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「『小中学生に携帯電話持たせるな』教育再生懇提言へ」(5月17日、朝日新聞)
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日、子供を有害情報から守る為に「小・中学生に携帯電話を持たせない。」との提言を、今月末に纏める中間報告書に盛り込む方針を決めた。強制力は無いが、保護者を始め社会に対するメッセージとする狙いが在る。
懇談会は16、17両日の会合で中間報告案を討議。携帯電話の有害情報対策としては、小・中学生に携帯電話を持たせない事を原則とした上で、業界に「(1)通話と居場所確認機能に限定した小・中学生向け携帯の開発を求める。」、「(2)閲覧制限の機能を付ける事を法的に義務付ける。」との案を了承した。担当の山谷えり子首相補佐官は「持たせない、といっても強制は出来ない。懇談会からの教育的メッセージだ。」と説明している。
内閣府が昨年3月に実施した調査では、小学生の31%、中学生の58%、高校生は96%が携帯電話やPHSを使っているという。福田首相は15日、記者団に「携帯電話の必要性が子供の場合、それ程在るとは思っていない。寧ろ有害情報といった様な事を心配した方が良い。」と語っている。
懇談会では、政府が策定作業を進めている教育振興基本計画に付いて、教育への公的支出を増額する数値目標を盛り込むよう、週明けに緊急提言する事も決めた。
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“最悪な首相”の下で、必要性を感じ得ない「有識者会議」が増産された。得てして中身の無い人程、この手の権威付け組織に依存したがるものだが、昔からエキセントリックな言動が目立つ山谷えり子女史を筆頭に“アレ”な人達が少なからずメンバーに選ばれ、“アレ”な発言が相次いでいた「教育再生会議」も、個人的には必要性を感じ得ない対象。それ故に福田康夫氏が首相に就任した際、「有識者会議が多過ぎるので、大幅に整理したい。」という趣旨の発言には賛意を表した。教育再生会議も廃止対象と思っていただけに、“看板”を掛け替えて存続していたのは驚きだった。
今回の「小・中学生に携帯電話を持たせない。」という提言も、この部分だけを見ると「又、“アレ”な事を言ってるなあ。」としか思えないのだが、良く良く内容を読むと共感を覚える部分が無い訳では無い。
自分が子供だった頃に比べると、親と子供の関係は“友達化”して来ている様に感じる。厳格過ぎる親というのもどうかと思うが、「子供からの要求を盲目的に受け容れる事が愛情。」と勘違いしている親はもっとどうかと思う。欲しい物をなかなか買って貰えなかった子供時代、その事が非常に悔しくも在った。しかし今にして思えば「子供の頃より何でもかんでも買い与えられていたら、満足出来るハードルが高くなり過ぎて、大人になった時に自己制御し難い体質になっていたかも。」と。だから「○○ちゃんも持っているから、携帯電話が欲しい。」という理由“だけ”で買い与えるのは反対。
しかし「共働き家庭の増加」や「塾通い等により子供の帰宅時間が遅い」、「子供を狙った犯罪の増加」等、子供を取り巻く環境を考えると、小・中学生に携帯電話を持たせるというのは仕方ないと思う。唯、「社会経験に乏しい子供達を有害情報から守る。」のは大人の責務故、「業界に対してその対策を求める。」という案に付いては間違っていない様に考える。まあ、どれだけ大人が有害情報を排除しようとしても、好奇心旺盛な子供達はそれを掻い潜ってアクセスしようとするのは、自分が子供だった時分から何等変わってはいないと思うが。
「『小中学生に携帯電話持たせるな』教育再生懇提言へ」(5月17日、朝日新聞)
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日、子供を有害情報から守る為に「小・中学生に携帯電話を持たせない。」との提言を、今月末に纏める中間報告書に盛り込む方針を決めた。強制力は無いが、保護者を始め社会に対するメッセージとする狙いが在る。
懇談会は16、17両日の会合で中間報告案を討議。携帯電話の有害情報対策としては、小・中学生に携帯電話を持たせない事を原則とした上で、業界に「(1)通話と居場所確認機能に限定した小・中学生向け携帯の開発を求める。」、「(2)閲覧制限の機能を付ける事を法的に義務付ける。」との案を了承した。担当の山谷えり子首相補佐官は「持たせない、といっても強制は出来ない。懇談会からの教育的メッセージだ。」と説明している。
内閣府が昨年3月に実施した調査では、小学生の31%、中学生の58%、高校生は96%が携帯電話やPHSを使っているという。福田首相は15日、記者団に「携帯電話の必要性が子供の場合、それ程在るとは思っていない。寧ろ有害情報といった様な事を心配した方が良い。」と語っている。
懇談会では、政府が策定作業を進めている教育振興基本計画に付いて、教育への公的支出を増額する数値目標を盛り込むよう、週明けに緊急提言する事も決めた。
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“最悪な首相”の下で、必要性を感じ得ない「有識者会議」が増産された。得てして中身の無い人程、この手の権威付け組織に依存したがるものだが、昔からエキセントリックな言動が目立つ山谷えり子女史を筆頭に“アレ”な人達が少なからずメンバーに選ばれ、“アレ”な発言が相次いでいた「教育再生会議」も、個人的には必要性を感じ得ない対象。それ故に福田康夫氏が首相に就任した際、「有識者会議が多過ぎるので、大幅に整理したい。」という趣旨の発言には賛意を表した。教育再生会議も廃止対象と思っていただけに、“看板”を掛け替えて存続していたのは驚きだった。

今回の「小・中学生に携帯電話を持たせない。」という提言も、この部分だけを見ると「又、“アレ”な事を言ってるなあ。」としか思えないのだが、良く良く内容を読むと共感を覚える部分が無い訳では無い。
自分が子供だった頃に比べると、親と子供の関係は“友達化”して来ている様に感じる。厳格過ぎる親というのもどうかと思うが、「子供からの要求を盲目的に受け容れる事が愛情。」と勘違いしている親はもっとどうかと思う。欲しい物をなかなか買って貰えなかった子供時代、その事が非常に悔しくも在った。しかし今にして思えば「子供の頃より何でもかんでも買い与えられていたら、満足出来るハードルが高くなり過ぎて、大人になった時に自己制御し難い体質になっていたかも。」と。だから「○○ちゃんも持っているから、携帯電話が欲しい。」という理由“だけ”で買い与えるのは反対。
しかし「共働き家庭の増加」や「塾通い等により子供の帰宅時間が遅い」、「子供を狙った犯罪の増加」等、子供を取り巻く環境を考えると、小・中学生に携帯電話を持たせるというのは仕方ないと思う。唯、「社会経験に乏しい子供達を有害情報から守る。」のは大人の責務故、「業界に対してその対策を求める。」という案に付いては間違っていない様に考える。まあ、どれだけ大人が有害情報を排除しようとしても、好奇心旺盛な子供達はそれを掻い潜ってアクセスしようとするのは、自分が子供だった時分から何等変わってはいないと思うが。

ただ、本文でご指摘されている「親子関係の友達化」ですが、四六時中はよくないですが、そういった感覚で会話する部分も必要ではないかと考えています。
子供に携帯を与えて関心したのは、機能を使いこなすのが早いことです。自分の携帯も子供にいろいろと設定してもらいました。
個人的には携帯を使用禁止にすべきなのは、「一定の年齢に達していないこと」ではなく、「公共での使い方が理解できない人間」です。電車に乗った際に使用禁止にしたい「大人」がたくさんいます。
こういう御時世ですから、犯罪者から子供を守るという意味合いで携帯電話を持たせるのは時代の趨勢の様に自分も思います。
「親と子供の友達化」に付いては、子供が心を開いて何でも話してくれる関係というのは凄く良い事だと思うのですが、問題なのは親と子供が同一化してしまっている点の様に思うんです。子供が明らかに問題行為を為していても、子供から嫌われたくないからと叱れない。逆に「何で(子供の行為が)悪いのか!」と逆切れする親も居る有様。子供が悪いというよりも、幼児化してしまった親が増えているというのが問題かと。
o_sole_mio様の家庭の様にきちんと“ルール作り”をされているケースは良いのですが、「今月の携帯電話料金、2万円越えちゃったよ。」なんて電車で中学生位の子が話しているのを耳にすると、「そりゃあ使い過ぎだろ。自分で稼いだ金でなら構わないけど、そうじゃないんだから親がきちんと管理しないと。」と余計な御世話乍ら思ってしまいます。何でもかんでも思うが侭の生活を小さい頃から送っていると、大人になってから満足出来るハードルが高くなり過ぎて苦労すると思うんですけどね。
「道を歩き乍ら携帯電話でメールを作成していて、人にぶつかっても謝罪しない。」、「相手の目を見ずに、只管携帯電話の画面に目を遣り乍ら話す。」等、これは携帯電話云々の問題では無く、マナーがなっていない人(子供に限らず。)が多いのも困った物。
小学校ぐらいの子は家族との外出中にもどっか勝手に行ってしまいますから…。
あ、そういうお父さんもいますけどね。買い物中ついつい家族から離れてどっかへ行ってしまう、といえば
まあ一長一短があります。
息子の幼少時は「ファミコン」の全盛期。
我が家は「目が悪くなる」と買わない意向を示していたのですが、よその子の家に遅くまで入り浸るようになったというのと、
見かねた我が実父がクリスマスに買ってきまして。
目が悪くなるより前にテレビが壊れたという弊害はありましたが、ファミコンを買い与えない、テレビもNHK以外見せない(昔はいましたネー)厳格な家庭のお子さんは成績は良いがやや協調性に難あり、の評価の子が多かったということを考えると、まあ不承不承ではありますが、買ってよかったか、とは思いました。
甘いといわれればそれまでです。ハイ。
しかしファミコンのおかげで内気だった子が「ファミコン名人」と人気者になったという話もあり、害ばかりではなかったな、というのが25年後の感想です。
ま、時代は廻る、デス。流行り物はまず、短所ばかりをあげつらわれて叩かれます。
物事には長所も在れば同時に短所も在る訳で、一方向だけから論じるのも妙な物では在りますね。哀しいかな“変な大人”が増えてしまい、そんな連中から子供達を守る為に携帯電話を持たせるというのも仕方ない御時世かと。唯、絶えず携帯電話と向き合ってメールを送受信していたり、(これは前に書いた事ですが)目の前に居る人間とメールで“会話”し合っているのを見たりすると、「流石にこれはヤバイんじゃないの?」と感じてしまうんですよね。
赤い三角定規様の御子息と同様、自分も結構良い歳でしたがファミコンに嵌っていました。上で偉そうな事を書きましたが、良く考えてみればあの頃は朝から晩迄ファミコンやってましたね。
というのなら通話だけのタイプでも
充分なのでは?
「昔と違って、物騒な世の中だ」と持たせる派から意見がありそうですが
仮に今、携帯電話初期のように
「加入に10万、基本使用料毎月2万円」という高額な料金なら、持たせないでしょう。
そういえば昔は、公衆電話から塾帰りのガキんちょが家に電話していました。
その時はそれで事が足りていたわけですから・・
効用と失われるもの、両方を見て
身のある使い方を模索して欲しいものです。
そんな気がします。
あんな小さな機械に左右されない、振り回されない、もっと大きなステキな秘密をいっぱい持って大人になれ。とも。
でも、現実に起きる痛ましい事件にケータイが絡んでくると踏むつぶして壊したほうがいいんじゃない?とか勝手に思ってしまう。
「小・中学生に携帯電話を持たせない。」という原則を掲げる一方で、「業界に対して『通話と居場所確認機能に限定した小・中学生向け携帯の開発を求める。』」とした所に、“アレ”さばかりが目立つ教育再生会議(→教育再生懇談会)を今回は一寸評価したい部分なんです。犯罪者&有害情報から子供達を守るという観点から言えば、通話機能に特化させた携帯電話で在れば大分今よりはましだと思いますし。
今の子供達に携帯電話を持たせるのは致し方ない事と考える理由の一つに、「我々が子供だった時分、どうしても連絡を取りたい場合に利用していた公衆電話が、消滅しかかっているという現状。」が在ります。時代と共に消えて行く物が在る一方で、新しく生まれて定着して行く物も在る。携帯電話もその一つではないかと思われ、子供達にメリットを与える部分は残し、デメリットの部分は極力削ぎ落として行くというのが、現実的な解決策なのかなあと。
心に傷を負った4人の少年達が、行方不明になっている少年の死体を発見して“英雄”になるべく、秘密裏に旅に出る。大人眉を顰める様な出来事に直面し続ける中で、彼等は“大人の階段”を上って行く。自分が好きな映画の一つ「スタンド・バイ・ミー」には、おりがみ様が指摘されておられる様に、大人達には秘密の経験を抱えた少年達が、知らず知らずの内に成長していく姿が描かれていましたよね。
今になってみると幼年期には、大人に内緒で危険な事をしていたなあと思います。有害情報と称される様な物にも、好奇心からアクセスしていましたし。
子供に嫌われたくないと、“悪い意味で”親が子供に迎合している姿勢を「親と子供の友達化」と記したのですが、正確に言えば「親の幼児化」というのが正しいかもしれませんね。o_sole_mio様や薔薇様が書かれている様に、親が友達とザックバランに話せる関係自体は良い事だと思うんです。唯、ザックバランに話したいからという理由で、親が子供に迎合するのは良くないですよね。
「『差別に繋がるから。』という理由から運動会の駆けっこで順位付けをしない学校が増えているらしいけれども、社会に出たら激しい競争が待っているのだから、過ぎた“純粋培養”は子供達にとって必ずしも良い事とは思えない。」と、以前記事にしました。純粋培養で育った故に、社会に出てからのギャップで悩んでいる者が少なくないという話を良く耳にしたからですが、「有害情報だから全てを隔離する。」というのも同じ事なのかもしれません。唯、現在のインターネット世界で飛び交っている情報の中には、度の過ぎた有害情報が目立つの事実。そうなると、或る程度の規制は仕方無い気もするんですよね。親がしっかりチェックするにしても限界が在る様に感じますし・・・。