12月に突入。今年も、残り1ヶ月を切ってしまった事に。月日の経つスピードが、年々速くなって行く様に感じる・・・。
消しゴム版画家のナンシー関さんは、大好きなコラムニストの1人でも在った。「著名人に対する非常に辛辣だけれども、的確且つ鋭い指摘。」が実に心地良かったので。彼女が亡くなって10年が過ぎ去ったが、今でも「彼女が存命だったら、此の人(又は、此の出来事)に対して、どんな指摘をしただろうか?」と思ってしまう事が良く在る。
そんな彼女が「NHK紅白歌合戦」(動画)に付いて、或る指摘をしていた。「紅白歌合戦が駄目になってしまった要因」の1つとして、「“チータ”(水前寺清子さん)を出場者から外してしまった事。」だと。マンネリだ何だと批判され続けていたけれど、紅白歌合戦を見ていた視聴者の中には「紅白歌合戦で元気に張り切るチータ」を心の何処かで期待している人が少なくなかった筈と言うのだ。「出場歌手の歌を、老若男女全て口遊める紅白歌合戦。」という時代の“象徴”として、ナンシーさんはチータを取り上げた訳だが、此の指摘は腑に落ちる所が在る。
子供の頃、大晦日の夜は家族全員が炬燵に入り乍ら、紅白歌合戦を見るのが常だった。「日本レコード大賞」、「NHK紅白歌合戦」、そして「ゆく年くる年」を見るという流れが、当時は“多くの家庭に於けるコモン・センス”だったと言って良いだろう。
紅白歌合戦では、流行りのアイドル達が登場すると真剣に見ていたけれど、村田英雄氏や三波春夫氏、菅原洋一氏、美空ひばりさん、島倉千代子さん等のヴェテラン歌手が登場する時間帯は「詰まらないなあ。」と思っていた。でも、「詰まらないなあ。」と思ってはいたけれど、彼等の歌は空で歌えたから、チャンネルを変える事も無く、一緒に歌っていたりしたもの。
昔よりも趣味&趣向が格段と多様化した昨今、「老若男女が口遊める歌」というのは生まれ難いのは確かだ。「世界に一つだけの花」(動画)は、稀有な例と言える。
先日、今年の紅白歌合戦の出場歌手が発表されたが、例年以上に知らない歌手が多かった。*1子供の頃に見ていた紅白歌合戦も“(歌の分野の)ごちゃ混ぜ感”は在ったけれど、“老若男女が口遊める歌”という「軸」により、辛うじて纏まっていた。しかし、近年の紅白歌合戦にはそういった「軸」が見受けられず、“カオス”といったごちゃ混ぜ感に思える。
ヴェテラン歌手の登場に「詰まらないなあ。」と思っていた子供時代の自分だが、今になってみると彼の頃の紅白歌合戦が非常に愛おしく感じたりしているのだから、本当に勝手なもの。
「チータが出場していた紅白歌合戦」から「チータが出場しなくなった紅白歌合戦」へと移行した事で、自分やナンシーさんが感じた“気持ちの変化(喪失感?)”。「今の若い人達の中で、紅白歌合戦を習慣として見ている人。」が何れだけ居るのかは知らないが、今後の紅白歌合戦が変化して行く過程の中で、そんな“気持ちの変化”を感じてしまう人が、果たして多く現れるのだろうか?“カオス”といったごちゃ混ぜ感が支配する今の紅白歌合戦を思うと、少なそうな気もするが・・・。
*1 ムード歌謡と共に演歌が大好きな人間故、近年の紅白歌合戦で“知っている新しい演歌”が皆無に等しいのは残念でならない。
多分、「インテリが好きそうな歌手」という印象を持っていたんでしょう。
確かにある一定の年齢より上の人って、インテリで社会階層が上の人って、聞く音楽=西洋のクラシック。せいぜい「レベルを落として」、オペレッタ(ヨハン・シュトラウスとか)、軽音楽(ジャズとか)、シャンソン、西洋民謡で、父親タイプの人間が好きな歌謡曲、民謡、ロカビリーは蔑視する傾向があった。多分、そういうのを感じていたからこそ、なんとなくかろうじて紅白におけるインテリ向けの菅原洋一が鼻について大嫌いだったようなんです。
ある年、その菅原洋一が歌詞を間違えたとき、父親は鬼の首を取ったように「ざまみろ、これで来年はないわ」と言ったんです。本当に次の年落選でした。
しかしあの頃に比べると今は議員や大学教授がロックバンドをやる。いや、むしろロックは50代以上が好む音楽かもしれない。一方父親が好きなタイプの歌謡曲は菅原洋一が出ていた最後の頃から既に「中高年向けのなんか偉そうなジジババ歌手が歌ってる」と自分は反感を持っていたりした。
時代は巡るし、ある意味、「インテリが好きな音楽」なんていう社会階層的なものもなくなっていると痛感します。
他者から見ると「何で?」と思ってしまう様な理由で、歌手や曲を嫌う人って居ますよね。“ブルースの女王”こと淡谷のり子さんは、「演歌が大嫌い。」と公言していましたが、其の理由は「陰気臭いから。」と。演歌好きな自分からすると、「そういった情念めいた恨み節が、演歌の魅力でも在るのに。」と思ったもの。大好きな手塚治虫氏も、演歌が大嫌いだったそうです。
http://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%80%8D%E7%A5%9E%E8%A9%B1-%E3%80%8C%E6%BC%94%E6%AD%8C%E3%80%8D%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%A4%A7%E8%A1%86%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%BC%AA%E5%B3%B6-%E8%A3%95%E4%BB%8B/dp/4334035906/ref=cm_cr_pr_product_top
別にこの著者に言われなくても、音楽愛好家であれば歌謡曲の歴史と米国やラテンミュージックとの関わりから1970年代末ごろ成立したかなり新しい物、という認識はあったと思います。大滝詠一、小林信彦両氏もさんざん昔から言ってますし。
そして今、もう50代や60前半の会社の幹部はカラオケで演歌を歌うような人はいないんですよ。20年ぐらい前だと営業で演歌歌わないと怒られたのに、(今そんな機会はないんだけど)、今は逆に演歌歌うとちょっと浮いちゃう。60前半のその手の人は基本インテリ系だからフォークや洋楽ロックポップス、ジャズのほうが好きだった人たちなんですよね。50代だと完全にニューミュージックの時代の人たち。
もう殆どの人は演歌を「日本の心」だなんて思ってないかもしれない。そんな気分にここ数年なっています。うちの親は、紅白で演歌の時間になると風呂に入りに行く。スマップと嵐のほうを見逃すまいとして、見ながら「かわいらしい」と喜んでいる。音楽性は特にどうでも良いようです。
逆にむしろ今では日本の心は唱歌とかフォークでなら世代間問わず共有しやすいかもしれません。
私自身は民謡が実は一番好きですが、演歌とフォークは嫌いでした(今もかな)。いしだあゆみとかピンキーとキラーズとかポップス歌謡曲やサーカス、ハイファイセットらニューミュージックは好きでした。ユーミンは声と歌がまずいので嫌いで、ハイファイセット版なら聞けると思っていました。ムード歌謡は嫌いとか好きではなく子供なので興味の外でしたが、今聞くと「フランクの低音」など良いですね。
御紹介戴いた本の概要を拝見しましたが、確かに演歌の歴史ってそんなに長い物じゃないんですよね。其の源流を遡れば朝鮮の歌謡に行き着くのだろうし、其れを含めればもっと長くはなるのだろうけれど、少なくとも日本に於ける演歌の歴史という事で在れば50年程ではないかと。
個性的な歌い方をする歌手が少なくなった昨今、フランク永井氏の低音の歌声は、一発で彼と判る物でしたね。