先ずは、2年前の記事「一旦“立ち止まって”考える」から抜粋した文章を下記する。
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自分(giants-55)よりも年上で、教職に就いている知り合いが居る。劣等生の自分とは異なり、誰もが知る超有名な大学を出た人間だ。そんな彼と昨年、久し振りに会った際、話の中で唐突に「近年、日本のマスコミに大量の在日朝鮮人が採用され、捏造報道を後押ししてるって知ってる?」と言い出した。心の中で「あちゃー、ネット右翼化しちゃったのかよ。」と思ったものの、彼は真顔で話しているので、“冷静に”「へー。でも、『マスコミに大量の在日朝鮮人が採用されている。』って根拠は?」と聞き返した所、「マスコミに知り合いが居るんだけど、彼がそう言ってたから。」と答えたのだった。
「でもさあ、近年増えているんだよね?近年って事だったら、個人情報保護法の関係も在り、そういった個人情報の管理は非常に厳しい筈。何で其の人は、“大勢”採用されているっていうのが判ったんだろうね?」と皮肉を込めて聞いた所、「うっ・・・。」という感じで黙ってしまった。そして、暫くしてから「『2ちゃんねる等に、そういう“真実”が一杯書かれていたのを見た。』って言ってたから。」と。
何を信じ様が個人の勝手だが、自分の頭で考えるという作業を怠っている様では、何の説得力も持ち得ないだろう。教職に就いている人間ですら、「与えられた情報を鵜呑みにせず、一旦“立ち止まって”考える。」という習慣付けが出来ていない事に、眩暈がする思いだったのは言う迄も無い。
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此れも過去の記事の中で記したと思うのだが、知り合いの知り合いにAさんという高齢者が居る。頭は良い方だと思うのだが、兎に角、“社会的に弱い立場の人達”を目の敵にしており、折に触れてそういう人達を嬉々としてバッシングする所が元々在った。そんなAさんは半年位前、家族から「面白いよ。」と“インターネットでの検索方法”を教えられたのだが、以降は知り合いに会う度「ねえ知ってる?有名人のXXって、在日朝鮮人なんだってよ。」、「〇〇に住んでいる人達は“皆”、不正に生活保護費を受給しているのよ。」、「日本のマスコミには、大量の在日朝鮮人が採用されているんだって。だから、捏造報道が多いのね。」等と言い出したのだそうだ。
恐らくは5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)や極右系サイトに書き込まれた情報を読んで盲信し、其の儘口にしているのだと思われる。少しでも考えればデマだと判る内容なのに、「社会的に弱い立場の人達をバッシングするのが好き。」という癖が在るAさんにとって、「情報が事実か否か?」なんてどうでも良く、「其の情報が、バッシングに使えるか否か?」が重要なのだろう。
昨年辺りから、「ポスト・トゥルース」という用語を良く見聞する様になった。「世論形成に於て、客観的な事実より、虚偽で在っても個人の感情に訴える物の方が、強い影響力を持つ状況。」を意味する。上記した教職に就いている知り合いやAさんの様に、思考する事を放棄した様な“無思考者”は概して、ポスト・トゥルースを心地好く感じ、どっぷりと浸ってしまう傾向が在る様に感じる。そして、そういう人達に“理論的な反論”をすると、全く無根拠に「在り得ない。」という言葉が返って来たり・・・。
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「古舘伊知郎が『意識高い。』と茶化す風潮に声荒らげる『何からかってんだ!』」(11月19日、トピックニュース)
18日放送の「おしゃべりオジサンと怒れる女」【動画】(テレビ東京系)で、古舘伊知郎が、他人の努力を「意識高い系」とからかう風潮に怒りの声を上げた。
番組では、音楽グループ・アカシックのヴォーカルで在る理姫がゲストで登場し、「他人の努力に狡いと言ってくる奴」に対する怒りを明かした。
理姫は過去に、目上のミュージシャンから「凄く良い曲でした。」、「アカシック格好良いんだよ!」等と褒められた事が在ったそう。だが、此れをSNSに綴った際に「狡い。」等と批判する人が居たと言うのだ。
理姫が「全く何の努力もしないで、其の人(目上のミュージシャン)に会えた訳でも無い。」と不満を漏らすと、古舘も「人が頑張っている物を、(現在は)茶化す傾向に在ると思うんですよ。」、「攻撃もするけど、手前で茶化すっていうかね。」と同調する。
続けて古舘が、ジョギングを例に取って、現在の風潮を説明する。ジョギング中に知り合いに出会った場合、昔は労いの言葉を貰ったが、今は「毎日、自分磨き遣って、頑張ってんだ。随分、意識高い系?」と言われるだろうと言うのだ。
他人の努力を「意識高い系」と茶化す事に付いて、古舘は「素直に『立派だね。』と言いたくない。」心理が働いていると指摘。更に「『意識高い系』って、『何からかってんだ、御前?』と思う訳よ。」と声を荒らげていた。
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理姫さんや古舘氏の場合は、“頑張っている人を茶化す風潮”に付いてだが、「思考する事を放棄し、ポスト・トゥルースを心地好く感じ、どっぷりと浸ってしまっている人達に対し、論理的な反論をした場合。」も、茶化した物言いで返して来る傾向が結構在ったりする。自身が全く考え無いで口にしている事を自覚しており、論理的な説明が出来ないから茶化すのか、又はそういう自覚すら出来ず、考える事自体が面倒で茶化すのかだろうが、こういう風潮が強くなる事は、結果的に国を傾かせる方向に向かわせると懸念する。
昔風に言えば硬派は敬遠されるということでしょうか。
自分でものを考えないと言えば、中学生の頃同級生と議論した時のことを思い出しました。
ある事象について議論が平行線をたどり、彼が私の言葉を信じていないと感じたので、「これこれこういう本にも書かれている」と言ったとたんに、この議論は決着。
彼が「本」という権威に従順だったのか、単に私が信用されていなかったのか、永遠の謎ですが(苦笑)。
マスコミの情報よりネットの書き込みの方が信用されるという現象が、今社会問題化していますが、根底には誰しも自分の考えに近い情報だけを受け取ることの心地よさがあるのでしょう。
多方面からの情報を得る努力はしていても、自分の嗜好に都合よく解釈して理解すると、結局は「思考しているが理解していない」ということもあるかもしれませんね。
古くからの友人で数少ない「親友」と呼べる人物がいますが、彼は若い頃から右志向、私はどちらかと言えば左志向。
気の利く思やりのある好人物なのですが、政治向きの話題になるといつもぶつかっていました。
その彼と数年前に久しぶりに会う機会がありましたが、いきなり南京大虐殺や従軍慰安婦問題はねつ造だ、と話題を向けてきたのにはびっくり。
彼もいろんな本を読み自分でもいろいろ調べたうえでの結論らしいのですが、一度固く信じ込んでしまうと疑問を投げかけても、それは私が左翼思想に洗脳されている、ということになるらしい。
一度頭の中を真っ新にして、どちらが理にかなった考えかを検証すれば、おのずと結論は見えてきそうな気がするのですが、それが難しい。
宗教間の争いと通じるところがあると感じ、話題をそらしましたが、人間って厄介な生き物です。
「『本』という権威」と似ているのですが、記事内で紹介した教職に就いている知り合い」も同様でした。「マスメディアには云々」の話をした際、「此れは、東大出身でマスメディアに携わっている人間から聞いた話。」と言っていたからです。自分からすれば充分優秀な学歴を有しているのに、彼には学歴に対する異常なコンプレックスが在る様で、自分よりも最終学歴が低い過去の友人とは一切連絡を絶ち、逆に最終学歴の高い人間の主張は無条件で信じ込む所が。
「ポスト・トゥルース」の世情がトランプ大統領を生み出したのか、将又トランプ大統領が就任したからそういう世情が生まれたのか。
此の前の衆院選前に立憲民進党が旗揚げした際、同党のツイッターに大量のツイートがされた事が報じられましたが、其れに対し百田尚樹氏は「立憲民進党は、金でツイートを購入しており、“作られた支持者”だ。」といった趣旨の主張をツイッターでしていました。そんな事をしても大して意味は持たないし、抑、同党にはそんな資金も無い。蓋を開けてみれば、同党は大躍進し、“リアルなツイート”で在った事が明らかになったと言って良い。なのに、百田氏は此の件に関して黙りを決め込んでいる。以前より、彼には此の手のデマを飛ばし捲る癖が在るのに、そういうのを無条件で信じてしまうアレな人達が多いのも事実。困った物です。
南京大虐殺、中国が主張する様な犠牲者数が居たとは自分も思えないけれど、極右の人達が概して主張する「一人たりとも殺していない。」的な話も荒唐無稽。「捏造」というのが「~の理由から、そんなに犠牲者数多く無い。」というのなら理解出来るけれど、「全くの零。」というのでは・・・仮にアメリカの知識人が「広島や長崎に原爆なんか落とされていない。アメリカが落としたというのは捏造だ!」と口にしたら、日本人はどう思うか?朝日新聞の明らかな捏造は批判されて然る可きだけれど、だからと言って「朝日新聞の報道は、“全て”捏造!」とするのは違うと思う。是々非々で判断しないと、結局は為政者にとって都合の良い環境作りに利されてしまうだけ。
件の友人の言う「捏造」とは、
南京大虐殺はなかった。従軍慰安婦は強制連行ではなく、日本人も含めみな売春婦だった。日本兵は皆紳士的だったし、朝鮮人は一部特権階級「両班」以外は文盲だったのを、日本が国費で日本人と同じように教育してあげたのに、いま恩を仇で返されている。
との主張だったので、彼のますますの右傾化ぶりに驚いた次第。
確かに当時でも日本の文盲率の低さは世界で飛びぬけていたようだし、400年続いた李氏朝鮮の国情を見れば、日本政府の国策で朝鮮人を身分の上下なく教育したというのは確かだと思います。
ただし納得し同意できたのはそこまで。
本やマスメディアの情報、又聞きだけでなく、実際に中国戦線に新兵として従軍した経験のある人から直接聞いた、日本兵の現地人に対する残虐行為を聞き知っているだけに、日本兵が皆紳士的だったという彼の一言に耳を疑ったものです。
日本人と一括りにいっても、人品高潔な人もいれば平気で殺人をする人もいる。それはどこの国のどの民族でも同じでしょ、と言っても通じないのが悲しかった。
一流の指導者というのは、そうしたマナーに対する意見を言う以前に、すでに出来ているものでしょう。一流の部下にすれば、何をいまさら、と感じるものですが、得てして、ブラック企業や、ならずもの国家に仕えている人材というのは、自分の正当な価値にも気付かないもの。
あまり他国の悪口を言いたくないですが、事実は事実として、議論を提唱する事は良いと思います。対話そのものを否定する、という、幼稚じみた行為は、一流の指導者からは生まれないでしょう。
南京事件、と敢えて呼びますが、指導者は東京裁判で責任を取らされ、事実を知る者は、当時の兵隊たちでしょう。黒歴史を語りたくない、というのも分かりますが、隠蔽は無責任で、日本の為、国益の為には、語る事が最も重要だと思います。でないと、責任を取った戦犯、とされる人達にも、申し訳が立たないと思います。ブラック企業にも、独裁国にも犠牲になるのは、人権を無視する行為に耐えきれないプライドのある人達だと思います。そういう人々は、思考するがゆえに、声を上げるのだと思います。そして、精神論、イデオロギーは、しばしば過激化して、思考を奪うのです。労働者をポンコツ、呼ばわりというのも、ブラックならではでしょう。昔は平気でしたが、ブラック企業で働くのは嫌ですね。
件の御友達、日本という国が大好きなんでしょうね。自分も日本が大好きなので気持ちは判らないでも無いけれど、“捻じれた愛国心”というのは“真実から目を逸らす行為”以外の何物でも無い。「“日本にとって不都合な事柄”は、無根拠に全て捏造と断じ、逆に“日本にとって好都合な事柄”は仮令捏造で在っても、全て事実とする。」というのが、此の手の人達に良く見られる特徴。
以前、此の手の発言をされる著名人が語っていたのだけれど、「日本軍は1兵たりとも、残虐な行為はしていない。何故そう断言出来るのかと言えば、自分の父親と伯父は兵士として海外に出兵したけれど、そんな行為を働く日本兵を“部隊”で見た事が無いと言っていたから。」と。仮に其の話が事実だったとしても、其れは“彼等が従軍した部隊に限っての事実”で在り、其れを全ての部隊、即ち日本軍として捉えるのは、理屈に合わない事だと思うんです。極左や極右の人達って概して「全部が」とか「皆」とか十把一絡げで語る。「部分」ではそうかもしれないけれど、「全体」だと違う様相を持つ事は良く在る話。中国が主張する“白髪三千丈的批判”には全く賛成出来ないけれど、従軍した日本兵の中からも少なからずの証言が在り、其れを「捏造!」と断じてしまうのは、どうにも説得力が無いと思います。
そういう意味で、悠々遊様の今回の御指摘、全く同感です。近年、「愛国心というのを、日本に不都合な事柄は、無根拠に『捏造』と指摘する事。」と勘違いしている様な自称・愛国者が多い。本当の愛国者とは、「日本にとって不都合な事柄で在っても、事実ならばきちんと認め、其の上で日本を愛する者。」ではないかと。
「為政者が、自分達に都合の良い事許りを取り上げ、歴史的事実に背を向ける。」というのは、仰る様に指導者の劣化だと思います。唯、同時にそういう指導者を有り難がって(高支持率を与えて)戴いている国民というのも、又、劣化しているのではないかとも。
過去に何度か書いているのですが、「戦争というのは、多くの“敵”を殺す事が評価される“異常な状況”。」だと思うんです。平時の常識が通じない状況下で在り、其れが良い事だとは決して思わないけれど、残虐な行為は何処の国でも大なり小なり行われていると考えるのが普通。だから、特定の国だけが「残虐な行為をしたのは許せない!」と延々と批判されるのはどうかとも思うけれど、「事実は事実として認め、又、事実で無いのならば、“証拠”を提示した上で反論する。」というスタンスを守らないと、真っ当な国としては認めて貰えない。日本は国家として過去に「罪」は認めている。でも、其れなりの立場の人間が、「日本は一切悪い事をしていない。」とか「日本兵は1兵たりとも、残虐な行為をしていない。」といった妄言を吐くものだから、其処を突いて来られてしまい、ゴタゴタが繰り返されてしまう。困った物です。