② 金閣寺放火事件
精神科医の斎藤環氏が興味深い指摘をしていた。「禅問答では師匠の提示した問いに対して、Aと答えても、Bと答えても否定される。これは正にダブル・バインド(緊密な関係の中に在って、矛盾した2つの命令の間で板挟みになる状況。)的な状況ですね。本来はこの矛盾から悟りの段階へとジャンプするのが理想なのでしょうが、元々分裂気質の人にとっては、禅の修業が発症のきっかけになったとしてもおかしくない。(中略)精神分析を始め、内省や洞察を促す治療法は統合失調症の人には大体駄目なんです。内省させると、意識がどんどん病的コアに集中してしまい、其処から病的過程が拡大して行く様な悪循環に陥り易い。だから自分の内面を覗き込む様な治療は、ほぼ良くないと言われています。」
③ 下山事件
セゾン・グループの元オーナーにして作家の堤清二氏の「確かに御役人、又は御役人的なメンタリティーの人は、個人の考えよりも組織の考えに従う傾向が在ります。そういう意味で、何か在った時、死を選ぶ傾向が強いかもしれませんね。例えば汚職事件等で取り調べを受けた官僚が自殺したというニュースは結構聞きます。一方、死を選ばなかった場合は、全部白状してしまうらしい。父の堤康次郎は戦前戦後と長く衆議院議員をしていましたが、『御役人出身の人を絶対に選挙運動に使ってはいけない。』と言っていました。選挙違反で捕まった時に、御役所出身の人は全て喋ってしまうというのです。裏を返せば、何某かの違反をしていたという事ですが、ともかく在る事は勿論、無い事迄喋ると閉口していました。これも、個人の考え方という物が無く、常に組織の考えに従って来たものだから、身柄がより強い組織、つまりこの場合は警察に移されると、今度はそちらの考えに従ってしまうという事なのでしょう。」と、柳田氏の「(運転者付きの)車というのは組織や集団の象徴なんですね。社長や会長を務めた人が退任し、唯の顧問か何かになって、車の送迎が無くなると、途端にがっくりくるらしい。ですから、顧問室は要らないから車だけは付けてくれないかと交渉する人も居るそうです。」という言葉が印象的だった。
④ 造船疑獄
「造船疑獄」とは、海運や造船業界の幹部等が自らに都合の良い助成法案を国会で通して貰うべく、政界や官界の実力者達に多額の現金をばら撒いた事件。1954年1月に強制捜査が開始となり、政界・財界・官界から多くの逮捕者を出し、結果的に第5次吉田茂内閣が倒れる大きな要因ともなった。
捜査の過程では政権党だった自由党幹事長・佐藤栄作氏(後の首相)が、「船主協会と日本造船工業会の幹部から助成法案の有利な修正を依頼され、その謝礼として各1千万円を自由党に献金させた。」という疑いが濃厚となり、検察陣が同氏の逮捕許諾請求を国会に提出する寸前迄行ったが、時の法務大臣・犬養健氏が検事総長に対してした為、佐藤氏は逮捕されず、捜査も挫折するに到った。法務大臣による直接的な現場介入と言える「指揮権発動」は、戦後に於いてこれが最初で最後となっている。
「時の権力者が、力を以ってして捜査を打ち切らせた最悪のケース。」というのが自分の理解。ところが元東京地検特捜部検事にして、ロッキード事件の捜査で名を馳せた堀田力氏の見方は違った物だった。彼によると「各1千万円の金を佐藤氏が直接自らの懐に入れたのでは無く、党への献金という形になっており、これは『第三者収賄』という非常に立証し辛い容疑で、仮に彼を逮捕&起訴した所で有罪に持って行くのは極めて困難だったのではないか。」としている。その上で「もし、逮捕・起訴しておいて無罪という事になれば、相手は与党の幹事長ですから、検察が受けるダメージは量りしれない程大きい。結局、佐藤逮捕は無かったのですが、私は検察の中に知恵者が居て、指揮権発動という上手い方法を思い付いたのではないかと想像しています。この方法ならば検察は体面を保ちつつ、捜査を終了する事が出来ますから。」ともコメントしている。つまり指揮権発動を仕掛けたのは時の権力者側では無く、検察側のコンセンサスからではなかったかという読みだ。これは、なかなか面白い指摘だと思う。
⑤ 伊勢湾台風
阪神・淡路大震災が発生した際、被災地には少なからずの不心得者が外部から入り込み、悪事を為していたという話を聞いていた。中には人の所業としか思えない話も在り、「同胞が苦しんでいるというのに、どうしてそんな酷い事をする輩が出て来るのだろうか・・・。」と堪らなく寂しかった。
勿論、心優しき人々も大勢居たとは思っていたが、この本の中で柳田氏が紹介していた数字は恥ずかし乍ら初めて知る物で、「これだけ多くの“慈愛”が存在していたのか。」と心が温かくなる思い。
「阪神・淡路大震災の時、倒壊した家屋の下敷きになり、そのままの状況だと亡くなる可能性の在った人は約3万5千人居たと言われます。その内2万7千人は隣近所の人に救助されたのです。政府の『公助、互助、自助』の内自助と互助、特に互助がこれからの社会的課題になって来ると思います。」
****************************
精神科医の斎藤環氏が興味深い指摘をしていた。「禅問答では師匠の提示した問いに対して、Aと答えても、Bと答えても否定される。これは正にダブル・バインド(緊密な関係の中に在って、矛盾した2つの命令の間で板挟みになる状況。)的な状況ですね。本来はこの矛盾から悟りの段階へとジャンプするのが理想なのでしょうが、元々分裂気質の人にとっては、禅の修業が発症のきっかけになったとしてもおかしくない。(中略)精神分析を始め、内省や洞察を促す治療法は統合失調症の人には大体駄目なんです。内省させると、意識がどんどん病的コアに集中してしまい、其処から病的過程が拡大して行く様な悪循環に陥り易い。だから自分の内面を覗き込む様な治療は、ほぼ良くないと言われています。」
③ 下山事件
セゾン・グループの元オーナーにして作家の堤清二氏の「確かに御役人、又は御役人的なメンタリティーの人は、個人の考えよりも組織の考えに従う傾向が在ります。そういう意味で、何か在った時、死を選ぶ傾向が強いかもしれませんね。例えば汚職事件等で取り調べを受けた官僚が自殺したというニュースは結構聞きます。一方、死を選ばなかった場合は、全部白状してしまうらしい。父の堤康次郎は戦前戦後と長く衆議院議員をしていましたが、『御役人出身の人を絶対に選挙運動に使ってはいけない。』と言っていました。選挙違反で捕まった時に、御役所出身の人は全て喋ってしまうというのです。裏を返せば、何某かの違反をしていたという事ですが、ともかく在る事は勿論、無い事迄喋ると閉口していました。これも、個人の考え方という物が無く、常に組織の考えに従って来たものだから、身柄がより強い組織、つまりこの場合は警察に移されると、今度はそちらの考えに従ってしまうという事なのでしょう。」と、柳田氏の「(運転者付きの)車というのは組織や集団の象徴なんですね。社長や会長を務めた人が退任し、唯の顧問か何かになって、車の送迎が無くなると、途端にがっくりくるらしい。ですから、顧問室は要らないから車だけは付けてくれないかと交渉する人も居るそうです。」という言葉が印象的だった。
④ 造船疑獄
「造船疑獄」とは、海運や造船業界の幹部等が自らに都合の良い助成法案を国会で通して貰うべく、政界や官界の実力者達に多額の現金をばら撒いた事件。1954年1月に強制捜査が開始となり、政界・財界・官界から多くの逮捕者を出し、結果的に第5次吉田茂内閣が倒れる大きな要因ともなった。
捜査の過程では政権党だった自由党幹事長・佐藤栄作氏(後の首相)が、「船主協会と日本造船工業会の幹部から助成法案の有利な修正を依頼され、その謝礼として各1千万円を自由党に献金させた。」という疑いが濃厚となり、検察陣が同氏の逮捕許諾請求を国会に提出する寸前迄行ったが、時の法務大臣・犬養健氏が検事総長に対してした為、佐藤氏は逮捕されず、捜査も挫折するに到った。法務大臣による直接的な現場介入と言える「指揮権発動」は、戦後に於いてこれが最初で最後となっている。
「時の権力者が、力を以ってして捜査を打ち切らせた最悪のケース。」というのが自分の理解。ところが元東京地検特捜部検事にして、ロッキード事件の捜査で名を馳せた堀田力氏の見方は違った物だった。彼によると「各1千万円の金を佐藤氏が直接自らの懐に入れたのでは無く、党への献金という形になっており、これは『第三者収賄』という非常に立証し辛い容疑で、仮に彼を逮捕&起訴した所で有罪に持って行くのは極めて困難だったのではないか。」としている。その上で「もし、逮捕・起訴しておいて無罪という事になれば、相手は与党の幹事長ですから、検察が受けるダメージは量りしれない程大きい。結局、佐藤逮捕は無かったのですが、私は検察の中に知恵者が居て、指揮権発動という上手い方法を思い付いたのではないかと想像しています。この方法ならば検察は体面を保ちつつ、捜査を終了する事が出来ますから。」ともコメントしている。つまり指揮権発動を仕掛けたのは時の権力者側では無く、検察側のコンセンサスからではなかったかという読みだ。これは、なかなか面白い指摘だと思う。
⑤ 伊勢湾台風
阪神・淡路大震災が発生した際、被災地には少なからずの不心得者が外部から入り込み、悪事を為していたという話を聞いていた。中には人の所業としか思えない話も在り、「同胞が苦しんでいるというのに、どうしてそんな酷い事をする輩が出て来るのだろうか・・・。」と堪らなく寂しかった。
勿論、心優しき人々も大勢居たとは思っていたが、この本の中で柳田氏が紹介していた数字は恥ずかし乍ら初めて知る物で、「これだけ多くの“慈愛”が存在していたのか。」と心が温かくなる思い。
「阪神・淡路大震災の時、倒壊した家屋の下敷きになり、そのままの状況だと亡くなる可能性の在った人は約3万5千人居たと言われます。その内2万7千人は隣近所の人に救助されたのです。政府の『公助、互助、自助』の内自助と互助、特に互助がこれからの社会的課題になって来ると思います。」
****************************
なるほどと思いました。それだけ精神的に負荷をかけるということですからね。
精神を鍛えるっていうのはあくまで元に病的欠陥が無い上に成り立つわけであり
これに相当しない人たちにとっては傷に塩を塗るような行為になりえますね。
嘗ての人気アナウンサー・小川宏氏が「鬱病を患われ、自殺を試みようと思った事が在る。」という告白をされた際には非常に驚きました。明るく社交的な彼と鬱病とは、余りに接点が無さそうだったからです。併せて彼が「鬱病で苦しんでいる頃に一番苦しかったのは、周りからの『頑張って!』という励ましの声だった。」と語っていたのも印象的でした。「周りは優しい気持ちからそういう声を掛けてくれているのは判っていても、心を病んでいると余計にその言葉で追い込まれてしまう。」という説明に、「そういうものなんだ。」と勉強になった次第。メンタル面のケアというのは、充分心して当たらないといけないんですね。今回の統合失調症の方へのケアも、なるほどと思わせる話でした。
そう考えると光クラブの人なんかは本当は最高に善人で、重大な罪を犯しながら長生きしている人間はたくさんいる、と思うと…。実際、年寄りなんかで軍隊時代自慢している人の話なんかちょっと聞くとビックリするようなことあるでしょう??
ところで、このエントリーを挙げておられるので、このイベントを紹介しておきましょうか。
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2008-05/kaisetsu.html
↑
実は国立近代美術館のメールニュースを定期的にもらっているのですが、このイベントで戦前戦中戦後の記録映画及びGHQによる教育映画を上映するようです。東京なので自分は行けそうにないですが、もし興味があったらどうぞ。
異国の地で発生した事件の中には、「この手の事件って、他の地域では発生しないだろうな。」と思わせる“独特な物”って在りますよね。その国の文化&風習が色濃く反映された事件と言っても良く、それが惹いてはその地の人達の“業”と繋がっている様な気がします。勿論、我が国でも嘗ては考えられなかった様な“欧米的な犯罪”が増えていますので、時代と共に変容して行く部分も在りましょうが。
軍隊経験を過度に自慢している人の中には、そう言う事で自分自身の人生を肯定化したいという思いも在るのでしょう。逆に言えば、それをしないと自分の存在意義が無くなってしまう様な不安を常に抱えていると言え、もしそうで在れば気の毒な気もします。
御紹介戴いたイベント、自分の琴線にかなり触れる物が在ります。開催時期にGWが含まれているので、時間を見付けて足を運んでみたいと思います。情報有難う御座いました。