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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

真っ当な判決

2008年04月23日 | 時事ネタ関連
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永山基準

1. 犯罪の性質。
2. 犯行の動機。
3. 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性。
4. 結果の重大性、特に殺害された被害者の数。
5. 遺族の被害感情。
6. 社会的影響。
7. 犯人の年齢。
8. 前科
9. 犯行後の情状
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光市母子殺害事件」にて殺人や強姦致死等の罪に問われた元少年(27歳)の差し戻し控訴審で、広島高裁は昨日、一審の求刑通り死刑判決を言い渡した。この判決を不服とし、弁護団は上告を決めたという。

この事件の残忍さ、そして被告の元少年及びその弁護団の余りに遺族を蔑ろにした言動に関しては、昨年の記事「人には死刑を!! Part1Part2」で具に記した。再度記すのも悍ましい限りなので控えるが、未読の方はそちらを読まれてからこの先を読んで戴けたらと思う。

少年法第51条1項には罪を犯す時18歳に満たない者に対しては、死刑を以って処断すべき時は、無期刑を科する。と在る。つまり、18歳未満の者には死刑が適用されないのが原則だ。犯行当時18歳1ヶ月だった元少年はこの原則に当て嵌まらず、死刑の適用が妨げられる訳では無い。しかし「18歳を僅か1ヶ月過ぎただけ。」、「犯行の計画性が乏しい。」、「目立った非行歴が無い。」等の要素が、一審&二審共に死刑では無く、無期懲役という判決に到ったとされている。

今から40年前の1968年、当時19歳の少年が僅かな金銭を得る為だけに、ピストルで4人を殺害した。世に言う「永山則夫連続射殺事件」だ。身勝手で残忍極まりない犯罪に、彼への死刑を求める声も多かったが、同時に彼の生い立ちが余りに悲惨だった事から死刑回避を求める声も少なくなかったという。結果的に死刑が確定した彼は1997年8月1日に死刑執行されるのだが、それより14年前の1983年、第1次上告審判決で「死刑適用基準」として示されたのが、冒頭に挙げた「永山基準」で在る。

昨夜のニュースでは(永山基準以降)18~19歳が4人殺害し、死刑判決を受けたケースが2例在る。と報じていた(因に20歳以上の成人の場合、2人以上殺害で死刑という判決が多いとの事。)。この基準が示されて以降、未成年による2人殺害で死刑が確定した例は無い。これ迄の流れで行けば、殺害人数2人の元少年は死刑回避の可能性が極めて高かったと言える。

当ブログで何度か記して来た様に、自分は一貫して死刑賛成派で在る。又、この元少年の刑としては死刑以外に無く、万が一死刑以外の判決が今回下されたならば、それは我が国の司法制度の崩壊を意味するとも思っていた。それ故に真っ当な判決が下されたと評価したい。

今回の判決のみならず、死刑自体に関しても反対する意見が在る。非常にセンシティヴ事案で在るから、反対する意見が在るのも当然だとは思う。又、元少年及びその弁護団の余りに遺族を愚弄した言動には憤り禁じ得ないが、だからと言って銃弾を送り付ける等の脅迫行為は論外だ。例えどんな被告で在れ然る可き弁護人を付けるべきだし、彼等の主張が余りに酷い物で在ったとしても脅迫等の違法行為に訴えるのでは無く、正当な形での批判をするのが法治国家としての有り様。それを逸脱してしまっては、無法国家に成り下がってしまう。

極論と指摘されるのは覚悟の上で、最後に「死刑」に関する私見を記したい。年齢を問わず、人1人を“意図して”殺害したのが“明白”な者は“原則”死刑とし、情状酌量の余地が在る場合には“例外”として、“仮釈放を認めない”無期懲役の適用(乃至は終身刑」を創設&適用)を“上限”とするというもの。「殺人者が更生する道を奪ってはならない。」、「生き永らえる事で、遺族に対して罪を償って行くべき。」という意見も当然在ろう。殺人者が更生する可能性がゼロでは無いと自分も思っている。だがしかし、殺人者が例え更生しようとも、殺された者が生き返らないのも事実。遺族の気持ちを考えると、「人1人意図して殺害したのが明白な者は原則死刑とし、情状酌量の余地が在れば例外も認める形」が自分はベターの様に思うのだ。これがベストだとは言わないが。

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12 コメント

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Unknown (tak)
2008-04-23 08:18:28
この判決について、死刑反対派の意見も聞いてみたいですな。
特に田嶋女史などに。
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>tak様 (giants-55)
2008-04-23 08:43:49
書き込み有難う御座いました。

昨日のニュースで、この判決に関する街の声を紹介していました。中でも未成年の男性の声が印象に残ったのですが、それは「選挙権等、社会に関わる権利が与えられていない以上、死刑は反対。」という物。これは「どうなのかなあ。」と思いました。この世に生まれて権利と称される物を少しでも享受している以上、そういう考え方が果たして許されるものなのか?人の命を奪うという行為は、そんなに軽い物なのか?“個人的には”非常に甘っちょろい意見に感じました。

死刑反対の意見が在るのは構わないのですが、そういった人達は「もし自分にとって最愛の人間が惨殺されても、同じ意見を言えるのだろうか?」と何時も思ってしまいます。
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 (薔薇)
2008-04-23 09:40:04
「そんなんじゃ気がすまない」を無責任な世論が共有し、多大に感情移入した結果、法律が被害者による加害者への報復手段となったようにも思えます。 ハムラビ法典に近づいたかなと。 アラブをバカにする先進国もアメリカ然り、頭に血がのぼったらやること、考えることはつまるところ同じ。 やられたらやりかえす。 アメリカなら倍返し。 時が経ち、あとで冷静に考えるか、もうとっくに忘れて熱も冷めたころ、もういちど考えるのもよいかと。 人の過ちも因果応報、巡る巡る。 この世で人をあやめた者は輪廻転生できないとか。 亡くなられた被害者の方はご遺族の幸せを見届けるまでお星様にならず、傍らにとどまっているとも聞きます。 私には何がどうか、どうなのか断言などできません。 真実は当事者にしかわからないもの。 世の中にはたぬきが憑いたと言って肉親を殺害した事件や、悪霊にそそのかされたといって人を殺傷した事件なども現実にはあるくらいです。 弁護人の弁が信用できるできないも、そう思う部分も確かにありますが、およそ信用できないような事象は世の中には多数あることもあるものです。 これからの裁判員制度はどうなんだろうかと・・・ 
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>薔薇様 (giants-55)
2008-04-23 10:01:50
書き込み有難う御座いました。

死刑は間接的な復讐刑に過ぎない。これは或る意味事実でしょうね。近しい人間が殺害されたから、その敵討ちを取るというのも、新たな恨みを誘発し、恨みの連鎖は際限なくなるというのも否定はしませんが、だからこそ間接的な形で命を奪う事で恨みの連鎖を断つというのが、様々な模索の中で生み出された折衷案の様にも思います。

厳し過ぎるかもしれませんが、人1人の命を“意図的に”殺めたという事実の重さを広く再認識させる意味でも、殺人者と死刑の関係はもっと近く在っても良い様に自分は考えます。唯、そうなると「じゃあ戦争での殺害行為はどうなるんだ?」という事になりましょうけれども・・・。

薔薇様が懸念されている「裁判員制度」には、自分も懸念を覚えない訳では在りません。表層的な部分だけを見て、思考停止状態で言動してしまう人が少なくない中、極論すれば「この人は格好良い(乃至は可愛い)から、そんな罪を犯す訳が無い。」なんて判断する者が居ないとも限りませんし。マスメディアや外部の声に惑わされる事無く、冷静に自分の頭で考えて判断するという姿勢が各自に求められますね。

今回の事件では、被害者の側に同情的な世論が出来上がっています。事件の内容を考えるとそれは宜なからぬ事では在るのですが、だからと言って加害者の言動を全て是としてしまう風潮が在った“としたら”、それはそれで怖い。当ブログでは過去に何度か指摘しましたが、拉致被害者家族連絡会の主張に共感を覚える一方で、私利私欲を充足せんが為に動いている様な人物も見受けられる。全てに対して盲目的に賛意を表するのでは無く、当たり前の話ですが是々非々で判断する風潮が望ましいと思っております。
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9年間って (iorin)
2008-04-23 10:26:22
自分は死刑制度に賛成です。今回は、死刑反対派が被告側に多数の弁護がついて、被告弁護の為じゃなく己の信念の為に、弁護活動をしている弁護士達について強い憤りを感じておりました。「死刑がこれから増えるだろう」という意見がありますが、それはそれで多いに結構なことだと思っています。確かにいじめや虐待やDVなどで情状酌量の余地が有る場合もあるかもしれませんが、裁判制度自体が加害者主導で行われているのに疑問を感じます。
 死刑になりたいという被告もいます。これからは被害者主導の裁判になるべきだと思います。今後は被害者と同じ苦しみを被告に与えるべきだと思います。
 日本には終身刑がないのですね・・・
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>iorin様 (giants-55)
2008-04-23 11:00:57
書き込み有難う御座いました。

感情に流されてしまうのも問題だとは思っていますが、でも近しい人間が殺害、それも惨殺されたとなると感情を全く排除するというのは余程人間が出来た人でなければ難しいでしょうね。加害者を余りに擁護する一方で、被害者(乃至はその関係者)が蔑ろにされているという思いは自分も強く、被害者主導とは言わない迄も、もっと被害者の諸権利を考慮した法環境に在って欲しいもの。今回の弁護団に関しては「自己の信念のアピールの場」としか捉えていない気がして、非常に不快です。

昨日、19歳の自衛官がタクシー運転手を刺殺したとして逮捕されましたよね。動機に付いて彼は「誰でも良いから人を殺して死刑になりたかった。」と語っているとか。全くとんでもない話です。こういう動機を口にして殺人を為すアホが結構居ますが、「そんなに死刑になりたいなら、自らの命を自らが絶てば良いではないか。」と思ってしまいます。(個人的には、自殺自体に否定的な見解を持っていますが。)

以前、「無期懲役」に付いて非常に参考になる御意見を頂戴しました。こちらの記事(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/78b2fec89247cb5ac55d92c84d9785f9)のコメント欄で佐々木大吾様が書き込んで下さった部分ですが、不勉強故に知らなかった事実でした。

終身刑には仮釈放の在るタイプと、そうで無いタイプが在るそうですが、一般的に「終身刑」と捉えているのは仮釈放の無いタイプだと思います。そうなると、仮釈放の無い無期懲役が実質的な終身刑と言えなくも無いという説も在る様です。
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フォントの多用が目に辛いです (歴史小説愛好家)
2008-04-23 15:20:41
随分感情的ですね。

この件に関しては一歩ひいてみています。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080415AT1G1504215042008.html

BPOがわざわざ指摘するまでもなく、あまりに感情的で魔女裁判のような雰囲気。怖ろしい物があります。

被告の当初の態度が大々的に伝えられたこと、’ブレイブ・ワン’本村氏への同情のあまり、「殺せ殺せ」の大合唱。ニュースの中には被告のレイプと赤ん坊殺しをCGで再現するところまでありました。
死刑制度には反対でもない私にも非常に異常な光景に思われるからです。
「被害者の身になれ」という意見は良く分かりますが、残念ながら司法の場は復讐の場ではないのです。

>年齢を問わず、人1人を“意図して”殺害したのが“明白”な者は“原則”死刑とし

そんなに死刑囚を増やしたいなら、刑務官にでもなって、執行担当者になってみてはいかがでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%BB%E5%88%91#.E5.9F.B7.E8.A1.8C


口で言うのは簡単ですが、汚い仕事は執行者、死刑囚の教誨師任せ。無責任な話ですね。死刑大賛成の国民の多くはその一方で執行者を蔑視し、教誨師を「物好きな暇人」と思っているのではないでしょうか。
私はカトリックで、教区の牧師が執行されたある死刑囚の教誨を行っておりましたが、彼から聞いた話はとても筆舌に尽くしがたいものでした。死刑になるような犯罪者ですから自業自得とはいえ。
カトリック教会の伝統的な見解では、「報復のための死刑は不可、犯罪予防、威嚇のための死刑は人命救助の観点から可」ですので、どうしてもこのブログの書き手の方、本村氏には懐疑的にならざるを得ません。

また亀井静香がわざわざ例を挙げるまでもなく、冤罪者が死刑囚にどれだけ占めているのか。アメリカではそれが死刑判決をなかなか下さない理由にもなっていますが、日本のように司法の側の秘密主義、エリート主義が横行し、また一方で冤罪者の援護へ理解の乏しい社会です。ある冤罪事件の犠牲者は未だに故郷の村で「犯罪者」「どれだけ金を積んで無罪になったのか」と中傷され、故郷には帰れず、名前を変えて生活しています。また援護団体には必ず「アカ」などの野蛮な誹謗中傷が飛び交うのです。

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>歴史小説愛好家様 (giants-55)
2008-04-23 16:14:15
初めまして。書き込み有難う御座いました。

先ず最初に断っておきたいのですが、自分は刑務官や教誨士等、死刑執行に関わられた方々が書かれた本や証言は、少なからず目を通しております。死刑される側が如何に恐怖の日々を送っているか、そして死刑を見届ける側の人々がどれだけ精神的に辛いかも、その全部が判っているとは申しませんが、それなりに判っているつもりです。当ブログでは過去に何度か書いているのですが、嫌がる人が多いだろうけれども社会を成立させる為には必要不可欠な業務をなされている方には敬意を持っていますし、充分な対価やケアが施されるべきだとも。その事を先ずは御理解戴けると嬉しいです。

魔女裁判が如き雰囲気。仰る事は判ります。確かに、死刑賛成派で尚且つ今回の被告に対して激しい憤りを持っている自分ですら一寸引いてしまう報道が在ったのも事実ですから。事件が事件ですから、完全に冷静な報道というのも“人間としては”難しいとは思いますが、其処を極力冷静に報じる姿勢はマスメディアに求められるでしょうね。勿論、見る側も同じスタンスが求められましょう。

余りにも感情的に死刑を求めるのもどうかとは思っていますが、死刑反対論者(これは歴史愛好家様の事では在りませんので、誤解無き様に。)が良く口にする「殺せ、殺せの大合唱」というのも、死刑賛成派の人間を感情的に揶揄している様でどうかなという気がしています。「死刑囚を増やしたいなら、刑務官にでもなって執行担当者になってみては如何でしょうか?」と言ってしまったら、例えば「自然環境を良くする為に、皆ゴミを捨てない様に!」と主張した者に対して、「だったら自分が世界中のゴミを拾って集めれば良いでしょ。」と言い放っているのと同じで、これでは議論にならないのではないでしょうか。

決して歴史愛好家様に喧嘩を売っている訳では在りません。仰っている事に理解出来る部分も少なくないのですが(冤罪は絶対に在ってはならないと思いますし。だからこそ「殺害したのが“明白”な場合」とわざわざ記事では記している訳です。)、司法の場を完全に復讐という概念から切り離すのは無理だと思いますし、被害者感情を考えたら完全に切り離すのもどうかとどうしても思ってしまうんです。他の方へのレスでも書かせて貰いましたが、近しい人間を殺した相手を仇討ちするという遣り方では、新たな恨みを生むだけで、その恨みの連鎖をどうやって断ち切り、尚且つ遺族感情(憎悪の念を指しますが。)を癒すかという折衷案が、自分は死刑の様に感じています。

今後とも何卒宜しく御願い致します。
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司法は三権の一つ。 (アラメイン伯)
2008-04-23 22:21:02
僕の尊敬する尾張藩7代藩主。徳川宗春は
「一人として誤りて処刑すれば国持ち大名の恥である」といって彼の治世のもとでは死刑は執行されませんでした。
確かに冤罪の可能性が少しでもあれば死刑は慎重にすべきですが、僕もgiants-55様と同じく人を殺せば原則は死刑が妥当と思います。だって刑法には人を殺せば死刑もしくは5年以上の懲役と書いてあります。
死刑廃止論にまったく耳をかさないわけではないですが、その議論は立法府たる国会ですべきです。弁護士が己の思想信条で裁判を利用しているとしかみれませんでした。

今回の裁判の結果は世論におされた結果は大きいと思います。
それを衆愚のように言う人もいますが、民主主義を解っていないですね。
司法も三権の一つです。したがって有権者である市民の判断が介在しなければいけません。
だから形骸化していても最高裁の国民審査があり欧米では陪審員制度があるわけです。
日本でも裁判員制度がはじまるわけですが、裁判員になる人はツライ場面もあるでしょう。
しかし民主主義政体では有権者が楽してはいけないのです。
弊害があっても陪審員を廃止したりはしないでしょう。
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>アラメイン伯様 (giants-55)
2008-04-24 00:20:03
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰いますね。

歴史小説愛好家様も述べておられる様に、冤罪が絶対に在ってはならないと自分も思っています。「この人、痴漢しました!」の一言で、全く身に覚えないの無い罪を負わされ、その結果職を失ってしまった人も居ます。ましてや人の生命が懸かっている死刑が、全く無辜の人間に求刑されたととしたら、これは非常に恐ろしい話です。ですから「人を殺した事が明白」という大前提は、当たり前の話ですが絶対に守られなければならない。

「何でもかんでも殺せば良い!」となってしまうと余りに感情的で嫌なのですが、逆に「死刑の様な残酷な刑を為すのは許せない!」というのも同じく感情的に感じてしまいます。これはアラメイン伯様も指摘されている様に、刑法で「死刑」という刑罰が規定されている以上、死刑という刑罰自体は違法では無いからです。

「民主主義政体では、有権者が楽してはいけない。」、これはその通りでしょうね。それなりの重みを負うからこそ、それに見合った権利を享受出来るというのが原則だと思いますから。
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