① 自分がホテル側の立場だったら・・・
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「日教組、ホテル使用拒否で教研集会『全体集会』を中止」(2月1日、読売新聞)
日本教職員組合(日教組)は1日、2日から東京都内で開催する教育研究全国集会(教研集会)の内、参加者が一堂に集まる「全体集会」を中止すると発表した。会場に予定していた「グランドプリンスホテル新高輪」(東京都港区)が、東京高裁の会場使用を認める決定を無視して開催を拒んだ為。今回で57回目となる教研集会で全体集会が中止になるのは初めて。
ホテル側は高裁決定に従わない理由として、街宣車等が押し掛ける「警備上の理由」を挙げているが、憲法の「集会の自由」にも反する企業判断に批判が集まるのは必至だ。日教組は、同ホテルに損害賠償を請求するとしている。
日教組は1日午前、会場設営のため同ホテルを訪れて会場の使用を求めたが、ホテル側は改めて拒否、日教組が当初予約を入れていた国内最大級の宴会場「飛天」に別の予約を入れた事を明らかにした。これを受け日教組は対応を検討したが、他の会場が見付からない事から全体集会の中止を決断。同日中に全国の教職員組合等に伝えた。全体集会では、森越康雄・中央執行委員長の挨拶の他、基調報告や記念講演等が計画されており、約2,000~3,000人が参加する予定だった。2日午後の分科会に付いては、都内の各会場で予定通り開催するとしている。
日教組とホテル側は昨年5月に会場の使用契約を結んだが、同11月にホテル側が一方的に契約を解除。日教組が同12月、東京地裁に契約解除の無効を求める仮処分を申請し、東京地裁は今年1月16日に、東京高裁も同1月30日、会場使用を認める決定を出していた。
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最初に断っておくが、自分は所謂“右翼”&“左翼”のどちらの立場にも与する気は全く無い。又、利益団体と化している様な日教組、そして大騒音を立てて街中を街宣車で走り回る右翼団体、この双方に良いイメージが無いのも付け加えておく。
ホテル側の対応を強く支持している人達が、その理由として挙げているのは「ホテルに対して会場予約をした際、借り主が『日教組』で在る事を明らかにしていなかった事。」や「街宣車が押し掛けた為に、ホテル側が拒否したのでは無い事。」、「物々しい警備により、他の利用客に迷惑が掛かる事。」等。最後の理由に関しては納得出来ないでも無いが、前2つの理由はおかしいと思う。
先ず「ホテルに対して会場予約をした際、借り主が『日教組』で在る事を明らかにしていなかった事。」というのは誤りで、「昨年の3月の段階でイベント会社を通じて申し込みをした際には借り主が『日教組』で在る事を示していなかった様だが、その後に『日教組』が借り主で在る事及び街宣車等による妨害活動が予想される事を明らかにした上で5月に契約を結んでいる。」と報道されていた。つまりホテル側は少なくとも契約を結んだ段階で、全て織り込み済みだった事になる。
そして「街宣車が押し掛けた為に、ホテル側が拒否したのでは無い事。」というのも、確かに“今回”は街宣車が押し掛けなかったのかもしれないが、これ迄の全体集会で街宣車が大挙してワアワア騒ぎ立てているのは、我々一般人すらも過去のニュースで散々目にしており、「今回は押し掛けなかったから、ホテル側に圧力は掛かっていない。」とするのは無理が在ろう。
ネット上で書かれた内容に付いて、「それはおかしい。」と異を唱えるのは全く在りだと思っている。しかし「○○でXXというとんでもない内容が書かれているから、皆で嫌がらせの書き込みをしてやれ!」と某巨大掲示板に面白半分に書き込み、皆で集団リンチの如く“炎上”させる遣り方は許せない。日教組という組織に対してどういう思いを持とうが自由だが、妙な“圧力”を掛けてどうこうしようというのはまともな法治国家の在り様では無いだろう。どういう理由が在るにせよ今回のホテル側の決定は、「圧力を掛ければ何でも事が通る。」という無法さを助長させるだけではないか。
とは言え自分がホテル側の立場だったら、会場使用を100%OKしたかどうか難しいのも事実。他の利用客への迷惑も考えてしまうし、トラブルに巻き込まれたくないという心の弱さも在る。
又、「借り主が宗教団体だったら貸したくない。」という思いが在ったりと、個人的な嫌悪感というのも正直完全排除出来なかったりするからだ。でも、裁判所が下した決定に従わないというのはまずいだろうとは思う。
② 三宅の爺さんみたいな教員ばかり選ばれたりして
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「『道徳』に責任教員配置、次期学習指導要領で明記」(2月3日、読売新聞)
文部科学省は現在改定作業を進めている次期学習指導要領で、道徳教育の全体計画と「道徳」の時間の年間指導計画作成の中心となる教員を各小中学校に1人ずつ配置する事を明記する方針を決めた。
政府の教育再生会議が強く主張した道徳の教科化を見送る一方で、道徳教育の充実を図る事で一定の配慮をした形だ。同会議が求めていた偉人伝等を道徳の教材として活用する事も指導要領に盛り込む。
現在の学習指導要領は道徳の時間の年間指導計画に付いて、「校長を始め全教師が協力して作成する。」と規定している。道徳は他の教科と違い教員免許が無い為責任が曖昧になっている面が在り、今回の改定により各校が、責任者となる教員を決める事でより計画的な指導をする事を狙ったものだ。
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学校として道徳教育をするのは悪くないのだが、問題はどういう事を教えて行くかだろう。道徳教育を進めて行く上での責任教員を各小中学校で1人ずつ配置していくというが、一つの方向だけからしか物を捉えられない様な人物が責任教員に選ばれてしまったら生徒達にとって災難極まりない。“三宅の爺さん”やら“『喝!』のおじさん”、果てには“思慮深さが全く感じられず、「美しい国」を連呼するだけだったおじさん”みたいなのが選ばれたら、こりゃあ悪夢だ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_kaze.gif)
右だ左だと訳の判らない主義主張を入れ込まずに、子供達の心が健やかに育成される為には何がベターかを考えて、責任教員は事に当たらないと駄目だろう。
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「日教組、ホテル使用拒否で教研集会『全体集会』を中止」(2月1日、読売新聞)
日本教職員組合(日教組)は1日、2日から東京都内で開催する教育研究全国集会(教研集会)の内、参加者が一堂に集まる「全体集会」を中止すると発表した。会場に予定していた「グランドプリンスホテル新高輪」(東京都港区)が、東京高裁の会場使用を認める決定を無視して開催を拒んだ為。今回で57回目となる教研集会で全体集会が中止になるのは初めて。
ホテル側は高裁決定に従わない理由として、街宣車等が押し掛ける「警備上の理由」を挙げているが、憲法の「集会の自由」にも反する企業判断に批判が集まるのは必至だ。日教組は、同ホテルに損害賠償を請求するとしている。
日教組は1日午前、会場設営のため同ホテルを訪れて会場の使用を求めたが、ホテル側は改めて拒否、日教組が当初予約を入れていた国内最大級の宴会場「飛天」に別の予約を入れた事を明らかにした。これを受け日教組は対応を検討したが、他の会場が見付からない事から全体集会の中止を決断。同日中に全国の教職員組合等に伝えた。全体集会では、森越康雄・中央執行委員長の挨拶の他、基調報告や記念講演等が計画されており、約2,000~3,000人が参加する予定だった。2日午後の分科会に付いては、都内の各会場で予定通り開催するとしている。
日教組とホテル側は昨年5月に会場の使用契約を結んだが、同11月にホテル側が一方的に契約を解除。日教組が同12月、東京地裁に契約解除の無効を求める仮処分を申請し、東京地裁は今年1月16日に、東京高裁も同1月30日、会場使用を認める決定を出していた。
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最初に断っておくが、自分は所謂“右翼”&“左翼”のどちらの立場にも与する気は全く無い。又、利益団体と化している様な日教組、そして大騒音を立てて街中を街宣車で走り回る右翼団体、この双方に良いイメージが無いのも付け加えておく。
ホテル側の対応を強く支持している人達が、その理由として挙げているのは「ホテルに対して会場予約をした際、借り主が『日教組』で在る事を明らかにしていなかった事。」や「街宣車が押し掛けた為に、ホテル側が拒否したのでは無い事。」、「物々しい警備により、他の利用客に迷惑が掛かる事。」等。最後の理由に関しては納得出来ないでも無いが、前2つの理由はおかしいと思う。
先ず「ホテルに対して会場予約をした際、借り主が『日教組』で在る事を明らかにしていなかった事。」というのは誤りで、「昨年の3月の段階でイベント会社を通じて申し込みをした際には借り主が『日教組』で在る事を示していなかった様だが、その後に『日教組』が借り主で在る事及び街宣車等による妨害活動が予想される事を明らかにした上で5月に契約を結んでいる。」と報道されていた。つまりホテル側は少なくとも契約を結んだ段階で、全て織り込み済みだった事になる。
そして「街宣車が押し掛けた為に、ホテル側が拒否したのでは無い事。」というのも、確かに“今回”は街宣車が押し掛けなかったのかもしれないが、これ迄の全体集会で街宣車が大挙してワアワア騒ぎ立てているのは、我々一般人すらも過去のニュースで散々目にしており、「今回は押し掛けなかったから、ホテル側に圧力は掛かっていない。」とするのは無理が在ろう。
ネット上で書かれた内容に付いて、「それはおかしい。」と異を唱えるのは全く在りだと思っている。しかし「○○でXXというとんでもない内容が書かれているから、皆で嫌がらせの書き込みをしてやれ!」と某巨大掲示板に面白半分に書き込み、皆で集団リンチの如く“炎上”させる遣り方は許せない。日教組という組織に対してどういう思いを持とうが自由だが、妙な“圧力”を掛けてどうこうしようというのはまともな法治国家の在り様では無いだろう。どういう理由が在るにせよ今回のホテル側の決定は、「圧力を掛ければ何でも事が通る。」という無法さを助長させるだけではないか。
とは言え自分がホテル側の立場だったら、会場使用を100%OKしたかどうか難しいのも事実。他の利用客への迷惑も考えてしまうし、トラブルに巻き込まれたくないという心の弱さも在る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
② 三宅の爺さんみたいな教員ばかり選ばれたりして
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「『道徳』に責任教員配置、次期学習指導要領で明記」(2月3日、読売新聞)
文部科学省は現在改定作業を進めている次期学習指導要領で、道徳教育の全体計画と「道徳」の時間の年間指導計画作成の中心となる教員を各小中学校に1人ずつ配置する事を明記する方針を決めた。
政府の教育再生会議が強く主張した道徳の教科化を見送る一方で、道徳教育の充実を図る事で一定の配慮をした形だ。同会議が求めていた偉人伝等を道徳の教材として活用する事も指導要領に盛り込む。
現在の学習指導要領は道徳の時間の年間指導計画に付いて、「校長を始め全教師が協力して作成する。」と規定している。道徳は他の教科と違い教員免許が無い為責任が曖昧になっている面が在り、今回の改定により各校が、責任者となる教員を決める事でより計画的な指導をする事を狙ったものだ。
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学校として道徳教育をするのは悪くないのだが、問題はどういう事を教えて行くかだろう。道徳教育を進めて行く上での責任教員を各小中学校で1人ずつ配置していくというが、一つの方向だけからしか物を捉えられない様な人物が責任教員に選ばれてしまったら生徒達にとって災難極まりない。“三宅の爺さん”やら“『喝!』のおじさん”、果てには“思慮深さが全く感じられず、「美しい国」を連呼するだけだったおじさん”みたいなのが選ばれたら、こりゃあ悪夢だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_kaze.gif)
右だ左だと訳の判らない主義主張を入れ込まずに、子供達の心が健やかに育成される為には何がベターかを考えて、責任教員は事に当たらないと駄目だろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
前にもどっかのホテルがハンセン病施設の入所者を拒否したとかいうニュースを見た覚えがありますが、あの時も驚いたことに、不当に拒否したほうではなく、不当に拒否されたほうを批判・非難した人々がいましたっけ。
事なかれ主義もここまでくると醜悪です。
宗教団体、特にえげつない形で勧誘を繰り広げる組織が大嫌いな自分ですので余り偉そうな事は言えないのですが
結果的には「圧力を掛けさえすれば、何でも思いのままになる。」となってしまった訳で、これは単に日教組に対してだけでは無く、今後あらゆる場面&相手に対しても悪い前例になってしまう気がしてならないです。
去年60歳になったからです。青い三角定規の歌が流行っていた頃には一応青春でしたが!
今年は61!かなわんなあ~(溜息)。
>道徳
昔、私の子どもの頃はまだ軍国教師が居て、教育勅語や軍歌を覚えさせられ、学芸会で発表したことありました。そういや。戦後の話ですよ!
家人が1941年生まれなんですが、彼の頃はそういう教師は追放されていたようで、しかもちょうど米英の影響も強くあったこと、またかなり実験的な授業も多くリベラルな雰囲気だったんだそうです。田舎の公立学校の話ですよ。例えばエスペラント語の授業があったとかで。たった6年で随分揺り戻しがあったものですが、それが身になったということはなく、むしろ「♪左から右へ~」でしたね~。正直学校の授業というのは限界があって、どんなに小学校で良い先生に当ってもその後が恵まれないと良くない方向に行ってしまうんですよね。その逆も然り。
息子が小中学校のときは本当に良い先生方が多く家庭的で良かったのですが、高校(地域の進学校)に入ったとたんに底辺校に行った友達をあからさまに馬鹿にして付き合わなくなったり、偏差値至上主義的な発言をするようになったり…。電話で大声で「俺なんにも勉強してないヤバイ」と笑いながら実は本当は随分勉強してたり。環境が人を変えるということを実感しました。彼の目が三角にナリ、キツネがついたよう。本当に嫌な気分でした。大学に行ってからは落ち着いたのですが。
息子はもう30過ぎですが、高校のときの友人とは没交渉。まあだいたいだましあいをする競争相手に過ぎなかったですからね。当然かも。家人や私の場合はむしろ高校や大学の友人が同志的な友人も多いのです。彼の高校時代は受験や偏差値の虜で、我々の高校時代とは随分異なる過酷な高校時代だったのかな、とも思っています。
>プリンスホテル
まあここは右翼に優しそうですから、あんなもんでしょう。九段会館みたいなもんと労組も考えるべきだったでしょう。
なお、阪神大震災の年に全教(日教組とは別物。しかし街宣車を出す団体さんにその違いが分かっているのかどうかは謎。「全教祖」と嘘の名称で言われたらしいw)がやったときには、50台ほど街宣車がやってきて、交通渋滞を引き起こしていたそうですが、ここ5-6年はそれほどの街宣車は(日教組の場合も、全教の場合も)現れなかったとのことです。
高校時代に漢文の教師が学徒出陣された方で高射砲陣地での穴掘りや弾薬運搬の話を何度も何度も聞かされました。 生物の教師は戦後、米軍基地で柔道を教えわざと米兵のすねを蹴ったりして敗戦の鬱憤を晴らしたそうですが、柔道を習っていた米兵はすねを腫らしても我慢していたそうです。 数学の教師は恩師が戦場で死に際にこれからの日本は理科系が支えるのだから、数学をしっかり教えなさいと言い残したそうです。 それを曲解したのか、授業中に「私立文系などバカばかり、あんなとこ行っても何にもならん、私立文系などろくなやつはおらん、全然勉強やらしてない、つまらんぞ」と今なら問題発言にあたるような暴言を吐き、鬼のように問題集を解かされました。 そして解を誤るとチョークが飛んできたり、出席簿の角で叩かれました。 私は変な教師との思い出が多いです。
青春ドラマで言えば、リアルタイムで見始めたのは「おれは男だ!」(http://homepage1.nifty.com/dorama/untitled.htm)辺りからだったと思います。早瀬久美さんが可愛かったし、今は“妙な方向”に行っちゃいましたが当時の森田健作氏は同性の目から見ても格好良かった。そして個人的に一番好きだった青春ドラマは中村雅俊氏の出世作「われら青春!」(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/wareraseishun.htm)。実直な校長役の有島一郎氏(大好きな脇役の一人。)や狡賢い教頭役の穂積隆信氏、その教頭に御追従ばかりしている社会科教師役の柳生博氏、そして主役の沖田俊(新任英語教師)が思いを寄せる杉田陽子役(英語教師)の島田陽子さん等、夏目漱石の「坊ちゃん」を思わせる&絶妙な配役でした。
青い三角定規の歌う「太陽がくれた季節」が主題歌だった「飛び出せ!青春」(http://homepage1.nifty.com/dorama/untitled2.htm)はそれ程夢中になって見ていた訳では無いのですが、「太陽がくれた季節」は好きで良く歌っていたし、今でもカラオケに行くと時折歌う曲です。メンバーの一人が残念な事になってしまいましたが、残る御二方でつい先頃再結成されましたよね。音楽の教科書にも載っているという名曲を、これからも歌い継いで行って欲しいものです。
で、戦後にも軍国教師が居たんですか!?それはビックリです。戦前&戦中迄軍国主義を居丈高に教え込んでいた教師達も、敗戦を迎えてそれ迄の“価値観”が180度変わってしまった事から、“牙”を抜かれてしまったかの様に大人しくなってしまったというイメージが自分の中には在りましたので。それ迄の訓えを放棄してしまうというのは、軍国教師にとっては自分自身の人格をも否定する事に繋がったのかも知れず、それ故に戦後も一貫して変わらぬ訓えを垂れていたのかもしれませんね。哀れと言えば哀れな話です・・・。
自分の場合は、高校時代が一番楽しかったです。極々平均レベルの高校に行っていたという事も在り、校則も当時としてはそれ程厳しく無く、結構生徒の自主性に委ねられていた部分が多かった様に思います。良くも悪くも全体的にノンビリしており、悪友とつるんで遊んでいたのが懐かしい思い出。今でも良く飲むのは、高校時代の友人が多いですね。
路上にちょこっと車を停めているだけでもやいのやいの五月蝿く注意する警察が、路上を駐車場代わりに数台も停めっ放しの街宣車には一切注意しないのは何故なんでしょうね(笑)。
右翼も左翼も真剣に国を憂いている人は当然居るのでしょうが、単なる弱い者虐めの集団としか思えない連中も少なからず居る様に思います。法治国家で在る以上、力で全てを押し通すというのは許されない事。今回のホテル側の決断、心情的には理解出来る部分が無い訳では無いけれども、やはり毅然と引き受けるべきだったかと。
生物の教師の話には思わず笑ってしまいました。実は今、「植木等伝 『わかっちゃいるけど、やめられない!」を読んでいるのですが、その中で植木氏が戦後直ぐの複雑な思いを述べておられます。
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「東京にやっと帰れる事になって函館に行ったんだけど、青森迄運んでくれる船が無い訳。殆ど沈められちゃってるのね。しょぼくれてだらしのない船しかないんだけど、それに乗るしかないから皆がズラーっと並んでる。そうすると、アロハシャツ着て腕に入れ墨なんかしたGIが来てね、積んである袋をジャックナイフでビーっと切っちゃって、欲しいもんが中に入っていたら持って行っちゃう訳。そういう、無頼漢みたいな、チンピラみたいな奴も居たのね。仲間と一緒に、あの野郎やっちまおうかって。やろうと思えば、何時でもやれる状態でね。学生といっても、あの頃の連中は強かったし。それより何より、GIが勝手な事するのが許せなくてね。相手はナイフやピストルなんか持ってるから実際にはやらなかったけど、気分としては何時でもやってやるって感じでね。だから、その後にミュージシャンになって進駐軍の所に慰問に行く様になる訳だけど、始めの頃は嫌な気分だったね。やっぱり、日本人として情けないって気持ちが強かったから。」
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言論、思想、結社、集会の自由は当然に尊重されるべきです。しかし日教組に同情はできません。
街宣車で騒ぎまくる右翼団体し同じメンタリティの集団です。
不法行為であるストライキを決行し、日の丸や君が代は法律で定められていないと反対するからわざわざ法律を作ってやってもこ理屈捏ねて国旗掲揚や国歌斉唱を拒否している犯罪者集団が遵法を唱えるわけです。環境テロリストのシーシェパードやらグリーンピースと同じです。
自分たちの主張は法を曲げても通すが、他人は法を守れというような連中のいうことを子供が聞くものですか。
「先生達は違法なストを起こすがこれは正義なのだ。だが生徒諸君が校則を破って短いスカートをはいたり、廊下を走るのは厳罰に処す」
てな主張をしているようなものです。
自分達は公務員としての契約を守らないのに、ホテルに契約を守れと言うのがおかしいと思わないのでしょうか?
アラメイン伯様と同じ御意見を持っておられる方も少なくないだろし、仰っている事も理解出来ないでは無いです。今は北朝鮮に対して批判を繰り広げているマスメディアの中に、嘗て「北朝鮮帰国事業」に付いて「地上の楽園に行ける。」と賛美した所がどれだけ在った事か。(政治家連中にもそれは言えますが。)思想&信条の自由を奪われ、意に沿わずに軍国教育をした者も当然居たのでしょうが、戦時中に軍部の手先宜しく積極的に軍国少年&少女を作り上げた教師も少なからず居たと思うし、「そういった過去を持ちつつ、何を言うか?」という反発も在るでしょう。
唯、日教組が不法集団とする“ならば”、同様に「意に沿わない相手を力で以って黙らせる。」という遣り口も“同じく”不法集団の所業と言える訳ですし、少なくとも我が国の司法機関が法に則って下した判決に沿わないホテルというのは問題在りだと思うんです。くどい様ですが、自分も日教組には良いイメージが在りません。あくまでも法に則って考えた場合という事で、これが認められないという事になってしまうと、裁判所が「国歌斉唱や国旗の掲揚を拒否する教師は違法。」と裁定しても、それも法的に守る“必要性”が無いという事になってしまいますしね。(「自分達は公務員としての契約を守らないのに、ホテルに契約を守れと言うのがおかしいと思わないのでしょうか?」という御意見は理解出来ますが。)