氏、そして、第2次黄金期を牽引していたのは加藤茶氏と志村けん氏と良く言われるが、そういう面は確かに在った。でも、「メンバー全員で徹底的に稽古を積んだ上の笑い、即ち“作り込んだ笑い”を十八番とするドリフ。」に在っては、「“6人”のメンバーの1人たりとも、存在価値の無い者は存在しなかった。」と言い切れる。
「アンサンブルでは、何の楽器も重要な存在で、1つたりとも楽器が機能しないと、不協和音を生じる。」けれど、「ドリフのメンバーは皆、自分のポジションを充分に理解した上、常に其のポジションで“最大限の能力”を発揮すると共に、不協和音を生じ無い様に、自身を律していた。」からこそ、ドリフはあんなにも広く愛されるグループになったのだと思う。
リーダーのいかりや長介氏は別にして、どうしても“脇役的なポジション”だった仲本工事氏(彼の体操のコントが好きだった。【動画】)と高木ブー氏。でも、彼等が居たからこそ、ドリフの笑いはパワーを増していた。必要不可欠な存在だったのだ。
其の仲本工事氏が交通事故に遭ったのは、18日の事。家庭内のトラブルがつい最近報じられた許りだった(昨年にも報じられていたが。)ので、「本当に交通事故だったのだろうか?」という思いも頭を過ったが、何とか元気になって欲しいと願っていた。最初の報道では「重体」という事では無かったので「良かった・・・。」という思いが在ったのだけれど、続報に触れる度、「想像以上に容態が深刻。」と言う感じがして、不安な思いに。
そして昨夜、急性硬膜下血腫にて81歳で亡くなられた事が報じられた。新型コロナウイルス感染症が世界的に流行して以降、暗いニュースが目立つけれど、「2020年3月29日に、新型コロナウイルス感染症に罹患した志村けん氏が、肺炎にて70歳で亡くなられた。」のに続き、今回の仲本工事氏の訃報。共に“避けられた可能性の在る死去”だっただけに、何とも遣り切れない。
仲本工事氏が亡くなられた事で、ドリフの全“6人”のメンバーの内、御存命なのは高木ブー氏(89歳)と加藤茶氏(79歳)の2人だけとなってしまった。御二人には「未だ未だ御元気で活躍して欲しい。」と願う一方で、“子供時代からの楽しい思い出”が又1人亡くなられた事に、堪らなく寂しさを感じる。
「ドリフ大爆笑」のエンディングに歌われていた「さよならするのはつらいけど」【動画】に、「さよならするのは辛いけど 時間だよ 仕方が無い 次の回迄 御機嫌よう♪」という歌詞が在る。此の歌詞を噛み締めて、「さよならするのは辛いけど、御機嫌よう。」と仲本氏に言いたい。
沢山の楽しい思い出を有り難う御座いました。合掌。
*1 「警視庁ゼロ係〜生活安全課なんでも相談室〜」【動画】や「日曜劇場 テセウスの船」【動画】等、TVドラマに仲本氏が出演されていたのは嬉しかった。
渡ってはいけない横断禁止の道路を渡って事故にあったのです。仲本氏よりも加害者の運転者がきのどくです。73才とご高齢だとか。さぞかしショックだったろう。その方のこえれからの人生をおもうとまことにお気の毒。
giants-55さんには申し訳ありませんが。
最初に事故のニュースに触れた際、「横断歩道を青信号中に歩行中の仲本氏が、車に撥ねられた。」と思いましたので、「酷いなあ。」と運転者サイドに怒りを覚えました。
ところが、続報不触れる中で、横断禁止の道路(何ヶ所も標識が立っていましたね。)を横切った事で起こった事故というのが判り、「此れで罰せられてしまうのは、運転者サイドが気の毒だなあ。」という思いに。(記事中の「避けられた可能性の在る死去」という記述には、交通ルールを守らなかった仲本氏への批判の意味も込めていました。)
年を重ねる毎に、気が短くなる傾向が概して在り、横断歩道の無い場所を横切ってしまいたくなる気持ちは理解出来ないでも無いけれど、こういう事故に触れると、「駄目だな。」と改めて感じます。
「車」とは、強大な破壊力を有しているので、事故が起こった際、「人」よりも重く罰せられるのは判りますが、今回の様なケースでは、其の罰が減じられると聞きます。人の命を奪ってしまった現実は現実として受け止めなければいけないのでしょうが、今回の加害者には、自分も同情を覚えます。
若松氏もやはり横断歩道のない都道を横断中、タクシーにはねられて病院に搬送され、5日後に亡くなりました。事故に遭ったのが2012年10月12日、死去が10月17日と、なんと仲本さんの事故と丁度10年前の同じ月で、仲本さんが亡くなられたのも若松氏の命日の2日後でした。こんな偶然ってあるのですね。
若松氏も享年76歳。氏もやはり高齢になって気が短くなり、横着して横断歩道のない道路を渡ったのでしょう。でも高齢になると反射神経も衰えますし、周りへの注意も疎かになるでしょう。「まだ大丈夫」と思っても、速度の出ている車は見えてから数秒で近づきます。雫石さんの仰るように、これは仲本さんの方に過失があります。
運転していた方の今後が心配になりますね。例え不可抗力だろうと、「人を轢いて死なせてしまった」事実は生涯記憶に残り続けるでしょうから。
こういう、両者の悲劇を防ぐ為にも、横断歩道のない道路は絶対に渡らない、遠回りだろうと横断歩道や信号のある所を利用する事を、特に高齢の方は強く心がけて欲しいと思います。私自身の自戒も込めて。
若松孝二監督もそうでしたね。うろ覚えでは在りますが、一報では「生命の危機には無い。」とされたので、1週間も経たないで亡くなった際には、非常に驚いた記憶が在ります。其れにしても、事故に遭ったのが仲本氏と同じ10月だったとは・・・。
自分もそうですが、年を重ねると“短気になり勝ち”で、交通量が少ない場所では、横断歩道で無い場所を横切って渡ってしまう事も在ります。勿論、十二分に左右等を確認した上ですが、今回の報道で、「改めなければいけないなあ。」と再認識しました。
結果的には加害者の立場になってしまわれた今回の方、自分も心配です。「人の命を奪ってしまった。」という事実は、仮令どんな理由が在るにせよ、加害者の心に大きな傷を残す。周りがきちんとケアして上げて欲しいですね。