「アプレゲール」という言葉が在る。「第一次世界大戦後のフランスで、既成の道徳や規範に囚われ無い文学・芸術運動が勃興した事。」を意味するのだが、日本では第二次世界大戦後、「アプレ」という省略形の言葉として流行。戦前の価値観や権威が完全に崩壊した時期という事も在り、既存の道徳観を欠いた無軌道な若者による犯罪が頻発し、彼等が起こした犯罪は「アプレゲール犯罪」と呼ばれた。
日本で発生したアプレゲール犯罪として有名なのは、「光クラブ事件」や「鉱工品貿易公団横領事件(早船事件)」、「金閣寺放火事件」、「日大ギャング事件」、「築地八宝亭一家殺人事件」、「カービン銃ギャング事件」等が在るが・・・。
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営業中の東京・新橋のバー「メッカ」のカウンター席でビールを飲んでいた男性客は、肩口に何かが落ちて来たのを感じた。「何だろう?」と思って肩口を見ると、付いていたのは血。驚いて頭上を見上げると、天井にはどす黒い血の染みが出来ており、其処からポタリポタリと血が滴り落ちていた。
中二階の押し入れを調べてみた所、其処には血塗れの死体が。鈍器で全身を執拗に殴打されていただけでは無く、刃物による刺し傷や紐で首を絞められた跡も在る等、「惨殺」という言葉が当て嵌まる状況。死体は「メッカ」を時々訪れる男性客Aと判明した。証券ブローカーを生業としていたAは、当時40歳(39歳という話も在る。)。彼が所持していた現金41万円が無くなっている事も明らかに。
犯人として逮捕されたのは3人の男。内、元証券会社の社員だった正田昭(当時24歳)が主犯とされた。比較的裕福な家庭に、兄3人と姉2人の末っ子として生まれた昭。然し、弁護士だった父親は昭が生まれた5ヶ月後に他界。教師だった母親が、女手1つで子供達を育てる事に。
周りから賢母として見られていた母親だったが、印鑑及び銀行の貸金庫の鍵を肌身離さず持つ等、金銭に対する異常な執着心が在り、そんな母親に耐えられなかった長兄は、家庭内暴力を繰り返す様になる。
長兄の家庭内暴力から逃げる様な形で、昭は慶應大学の経済学部に進学。優秀な彼は軈て1歳年下の女性と交際を始めるが、知人から「彼女は複数の男性と同時に付き合っており、昭も其の内の1人に過ぎない。」事を聞かされ、ショックで自堕落な生活を送る様になる。
就職した中堅証券会社では、客の金を使い込んでいる事が明らかとなり、入社から僅か約2ヶ月で首に。使い込んだ金を返すべく、解雇から約1ヶ月後、仲間2人と共に「メッカ」で殺人事件を起こしたのだった。
逮捕当初、「唯、ノット・ギルティ(無罪)を主張するだけです。」と英語交じりで話していた彼も、遂には犯行を自供。裁判を経て、事件から約16年後の1969年12月9日、40歳となった昭は死刑に処された。
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「バー・メッカ殺人事件」も、アプレゲール犯罪の1つとされる。事件発覚の発端となった「天井からの血の滴り」は63年前の今日、即ち「1953年7月27日」の事だった。