長門裕之氏が亡くなられた。「今年2月に脳出血で倒れて病院に入院したものの、其の後に自宅でリハビリ生活を送られている。」という話は一部報道で目にしていたが、回復に向かわれているものと許り思っていた。享年77歳は若過ぎる。
長門氏と言えば、幾つかの“顔”が思い浮かぶ。1つは「役者としての顔」で、個人的には大映テレビ制作のドラマ、所謂「大映ドラマ」で演じた役々が特に印象深い。最初に見たのは赤いシリーズの第2弾「赤い疑惑」(動画)での相良雅之教授役だったが、保身を第一に考える嫌な役だった。大映ドラマでの彼の役所と言えば、そういった嫌な人物許りだったと思う。
「タレントとしての顔」で言えば、「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」や「ミュージックフェア」。特に前者の「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」では、御調子者という彼の地の姿が垣間見られたもの。
「日本プロ野球名球会の象徴」が“カネやん”で在り続けたとするならば、長門氏には「昭和九年会の象徴」、即ち「昭和九年会の顔」というイメージが自分には在る。同会のメンバーだった坂上二郎氏が、2ヶ月前に亡くなられた許りというのに。「昭和」という時代が、益々遠ざかってしまった様に感じる。
そして長門氏を語る上で絶対に外せないのが、妻・南田洋子さんとの「鴛鴦夫婦としての顔」だろう。確り者の南田さんが御調子者で脱線が多い長門氏を、母親の如く見守っていた。「嘸や気苦労が多い事だろうなあ。」と、南田さんに同情する事も屡。特に「暴露本騒動」の時は、気の毒でならなかった。
そんな確り者の南田さんが認知症を罹患し、幼児の様な姿を見せているのを知った時には涙が。「女優として、そして1人の人間としての南田さんが他者には見せたくなかったで在ろう姿」を“公開”した長門氏には批判の声も少なく無かったけれど、小心者な面が見受けられた彼としては「1人で全てを抱え込むのは、とても耐えられない。」という気持ちが在ったのではないかと感じている。
「此の人は、1人じゃあ何も出来ないから。」と2年前に亡くなった南田さんが、長門氏を“同じ世界”に呼び寄せたのではなかろうか。そんな気がしてならない。合掌。
「だめおとこ」・・・長門氏の喩えとしては、非常に適切に感じます。唯、「駄目男」と全て漢字で書くのでは無く、「ダメ男」と片仮名交じりの表記が相応しいでしょうね。憎々しさしか無い様な「駄目男」では無く、愛嬌をも感じさせる憎めない「ダメ男」といった感じかと。
幼少期に弟の津川雅彦氏は母親から溺愛されていたのに、長門氏は疎んじられていたという話は見聞した事が在ります。又、芸能界入りした際にはパッと脚光を浴びたものの、其の後にデビューした津川氏に結局は“追い抜かれてしまった”という所も在り、そういった事で屈折した思いを抱えていた事が、逆に過剰な迄のサービス精神(「人から嫌われたくない。」という思いが強過ぎた結果。)を長門氏に植え付けたのかなあという感じが。そんな長門氏を「我が子を愛おしむ母親の目」で見守っていたのが、南田さんだったのではないでしょうか。
色々在ったけれど、傍目からは「羨ましい程のベスト・カップル」だったと思います。今頃は天国で南田さんに甘えているのではないでしょうか?其れとも怒られているかも。
良くも悪くもダメ男、お調子者、、山師、活動屋、いろんなものを体現していましたね。女性関係、兄弟関係については子供のときに母親に無視されていたこと(ただし弟は溺愛)が大きかったのかなあという気が。
南田さんの度量の大きさに甘えた挙句にああいうことがあったけど、最後は今にして思うと良かったのかなと。
認知症の方を見送った人、施設に入れるなどして気持ちが落ち着いた人はなぜか皆「ばあちゃん(じいちゃんというケースは案外とないのだなあ)は何もわからないようになったが、菩薩様のようになった」というようなことを言いますね。長門さんもそう思ってたのではないかなあ。