6月15日に高橋克也容疑者が逮捕された事で、指名手配されていた“オウム真理教の残党”は全て御縄になった。昨年の大晦日に平田信容疑者が警察に出頭した際には、悪戯と思った警察官が正面に取り合わず、同容疑者を盥回しにした。」り、「菊地直子容疑者逮捕を直ぐに発表してしまった事で、潜伏していた高橋容疑者の再逃亡を許してしまった。」り、「高橋容疑者が潜伏していた漫画喫茶に赴いた警察官に対し、店員が『高橋容疑者に似ている客が居る。』と指摘するも、警察官は『似てるけど違うね、君、間違えてるね。』と言い放ち、気付いた高橋容疑者が店外に出て行った後に、店員が『確認した方が良い。』と言った事で、漸と職務質問を決めた。」りと警察の相次ぐ失態は気になるが、結果として3容疑者全てが逮捕されたのは本当に良かった。
3容疑者が逮捕となった事で、強く印象に残った2つの事柄。1つは、「年月の経過と環境の変化は、彼程迄に人相を変えてしまうのか。」という事。17年前の指名手手配写真と今の顔が、3容疑者皆が全く違っていたのは驚きだった。
そしてもう1つは、「監視カメラが“思っていた以上に”、街中に設置されている。」という事実。監視カメラに対して可成り用心していた筈の高橋容疑者ですら、あんなにも多く姿を捉えられていたのだから、一般人ならば毎日、半端じゃない数の映像を撮られている事だろう。2年前の記事でも触れたが、犯罪捜査に役立てる為には止むを得ないと思っているが、同時に「独裁者が意に沿わない人間を追い詰めるには、張り巡らされた監視カメラは最適のシステム。」という懸念も。
高橋容疑者が逮捕された事で、嘗てオウム真理教代表だった上祐史浩氏がコメントしていた。「地下鉄サリン事件」等、オウム真理教が様々な事件を引き起こして以降も、スポークスマンとして同教団の正当性を声高に主張していた同氏。過去の反省を踏まえた上でのコメントということなのだろうが、彼だけの大事件を起こした組織の上層部に居た人間が平然とコメントを出すというのは、どうにも理解出来ない。
「ああ言えば、上祐。」とも言われた程に、詭弁を弄するのが得意だった彼。「無根拠な誹謗中傷や全くのデマを何度か拡散し、其の事を非難されると幼児でも口にしない様な言い訳を口にしたり、黙りを決め込み続けたりするのが常套手段の某女性議員。」もそうだが、上祐氏の場合も「高学歴」と「人としての成熟度」が必ずしも一致しない典型例な気がする。
オウム真理教が引き起こした事件を取り上げ、散々批判しているマスメディアにも、違和感を覚える部分が在る。「坂本堤弁護士一家殺害事件」発生には「TBSビデオ問題」が大きく影響していると思うし、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」を始めとして、オウム真理教を面白おかしく取り上げ、巨大化させたのはマスメディアの責任とも言えるから。そういった過去を“改めて”反省する事無く、オウム真理教を断罪するマスメディア。
彼だけの事件を起こしたオウム真理教に対し、破壊活動防止法を適用しなかった公安審査委員会。「信教の自由を守る。」といった御題目も在ったのだろうが、個人的には「問題行為をしている宗教団体が『自分達にも適用されたら困る。』と、普段から“甘い汁”を吸わせている政治家達に圧力を掛けた。」のが最大要因ではないかと思っている。オウム真理教に“破防法”が適用されないのならば、適用される組織は存在するのか?
「地下鉄サリン事件」発生から17年経つが、怪しげな宗教団体を野放しにし続けている政治家達や、「視聴率が稼げるのならば、社会的に問題が在る事柄や人物でも、問題無く取り上げる。」というマスメディアの姿勢は、全く変わっていないと思う。
逃亡生活をしていた者の容姿はだいぶ変わるのはよくある話ですが、上祐はあまり顔が変わっていないのが印象深かった。逃げて生活したわけではないからでしょうけど。
逃亡者の容姿といえば加藤三郎という爆弾犯が捕まったとき、手配書と違う身なりだったのが話題だった(1980年代の半ばというのにヒッピーのようだった。逆に目立ったかも。手配書写真は「肉体労働者風」であった)
別の爆弾犯の「逃亡」の思い出
http://knuckles.jp/i/the_hardcore_/cat16/post_461.php
この人も「見た目が変わっていた」んじゃなかったかなー。こちらは1970年代の学生風→労務者風だったと記憶しています。
赤軍の重信房子は「容貌の変化」が話題になったのですが、人々の記憶にあった「1970年ごろの容姿の手配写真」の間に逮捕直前に使用されていた「40代半ばに撮られたらしい写真」を間におくと「ああなるほど」という感じでした。彼女は女王様なのだからまあそれなりの苦労はあれども支援者に守られていたのだから「上祐型」の経年変化で、1人で逃げてる爆弾魔とは逃亡生活の質が違ったのでしょう。同じ日本赤軍の人で、東南アジア人に成りすますために整形していた人もいたけれど。
高橋・菊地は「昔の爆弾魔」系でした(相当の苦労が感じられる容姿)。
平田は重信型かなあ。年取ればこうなるか、という感じ。彼は逃亡仲間の女性に守られていた。
オウム真理教関連で言えば、地下鉄サリン事件から暫くして行った神津島の事を思い出します。正確に言えば、「神津島に行った後の出来事」なのですが。
学生時代の友人とフェリーで神津島に行き、帰宅してから1ヶ月以上経った頃だったでしょうか、同行した友人の1人から電話が在りました。「御前の所にも、警察から電話在っただろ?」と。何の事かサッパリ判らず、聞き返した所、「オウムの残党が神津島に逃げた。」という情報が警察に入り、其れで一定期間の間フェリーで渡航した人間を、乗船名簿を頼りに警察が確認して回っているのだとか。同行した他の人間に電話した所、矢張り警察から確認の電話が在ったと。しかし自分の所には電話が無く、其れ以降も掛かって来る事は無かった。偽名や嘘の住所を書いた記憶は無いのだけれど・・・。
私が聞いたことがあるのは資産家の息子で、当時の言葉だと「ノイローゼ気味の」(今だと「メンヘラ」気味のだろうか)の大学生が都会の大学でオウムに勧誘されて入会したので資産家の家だか何かに信者が押しかけてきたのだが、相談された「拝み屋」の婆さんが追い返したという「実話」でした(息子が救出されたかどうかはよくわからなかった)。
1990年前後だとオウムだったり統一教会等だが、1980年より前だとアカ(「極左過激派」)に被れて大学中退してどっかに消えた、指名手配犯になったらどうしよう、なんて話を聞いた。女性だと「売られた」なんて話もあり、よく祖母に「Sちゃん、都会は恐ろしいところ、絶対に行ってはいけない!」と言われたものでした。
今の学生だとなんだろう?ネズミ講?やはり宗教?政治団体?
学生時代の友人と石和温泉に行った際、友人の1人が「そう言えば、上九一色村って近くじゃないのかなあ?」と言い出し、車でサティアンを見に行った事が在ります。強制捜査が入ってから暫く経った頃でしたが、未だマスコミの姿が在りました。遠巻きに見たのだけれど、何とも言えない不気味な雰囲気が在ったのが印象に残っています。
オウム関連事件で逮捕&死刑判決が出た人物の中に、親戚の同級生が居ます。親しい間柄では無かったものの、学生時代は物静かで真面目な感じだったとか。だから逮捕された際には、「彼の子が、まさか・・・。」と近所の人も驚いていたとか。逮捕以降、其の人物の家族は人目を忍ぶ生活を続けていたそうです。
円地文子「食卓のない家」はまさにそういう家庭を描いた作品です。ただ、あまり一般的な「加害者家族」話にはなっておらず、成人した子供の犯罪の責任を親がとる必要があるのかというテーマでした。モデルは連合赤軍の吉野雅邦の父親(三菱地所の重役だった)らしいが、実際の吉野父親氏は事件後退職している・姉はいない・ハイジャックで吉野はアラブに行っていない、のであくまでもフィクションであるようですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%8D%93%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AE%B6
件の死刑囚(オウム関連事件で逮捕&死刑判決が出た人物の中に居た親戚の同級生。)に関しては、其の犯した罪を考えると、死刑になる事に同情の余地は無い。唯、親戚から聞いた話では、其の親は人目を忍び乍らも、時折息子の面会に行っていた様で、「親」としては複雑な胸中だったろうなあと、此の点に関しては同情を覚えました。