“同じ場所”を“昔の写真”と“今の写真”とで比較する、其れも“同じアングル”で撮られた物同士というのは、実に面白い。長年住んでいる場所等、自分にとって思い入れの深い場所も良いが、幼少期に夢中になって見ていたTV番組の舞台となった場所なんていうのも、実際に行った事が無くても、「こんなに変わってしまったのか・・・。」と感慨深くなってしまう。
当ブログにブックマークしているサイト「仮面ライダーV3 ロケ地大百科」、「仮面ライダー ロケ地大画報」、「仮面ライダー ロケ地マガジン」、「光跡」、そして「昔のドラマのロケ地を探そう!」は、そんな自分を大いに楽しませてくれる。数多くの“現場”へ直に足を運び、“昔”と“今”を“同じアングル”で撮影するなんていうのは、本当に頭が下がる思い。仮面ライダー・シリーズが大好きだったので、仮面ライダー関連のサイトは懐かしくて、涙が出る程嬉しかったりする。
人によっては「高がTV番組。」だろうけれど、こういう地道な検証は、“放送文化”を守る事にもなると思う。“取材”は大変だろうけれど、運営主の方々には、今後も頑張って戴きたい。
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35歳になるシングル・マザーのさなえは、幼い息子の希敏(けびん)を連れて、此の海辺の小さな集落に戻って来た。何かのスイッチが入ると、引きちぎられた蚯蚓の様にのたうちまわり、大騒ぎする息子を持て余し乍ら、さなえが懐かしく思い出したのは、9年前の「みっちゃん姉」事、渡辺ミツ(わたなべ みつ)の言葉だった。
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第152回(2014年下半期)芥川賞を受賞した「九年前の祈り」。著者の小野正嗣氏は1996年に文壇デビューし、芥川賞候補になる事4回目にして、受賞者となった経緯が在る。
第151回(2014年上半期)芥川賞受賞作品「春の庭」のレヴューでも書いた様に、此処数年の芥川賞受賞作品には、「何で、こんな作品が受賞出来たの?」とガッカリしてしまう物が目立つ。だから、「九年前の祈り」も期待しないで読んだのだけれど、思っていた以上にガッカリな内容だった。
表題作でも在る「九年前の祈り」に付いてのみ触れるが、「カナダ人男性と同棲し、3年が過ぎた頃に息子・希敏を儲けるも、彼の1歳の誕生日を過ぎた辺りから家庭が崩壊し、息子と共に実家に出戻った35歳のさなえ。」が主人公。
希敏は発達障害を罹患している様で、さなえは其の言動に振り回されている上、実家が在るのは非常に封建的な地域という事も在って、「外国人の“夫”と別れ、日本人とは異なるルックスでエキセントリックな言動の息子と共に、実家に出戻って来た女。」といった住民達の好奇な目に晒され、疲れ切っている状態。
そんな彼女が、“過去の記憶”と“現在”とを行ったり来たりする中で、“痛み”が癒されて行くという筋立てなのだが、文章に“無駄”が余りにも多く、読み進めるのが辛かった。
「登場させる必然性を感じ得ない人々が多過ぎる。」、「“スパイス”になっていない、くどさしか感じられない方言の多用。」、「『其れを記す事で、何の意味が在るのか?』が全く判らない、冗長なだけの記述の数々。」が自分に“無駄”を感じさせ、極論すれば「膨らまし粉が『1』で充分なのに、無理無理に『3』も使い、“見た目”を大きく膨らましたパン。」の様。中身がスカスカで、全く美味しく無い。
総合評価は、星1.5個。