「もう一度、最初から最後迄見てみたい。」と強く思うも、現実問題としては叶わない、懐かしのTV番組というのが幾つか在る。其の殆どは、「マスター・テープが現存していない。」というのが理由だ。昔は放送用フィルムが非常に高価だった為、放送後に“上書き”するのが普通で、尚且つ使い回した後は廃棄されていたりした。“家庭用の録画機器”なんぞは相当な金持ちじゃないと所有出来なかった時代なので、個人が趣味で映像を残している事は、本当に稀というのが現実。
「全464話中、4話分しかマスター・テープが現存しない。」というNHK連続TV人形劇「新八犬伝」と同様、TVドラマ「どてらい男」(歌)も「もう一度、最初から最後迄見てみたい。」と強く思うTV番組。花登筺氏の原作をTVドラマ化した物で、1973年から1978年に掛けて放送された。「大阪の商社で在る『山善』の創業者・山本猛夫氏をモデルとした立志伝。」で、戦前~戦後を舞台にした所謂“根性物”。*1亡き父が見ていた事から、自分も一緒に見る様になったのだが、「生きる勇気」を与えてくれる、実に見応えの在るドラマだった。
御多分に漏れず此のドラマも、「マスターテープは、殆ど現存しない。」と言われ続けており、「全てを見る事は、もう叶わないのだな。」と諦めていた。しかし・・・。
此方の情報にて、「2011年、此のドラマのモデルとなった『株式会社山善』が3/4インチ業務用ヴィデオ・テープ『Uマチック』で、略全編録画&保存していた事が判り、全巻が関西テレビに寄贈された。」事を知った。欣喜雀躍の事実で在り、此の素晴らしいTVドラマが一日も早く、全編再放送される事を熱望する。
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「手術を受けたいなら、全財産の半分を差し出せ。」と放言する天才外科医・天城雪彦(あまぎ・ゆきひこ)は、東城大学医学部での「スリジエ・ハートセンター」設立資金捻出の為、ウエスギ・モーターズ会長の公開手術を目論む。
だが、佐伯清剛教授の急進的な病院改革を危惧する者達が抵抗勢力として動き始めた。桜宮に永遠に咲き続ける「桜」を植えるという天城と世良雅司の夢の行く末は。
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医師でも在る作家・海堂尊氏は、医療現場を舞台にした作品を次々に生み出している。新聞に連載されていた「アクアマリンの神殿」の様な駄作も在るけれど、「其の多くが、高いレヴェルの内容。」というのは凄い事。
「田口・白鳥シリーズ」、「極北篇」等、海堂作品は「メインとなる登場人物」によって分類されるが、描かれた出来事や人物達は別の作品でもクロス・オーヴァーしており、「過去・現在・未来」という時空の中で、壮大な“海堂ワールド”が絶妙に構築されている。
今回読了した小説「スリジエセンター1991」は、海堂氏自身の分類で言えば「バブル三部作」に当該。バブル景気に沸いていた時代の日本の医療現場を舞台に、世良雅志、高階権太、天城雪彦、佐伯清剛という医師達をメインに描いたシリーズで、「ブラックペアン1988」、「ブレイズメス1990」に次ぐ、シリーズ最終作でも在る。
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「社会とは大きな振り子だ。ゆっくり大きく揺れている。その振り子は動いているということが感じられないくらい、ゆるやかな動きだ。そのようにして森羅万象はうつろいゆく。太平洋戦争が終わって半世紀、医療の振り子は極点まで振れた。国民皆保険、膨大な医療費による手厚い医療が実現したのは、医療こそ当時の市民にとって、もっとも切実な願いだったからだ。(中略)空襲で街を破壊され尽くした時、敗戦で国民の矜持がずたずたにされた時、人々が真っ先に望んだもの、そして戦中戦後、市民が一番大切だと思い、誰もが手に入れたいと願ったもの、それが医療だった。その最優先の希望を達成することができたのが、膨大な医療費投入という政策だったわけだ。」
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「医療費増大は、国を滅ぼす。」という所謂「医療費亡国論」が発表されたのは、30年前の1983年。バブル景気が始まる3年程前の話だが、此の論によって「医療保険制度の改革」が始まる。
昨年の記事「『生きる』と『生かされる』」でも書いたけれど、「我々は、より長く生きる為の対価として、多くの医療費を支払い続けて来たが、増大し続ける一方の医療費を考えた時、或る程度の所で“妥協点”(「支払える医療費」及び「平均寿命」の上限。)を見出ださないといけない。」と思っている。「より長く生きたい。でも、此れ以上の医療費の負担増は嫌。」というのは通らないと考えるから。
だから「医療保険制度の改革」自体は誤りで無いと思うのだけれど、実際に政治家や官僚が推し進めて来た事は、「改革」という建前の「改悪」が目立つ。社会的な弱者をどんどん追い詰め、居場所を無くして“漂流”する高齢者が増加し続けている現実。
「スリジエセンター1991」では、様々な思惑から“合従連衡”する人達の姿、複雑な人間関係が描かれている。特に天城と高階は「医術と医療費」という点で激しく対立するのだが、読了してみると何方の言い分にも「理」を感じてしまうのだから悩ましい。「医療の振り子が極点迄振れたから、今度は正反対の極点迄振れる。」というのは、どうかと思うのだ。
ネタバレになってしまうが、東城大学医学部に居場所を無くした天才医師・天城は、失意の内にモナコに戻る(元々彼は、モナコの「モンテカルロ・ハートセンター」で外科部長を務めていた。)。“部下”として仕えて来た世良も東城大学医学部を辞めるのだが、手紙にてずっと天城を“応援”し続け、其の結果、天城は日本に戻る決意をし、世良に「モナコ迄迎えに来い。」と告げて来る。喜び勇んでモナコに向かった世良が直面した或る現実には、遣り切れない思いが募った。
「世良、高階、佐伯等、海堂ワールドの常連達の“今のパーソナリティー”が、如何にして出来上がって行ったのか?」が、クロス・オーヴァーする作品群を読み進める事で判って行く。シリーズ物の醍醐味と言っても良いだろう。勿論、此の作品単体でも、充分面白いが。
総合評価は、星3.5個。
透明人間様も「どてらい男」や「どっこい大作」を見ておられたのですね。同じ記憶を共有しているというのは、何か嬉しいです。
全国放送で「大阪弁を口にするタレント」を目にするのが珍しくも何とも無い現代とは違い、1970年代はそういう機会が余り在りませんでしたよね。そんな時代、こてこての大阪弁のドラマ、其れも笑福亭松鶴氏や笑福亭仁鶴氏、大村崑氏といった関西を代表する豪華な出演者達が出演する「どてらい男」は、子供心に“良い意味で”異質な感じがしました。
「田村亮」と言えば今ではロンドンブーツ1号2号の田村亮氏を思い浮かべる人が殆どでしょうが、昔は田村正和氏の弟で、「どてらい男」では優男の尾坂幸夫役を演じていた田村亮氏を思い浮かべる人が普通だった。自分も彼を初めて知ったのは「どてらい男」だったし、今でも彼を見ると「尾坂だ!」と思ってしまう程、印象的な役でした。
「気障で嫌味な前戸文治(“前戸の旦那”)役を演じていた沢本忠雄氏」、「軍隊時代の“モーやん”をいびり倒していた、見るからに憎々しい表情の坂田軍曹役を演じていた藤岡重慶氏。」、「前戸商店の番頭で、“モーやん”をネチネチと虐め抜いた竹田役の高田次郎氏。」等々、個性的な役者が多く出演していた。(藤岡氏は22年前に57歳で病没。)「ウルトラセブン」でモロボシ・ダン役を演じた森次晃嗣氏も、此のドラマに海野(うんの)役で出ていたのも記憶に残っています。
「どてらい男」のOP曲(“モーやん”役の西郷輝彦氏が歌っていました。)も大好きで、「男歩けば 勝目に当る そわそわするなよ 此処らが度胸♪」という歌を当時は良く口遊んでいたし、今でも空で歌えます。
「どっこい大作」で主人公の田力大作を演じていたのは、「仮面の忍者 赤影」で青影(「だいじょ〜ぶ!」のポーズを真似た子供は、当時相当居たでしょうね。)を演じた金子吉延氏。「仮面の忍者 赤影」でメインの3人の忍者を演じていた中で、存命なのは彼だけになってしまったのが残念です。
「汽笛を鳴らして走って来る機関車に向かい、上半身裸の大作が『どっこい、どっこい、どっこい、どっこい!』と張り手を見せる。」というOPは、物凄いインパクトが在りました。又、“老役者”として好きだった志村喬氏&笠智衆氏が出演されていたのも、個人的には嬉しかった。
西郷輝彦が戦後の闇市でのし上がって行く話ですね
確か「もーやん」と皆から呼ばれていた気が・・・うる覚えですんません
どっこい大作も見た記憶が有りますがアレてOPに木に褌姿でテッポウをしてましたよね
アレて相撲取りを目指してる話だと思ったら主人公が違う方向に行ったような気が・・・うる覚えですんません
俺は再放送で見たいのは加山雄三の高校教師とロックホード氏の事件メモとハッピーディーズ(ヘンリーウィンクラー演じるフォンジーが好きです)ぐらいかな