ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

マイナーな漫画だけど好き

2006年10月22日 | 其の他
ドラえもん等で御馴染みの漫画家・藤子不二雄氏が以前書いていたのだが、昭和30年代~40年代にかけては漫画受難の時代だった。マスメディアが漫画を取り上げる時は大概「俗悪漫画追放!」を主張するもので、「俗悪漫画は暴力的で在り、反道徳的で痴呆的で、放置すれば日本中の子供を汚染するだろう。」といった論旨が殆どだったとか。俗悪漫画と言っても別段エロやグロに溢れた物では無い、一般的な漫画すらも一括りに俗悪と見做された時代。「当店には漫画を置きません。」と広告したデパートが在れば、選挙運動で空き地に漫画を山積みして焼いた候補者も居たのだとか。こうなると焚書坑儒の世界だ。

又、漫画家を主人公にしたラジオとTVのドラマが在り、どっちの主人公も売れっ子で稼ぎまくっているという設定で、ラジオの主人公はやがて良心に目覚めて筆を折る。TVの方の主人公は周囲の白い目に屈せずに描き続けるが、悪は栄えずと言う事か、その漫画家の息子が彼の漫画を真似て高所から飛び降りて大怪我をし、「身から出た錆だ。」と近所の人が呟く場面でドラマは終わっていたとか。いやはや物凄い偏見罷り通っていたと時代と言わざるを得ない。良い悪いは別にして、現在の様に漫画で溢れ返っている時代からすると隔世の感が在る。

御多分に漏れず、幼少の頃より漫画が大好き。特に漫画界の神様・手塚治虫氏の作品が大好きで、恐らく全作品のほぼ殆どは読破していると思うし、その蔵書数は半端な量では無い。彼の作品から様々な知識を貰ったし、自分の思考体系の基礎がそれ等によって涵養されたと言っても良い程。

勿論、その他にも多くの漫画家の作品を読破して来た。印象に残っている作品は数多く在るが、その中でも幼少時に読み、今も尚強く印象に残っている物を3つ挙げるとすると、以下の作品になる。

*****************************
① テレビくん(水木しげる氏)

ゲゲゲの鬼太郎」等で有名な水木しげる氏の作品。初出は1965年の「別冊少年マガジン」という事なので、自分が読んだのは後の再録版だったのだろう。

今の若い人達には想像付かないと思うが、自分等が子供の頃のTVはとても貴重な存在だった。値段的にも高価な部類に属し、馬鹿でかいブラウン管には仰々しい扉と4本の脚が付き、普段は上に埃避けの布が掛けられて、リビング(当時は茶の間と言ったが。)の中央にドカンと鎮座ましましていた。リモコンなんかは当然無く、TVに付いたスイッチを引っ張るor押す事で電源のon or offを、そのスイッチを回す事で音声の大小を調節。チャンネルはやはりTVに付いているダイヤルをガチャガチャ回すスタイルだった。電源を入れても直ぐに画面に何かが映る事は無い。ブーンという音と共に、画面中央に白い点がパッと浮かび、それから徐々にその白い点が大きくなって行って、暫くするとブラウン管一杯に映像が浮かび上がるといった感じだった。

そんな時代のTVを題材にしたのがこの作品で、主人公の少年が或る日TVを付けると、その白い点が小人(確か目玉の親父みたいな形状だったかと。)に変化。そしてTVの番組で食べ物が登場し、その少年が「食べたいなあ。」と思うと、小人がその食べ物を画面から持ち出してくれ、その内「TV番組に出演したい。」と少年が思うと、小人がブラウン管の中に引っ張り込んでくれて、何でも無かったかの様に番組に出演出来てしまう。TVの中を自由に行き来出来る様になった少年は、やがて同世代の子供達のアイドル的存在になって行く・・・といった実に不思議なストーリーだった。(何しろかなり古い記憶なので、内容には若干の違いが在るかもしれないが。)*1

取り立ててセンセーショナルな筋立てでは全く無いのだが、平凡な日常の中に潜む不思議さというのにとても惹かれた。ブラウン管に映る白い点に、日頃から関心が向いていた事も大きかったのかもしれないが、未だに忘れられない作品だ。


② 劇画・オバQ(藤子不二雄氏)

初出は1973年の「ビッグコミック」。ストーリー等に関してはこちらに詳細が載っているので見て戴きたいのだが、何とも言えない哀愁を帯びた作品。「オバケのQ太郎」という作品に馴染みが深くない人だと、この作品を読んでも今一つピンと来ないかもしれないが、漫画&アニメの”オバQ”で育った自分からすると、何度読んでも涙が出て来てしまう内容。子供の頃の夢と大人になった今の現実のギャップが、埋め切れない程に乖離してしまった事への物哀しさで、最後にオバケの国に帰る為に空を浮遊するオバQと、その下を当ても無く舞って行くオバQ天国の旗の対比に、又涙が誘われてしまう。


③ ロロの旅路(手塚治虫氏)

初出は1973年の「週刊少年ジャンプ」。「ブラック・ジャック」や「きりひと讃歌」、「ノーマン」、「火の鳥」、「アドルフに告ぐ」、「シュマリ」等々、手塚作品で印象深い物は枚挙に遑が無いのだが、短編「ロロの旅路」は彼の作品の中で、否、今迄読んで来た全ての漫画家の作品の中で最も好きなものと言える。

「作品の冒頭に4匹のニホンオオカミが登場する。3匹の子供達、リリ、ルル、ロロとその母親だ。彼等はニホンオオカミの生き残りだったが、剥製を北海道物産展の目玉に売ろうと考えた猟師によって母狼は射殺されてしまう。母を追って船に乗り込もうとする3匹。しかしリリだけが乗り遅れてしまい、必死で海中を泳いで追い駆けるも途中で力尽き、2匹の兄弟の目の前で海中に沈んで行ってしまう。

そして残る2匹の兄弟は物産展が西へ西へと開催地を移して行くのに応じて、その後を追って旅を続けるのだが、途中ルルは車に撥ねられ絶命。

残ったロロ1匹が兄姉(だったと思うが。)の遺志を継いで、”母親”を取り返すべく後を追い続ける。その道中でロロは御尋ね者のベンと出遭い、ロロが母親の剥製を追い駆けて旅を続けている事を知ったベンは自分の母親の姿を脳裏に思い浮かべる。男を作り、自分を捨てて消えてしまった母親。

鹿児島で宝石店を狙ったベンは、ロロの為にとデパートから剥製をも盗み出そうとする。しかし防犯ベルが鳴ってしまい、駆け付けた警官達はベンに発砲するのだが、その弾は無情にもベンでは無く、一緒に居たロロの小さな体を貫いてします。

逮捕され、そして網走刑務所へ連行される事になったベンは、その途中で北海道の原野に立ち寄る事を依頼する。其処に母狼の剥製と並べてロロの剥製を置いて行く為だった。二度と親子が離れ離れとならない様に・・・。」

この作品も、何度読んでも目頭がジワッと熱くなってしまう。手塚作品の魅力の全てをギュッと集約した作品だと思う。御存知無い方には、是非読んで戴きたい作品だ。
*****************************

この3作品、ハッキリ言ってメジャーな存在では無く、寧ろマイナー範疇に入るだろう。しかしマイナーな存在で在っても、自分にとっては掛け替えの無い珠玉の作品なのだ。

*1 この記事を書き終えた後、やはり記憶違いが在った事が判明。

「主人公の少年はTVのチャンネルを普段からガチャガチャと激しく回す癖が在り、或る日何時もの様にガチャガチャと、それこそチャンネルの”芯”が熱くなる程回していた所、TVの画面にゴマの様な白い点が発生。やがてそれは小豆大の大きさとなった為、TVを分解して取り出した所、それは今迄に見た事も無い物で出来た卵だった。それをマッチ箱に入れておいた所、数日後に卵の中からセロファンの様な小人(目玉の親父みたいな形状と書いたが、それよりもニョロニョロの形状に近かった。)が生まれ出ていた。」という経緯が正しく、又、少年がTVの中に入っていったきっかけも「TV番組に出演したい。」という思いからではなく、「TVの中に入って、あの食べ物を食べたい。」と思ったからの誤りだった。

コメント (7)    この記事についてブログを書く
« ジャイアンツのコーチング・... | トップ | タロウ教官 »

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ロロの旅 (くみこ)
2006-10-22 09:12:50
わたしも大好きです。

小学生の時に読んでずっと心に残ってました。兄弟オオカミが海におぼれ、最後の母オオカミと並べられるシーン。

高校に入って漫画好きの友人がこの本を持ってて借りて読み、数年前にロロが入ってる短編集を買って持ってます。



>自分にとっては掛け替えの無い珠玉の作品なのだ



同感です。

同年代だけあって、読んだもの見たものが共通してますね^^

またロロを読みたくなりました。

返信する
百鬼丸 (マヌケ)
2006-10-22 12:13:34
「どろろ」をテレビで見た時は本当に怖くてトイレに行けず電気をつけたまま寝ました。 親にしかられてそんなに怖いなら見なければいいじゃないかと言われましたが、ものすごく引込まれるストーリーでやっぱり見てしまいました。 今大人になって考えてもすごいストーリーだったと思います。 仏に面を入れる最後の作業で魂がやどるように芋虫のような姿で産まれた百鬼丸が妖怪を一匹一匹と倒すことで本物の手、足が生え、目玉が・・・最後に本当の人間に・・・産まれた事が苦しみで殺生によってしか生きていけない諸行無常の世界が描かれていたように思います。 漫画といっても優れた作品は昔から、そして今もたくさんありですね。 フランスやドイツでは日本のMANGAが大人気ですし。
返信する
>マヌケ様 (giants-55)
2006-10-22 13:56:26
書き込み有難うございました。



マヌケ様とは趣味の近さを感じる事がまま在りますが、「どろろ」も好きな作品でした。手塚治虫氏は終世「メタモルフォーゼ(変身、変形)」というテーマに拘ったクリエーターで、その延長線にアニメ製作が在った訳ですが、百鬼丸が妖怪を倒す事で己が肉体を取り戻して行くというシーンも、このメタモルフォーゼを強く意識したものだったと思います。



真の親が天下を握らんとする余りに、悪魔に”良心”を売ってしまう。この「ファウスト」的設定も、手塚氏は好んで様々な作品に投影させていました。



「どろろ」は、妻夫木聡氏と柴咲コウさんのW主演の映画が来春公開されますよね。「あのおどろおろしさが上手く再現出来るのか?」、「単なるチンケな恋愛物語に終わってしまうのではなかろうか?」といった不安は非常に在りますが、公開されたら間違いなく観に行ってしまうでしょう(苦笑)。

http://www.dororo.jp/
返信する
旅路 (くみこ)
2006-10-22 20:06:32
でしたね。最初のコメントのタイトル間違ってしまいました。



お返事ありがとうございます。

本を貸してくれた友人もこの物語は好きだったようで、題名を忘れ断片的な記憶を伝えるとすぐロロの話だと気づいてくれました。

かわいさと過酷さ、必死で母を求めるロロの姿に胸を打たれるんでしょうね。



でも大好きだといった割にはgiants-55さんの記事でロロを思い出すわたしって…



読み返したらきっとまたウルウルするでしょう。
返信する
トラックナックありがとうございます (イカフライ)
2006-10-23 21:23:34
 はじめまして、私のブログにトラックバックありがとうございます。



 >又、漫画家を主人公にしたラジオとTVのドラマが在り



 うーん、こんなのがあったんですね。

 自分も昭和30年代の産まれで、子供の頃からマンガ大好き、夢はマンガ家、という人間だったのですが、当時ハマンガは低俗、俗悪、漫画を読むとバカになる、と言われていた時代でした。

 ただ、だからこそ、あれだけ偉大な作品群が生まれた、と考えると、なんだか皮肉なものがあります。



 ざっとですが、記事を読ませて頂きました。

 非常に鋭く、また面白く、これからもご迷惑でなければ閲覧させてください。
返信する
>イカフライ様 (giants-55)
2006-10-24 00:11:50
初めまして。書き込み有難うございました。



本来は書き込んで下さった方のブログにレスを付けさせて戴いているのですが、URLを失念してしまいました為、こちらに書かせて戴く失礼を御許し下さい。



時代と共に価値観や考え方は変わっていくものですが、昭和30年代~40年代にかけての漫画及び漫画家の評価は著しく低かったですね。藤子氏のみならず手塚治虫氏もその辺の話を良く語っておられましたが、今では考えられない話です。



唯、仰る様にそういった強い偏見が在ったからこそ、「世間に認めさせてやる!」という意志を多くの漫画家に持たせたという面も在り、故に多くの名作が生み出されたとしたら、それはそれで良かったのかなあと逆説的には思いますね(苦笑)。



こちらこそ、今後とも何卒宜しく御願い致します。
返信する
TBをありがとうございます。 (yo)
2006-11-06 06:53:46
ロロの旅路ですか。いいですね。
手塚の作品は、多作だけれど、一貫したテーマ群を見つけることができます。罪と罰やファウストのような文学作品をモチーフにしても浮かび上がる何かがあります。
表現者はどこかで自分の素を見せなければならないものだと思いますが、彼のそれは自分の観念を執拗に形を変えながら紙に具現した世界なのだと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。